けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

日本語進化論③

ジャン=クロード・ヴァン・ダムは、ベルギーの首都ブリュッセル出身の格闘家・映画スター。彼の母国語はフランス語なのだが、ウィキペディアの解説によると、1982年に英語もろくに話せないまま、俳優を目指して米国ロサンゼルスに移住したという。そして30年を超える米国生活の末、彼は英語交じりの滑稽なフランス語しか話せなくなってしまった。フランスのテレビのトークショーなどに出演すると、フランス語のみの発言ができず、必ず英語の単語や表現が口から飛び出す。ある程度はやらせなのかもしれないが、そんな彼の姿はフランスでお笑いのネタとなることが非常に多い。私自身もフランスにいた頃は、彼のインタビューに大笑いしていたものだ。

 

しかし、よく考えてみると、現代の日本人の日本語は、ジャン=クロード・ヴァン・ダムのフランス語よりも数倍滑稽かもしれない。果たして今の日本人は、カタカナ語を一切使わずに発言したり、文章を書くことができるのだろうか。外国の地名、外国人の名前などの固有名詞、そして松田源治が主張していたように従来日本になかった外来品や概念などの場合は仕方がないが、れっきとした日本語の表現があるものは日本語を貫く。それは今の日本社会でどこまで実現可能だろうか。近頃の日本の雑誌名などは、ほとんどがカタカナ語か外国語をそのままローマ字でつづったものだ。特にファッション・ライフスタイル系(「流行服飾・生活様式系」と書くべきか)のものはその傾向が断然主流であるように見える。ファクトチェック(事実確認)のためにmagazine-data.comで女性向けファッション雑誌一覧をチェック(確認)してみたが、やはり私の推測は正しかった(http://www.magazine-data.com/women-menu/fashion.html)。

 

だが、50代~の女性が読者層の雑誌には、日本語のみの名前を掲げているものが結構ある。『婦人画報』(現存する日本最古の婦人誌-創刊1905年/明治38年!!!)や『婦人公論』(創刊1916年/大正5年)、『装苑』(創刊1936年/昭和11年)、『家庭画報』(創刊1958年/昭和33年)などの大御所だけでなく、『おとなのおしゃれ手帳』(創刊2012年)といった比較的最近にできた雑誌もある。なかなか潔くて清々しいではないか。

 

『婦人画報』や『婦人公論』など100年以上前に創刊された婦人誌が、カタカナ語の雑誌名が氾濫している現在でも、当時と同じ名前を掲げたままバリバリの現役で健闘しているというのは脱帽ものだ。では、100年前の女性誌の記事にはどれくらいカタカナ語が使われていたのだろうか。気になったのでまたググってみる(検索してみる)と、『百年前新聞』というサイトに出くわした(http://100nenmae-shimbun.jp/ad/entry-80.html)。2015年の7月に投稿された記事だが、大正時代の女性雑誌6誌の広告が掲載されている。『婦人世界』や『婦女界』、『婦人之友』、『家庭雑誌』、『婦人書報』、『淑女書報』といった具合に、どれも純粋な日本語の名前を掲げたものばかりだ。そしてそれぞれの記事一覧を見ると、カタカタ語はほとんどない。『婦人世界』の「ヒステリー患者の心理」という記事と、『家庭雑誌』の「日本人に嫁した外国婦人の家庭談」という記事の寄稿者名(山崎オーラと泉谷エルザ)、そして『婦人書報』と『淑女書報』に「外国婦人のバザー」や「サロメダンスと表情ダンス」、「各国大使、公使夫人のバザア」というのがある程度だ。そしてどれも従来日本に存在しなかった物事や外国人の固有名詞である。

 

そもそも、正真正銘の日本語表現が存在する物事に、わざわざ外来語を使った造語を無理やりに造る必要などあるのだろうか。「ワーママ」は「働く母」や「働くお母さん」で十分なはず。短縮形で「働母(どうぼ?)」とすると、中国語っぽくなってしまうのでやめておこう。「リーマム」の語源の一部である「サラリーマン」は、大正時代頃から使われ始めたということですっかり国語として定着しているが、あえて純粋な日本語に直すなら「月給取り」となる。だから「リーマム」は、「月給取り母さん」でいいではないか。そんなことを考えているうちに、カタカナ語が氾濫している現代の雑誌記事を純粋な日本語に書き換える試みに挑戦してみたくなった。そこで、昭和初期の文部大臣・松田源治がカタカナ語のご法度を出したと想定し、雑誌『Very』10月号の広告を純粋な日本語に訂正してみることにした。よほどの暇人かと思われるであろうが、決してそういうわけではない。

