けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

嘘の色合い

大胆なSMエロシーンを大スターの2世女優が体を張って演じたことで話題を呼んだ映画『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』(日本公開2015年2月15日)。英国人作家E・L・ジェイムズによる同名の原作小説は、日本では早川書房から翻訳版が出ているらしい。小説でも映画でも英語の原題『Fifty Shades of Grey』をカタカナ表記しただけの邦題だが、敢えて和訳すると、『灰色の50の色合い』といったところ。原題は、主要登場人物の姓であるGrey(グレイ)と色のgrey(グレイ/灰色、ただし英国英語の綴り。米国英語ではgray)をかけあわせたなかなか巧みなものなのだが、それをカタカナ表記しただけの邦題で、そこに込められた意味合いが日本人にどれほど伝わるのだろうかと疑問に思う。

 

だが、この投稿の本題はこの映画のレビューではない。

 

先日、夫とテレビでこの映画を観ていたときに、何故かタイトルから英語の「white lie」という表現を思い出した。逐語訳すれば「白い嘘」。これだけでもきっと、多くの日本人がその意味を憶測することができるのではないだろうか。

 

「white lie」とは、「罪のない嘘」のことだ。多くの文化で純粋無垢を象徴する色とされる白。だから「白い嘘」は罪のない嘘ということなのだろう。オックスフォード英英辞典オンライン版で「white lie」の定義を調べると、「A harmless or trivial lie, especially one told to avoid hurting someone's feelings」とされている。つまり、「害のない、ささいな嘘で、特に相手の気持ちを傷付けないようにつく嘘」ということだ。これは、日本語表現の「罪のない嘘」に対するWeblio辞書の定義とほぼ同じである。ここでは、「相手を傷付けまいとする善意から敢えてつく嘘、誰かを貶めるためではなくむしろ誰も貶められないようにという気持ちでつく嘘などを示す語」とされている。

 

日本語の表現が「罪のない」と単刀直入であるのに対し、英語の表現が色を使っているところが興味深い。「罪のない嘘」という言い回しにもっと近い「harmless lie(害のない嘘)」という言い方もあるが、「white lie」の方がよく耳にする。フランス語でも同じように、「白い嘘」という意味の「mensonge blanc」という表現が使われている。

 

では、嘘には他の色もあるのだろうか。気になったのでググってみると、『Four Colors of lies』というタイトルを掲げたウェブぺージが出てきた。『嘘の4つの色』という意味だが、英語の「色」の複数形にあたる「colors」の綴りから判断して、英国のサイトではない(英国英語では「色」は「colour」)。

 

このサイトの定義によると、嘘には4タイプあり、それぞれを色で分類する。まずは先述の「white lie」。その定義はオックスフォード英英辞典オンライン版のものと同じで、要するに「罪のない嘘」だ。そしてその次が「grey lie(灰色の嘘)注:このサイトでは米国英語でgray lieと表記されている」。このサイトによれば、私たちの嘘の大半はこの「grey lie」の類に陥るそうで(だがそれは『性善説』に基づく見解だろう)、相手を傷付けまい、救ってあげたいという気持ちがあるのだが、結局はその逆効果を及ぼしてしまうものということだ。しかも、その動機となっている善意と結果の害のバランスのレベルによって、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』ではないが、灰色の色合いが変わってくるとか。

 

その次が「black lie(黒い嘘)」。色のイメージから、陰気でドロドロした嘘を連想してしまうかもしれないが、このサイトの定義では、無神経で自己中心的な嘘とされている。自分の身を守るためのその場しのぎの嘘や、状況が自分に有利になるようにするための嘘で、結果として他人に害を及ぼすことが多い。「冷笑的な」という意味合いで使われている「black humour (ブラックユーモア)」の黒とは微妙に違う。

 

そして嘘の4つ目の色は赤、すなわち「red lie(赤い嘘)」である。このサイトによると、「red lie(赤い嘘)」とは最もたちの悪いもので、悪意に満ちた、復讐目的の嘘だということだ。ここでは、赤が怒りのイメージや血の色であることから、こういった恐ろしい性質の嘘の色になっているようだが、赤が幸福の象徴であったり縁起の良い色とされている文化では、眉をひそめたくなる定義であろう。

 

「真っ赤な嘘」という表現があるように、赤は日本語でも嘘に使われている色だ。ただし、この「真っ赤な嘘」には、上記のような恐ろしい憎悪に満ちた嘘という意味合いはないはず。オンライン語源由来辞典で調べてみると、「この語が『赤色』である理由は、『赤』は『明らか』と同源で『全く』『すっかり』などの意味があるためで、『赤の他人』などの『赤』も同様である。『真っ赤』は、『赤(明らかであること)』を強調した表現となっている」と記されている。

 

罪のない「white lie」は私も数え切れないほどついている。だが、いくら善意からといっても、嘘は嘘だ。何色であれ嘘は嘘。そして確かに、「white lie」が純粋な「white lie」のままでまかり通ることは少なく、最終的にはかなり濃いめの灰色になってしまったこともある。また、最初の嘘をカバーするためにさらなる嘘が必要となり、後戻りのできない状況に陥ってしまうこともあり得る。

 

だからできるだけ「white lie」も避けるように心がけているが、かといって馬鹿正直を徹底させると、やはり相手の気持ちを害してしまうことの方が多いのではないだろうか。

 

例えば、親しい人物から手料理のディナーパーティーに招待されたとしよう。その人物の料理の腕前はかなり怪しく、出されたものがあまりにも不味かった場合はどうすべきか。相手が心を込めて作ってくれただろうことを念頭に、「white lie」で「美味しい」とほめて無理しながら食べるのか、正直に「不味い」と宣告するのか。後者のオプションを実行する勇気(?)のある人はそういないだろう。「美味しいけれど、私は小食なんで。。。」などと誤魔化してあまり手を付けずに残すのが良策だろうか。だが、こういう場合、相手がよほどの鈍感でない限り、「white lie」が「grey lie」となってしまうのがオチだろう。

 

今度は、知り合いの女性に新しいヘアスタイルに対する意見を求められたとする。どこから見ても似合っているとは言えない場合、相手にはっきりそれを言ってのけることができるだろうか。特にそれが、数カ月間髪を伸ばさないと収拾がつかない奇抜なショートカットだった場合、正直な意見を言ってしまえば、その人を数カ月もの間嘆きの底へ追いやってしまうことになりかねない。心置き無い、よほどの親しい仲なら、率直な意見を突き付けることもできるかもしれないが、それでもやはり「ヘアバンドやバンダナでアクセントをつけてみたら?」とか「ここをジェルでこうスタイリングしたら、もっとオシャレに見えるかも」など、できるだけポジティブなアドバイスをプラスして和らげるべきかもしれない。

 

我が家では、「嘘はいけない。常に正直でありなさい」と常日頃から娘に教え込んでいる。だが、そんなことを言っている親の私たちが娘に「white lie」をついていることがある。さらによく考えてみると、自分たちにとって都合がよくなるように嘘をつくこともあるから、これはその実「black lie」に限りなく近い「dark grey lie」ではないだろうか。

 

「1年中ずっといい子にしていたら、クリスマスにサンタさんがプレゼントを届けてくれる」と子供に信じ込ませるのは何色の嘘だろうか。子供に夢を持たせるという善意が動機なのだから「white lie」であるはずだが、子供が真実を知ったとき、その子供の感受性のレベルによっては、「フィフティ・シェイズ・オブ・ホワイト(白の50の色合い)」の中で収まらず、暗みがかった灰色になってしまうことも考えられる。

 

サンタクロースの話は完全な嘘だからと、自分たちの子供には物心ついた頃から真実(つまり、サンタなど存在せず、クリスマスプレゼントは身内がくれるもの)を突き通しているという家庭の話を知人から聞いたことがある。他人の家庭のポリシーに口出しするつもりはないが、そういう家庭の子供が自分の子供のクラスメイトだったりすると、せっかくの子供の夢を壊されてしまうかもしれない、というか、親の嘘を暴露されてしまうかもしれず、迷惑だ。

 

私自身も子供の頃によく両親から「嘘は絶対についてはいけない」と言われていた。子供の嘘のほとんどは、その場しのぎの自己保身や、状況を自分に有利にするための自己中心的な「black lie」であろう。だから「嘘は絶対にいけない」と教え込まれるわけだが、成長していくにつれて自分を取り巻く人間関係が複雑化し、円満な関係を求めて本能的に「white lie」を習得していくのだろうか。

 

人間、生きている限り、嘘を避けて通ることはほぼ不可能だろう。一生の間に様々な色合いの嘘を使ってしまうのだろうが、赤だけはなんとか無縁でありたいと思う。