 

まず、雑誌名から取り組まなければならない。なぜ「Very」という英語の形容詞・副詞が名前に選ばれたのか、どういう意味合いで使われているのかよくわからないが、この英単語の一般的な日本語訳は「とても」「まさに」「大変」「非常に」「極めて」などである。どれも雑誌名としてはしっくりこない。特に「大変」は負の印象を与えかねない。そこで、これも今ひとつかもしれないが、「すごい」とすることにした。

下の画像が10月号広告の原版である。

 

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これを私なりに「日本語訳」すると。。。

 

すごい

次号

すごい10月号は9月7日(木)発売です

定価720円(税込み)*内容は一部変更になることがあります。

 

<大特集>

気が付けば、紺の次ぐらいに頼りになってる

枯草色が、私たちの日常の基本色に躍り出た!

見極め線は、主婦にとって一石二鳥なおしゃれかどうか

お母さんに優しい流行だけ乗っかろう!

毎日着られなかったら意味がない!

雑に扱える“一流外套”が欲しい

靴への価値観って、女の個性がいちばんでる

この秋の靴のお悩み、10問10答

  • 上から抱っこひも大丈夫!な厳選上着目録
  • コンバース(固有名詞なのでそのまま)と高いかかとの靴(無理しすぎかも、両方に合う服が欲しい
  • 液状口紅の実力、大調査 
  • 単身育児(「ワンオペ育児」はググりまくってやっとその意味を理解することができた)にまつわるすごい的考察
  • 離婚約のすすめ
  • そのお弁当、詰め方を変えれば見違える!
  • 妻が、お母さんが乳がんになりました・・・・

 他にも読みどころ満載・・・

 

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なかなかの出来ではないだろうか。これは松田源治に文部大臣賞を授けてもらえるほどの傑作かも、などと独り善がりの自己満足に浸る私であった。

日本語進化論②

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「リーマム」とは、一体全体何を指す言葉なのか。形容詞なのか、名詞あるいはブランド名などの固有名詞なのか。その意味を解読すべく、まずどのような形で使われているかに注目すると、例えば雑誌『Very』3月号掲載の「復職&入園シミュレーション」と題された特集記事では、「証言つきで紹介 私のリーマム人生これで変わりました!」や「リーマム生活に本当に必要なもの」といった具合である。そしてこのページには、「復職ママの5日間を支えるヒト・モノ・コト辞典」としてお役立ちアイテムがAからZの順にリストアップされている。「復職」という言葉から、会社勤めに関連のある表現なのだろうとは想像がついた。しかしこの時点の私は、つい最近まで日本の経済誌などで(雑誌『Very』以前は『日経ビジネス』や『東洋経済』の電子版を定期購読していた私)よく見かけていた「リーマンショック」という表現とのつながりを連想していた。リーマンショックのとばっちりで夫が解雇された後、専業主婦生活を捨てて復職に成功した女性たちのことなのだろうか。だが、リーマンショックの被害者たちは、こんなにオシャレにバンバン気合いを入れる余裕があるのだろうか。他にそれらしき定義を思いつくことができなかった私は、そんなことを真剣に考えてしまった。

 

実は、「リーマム」の定義は4月号の「この春、働くベーシックをバージョンアップ!宣言」という特集記事で説明されていた。この特集記事の最初のページの右下に丸囲みで「What’sリーマムとは?」という見出し(英語と日本語の組み合わせ方が間違っているとツッコミを入れたくなる)の下に、「週5日会社通勤するサラリーマン・マザーを “リーマム” と命名」と書かれている。だが、それを発見したのは、この投稿をしたためていたつい先ほどのことであった。ファクトチェックのためにバックナンバーで「リーマム」が使われているページを探していたときのことである。何ゆえ今まで気がつかなかったのかというと、たいていの場合は写真をチラ見するだけで、自分が興味のある内容のページしかじっくり読んでいなかったからだ。そういうわけで、私は雑誌『Very』電子版の8月号を受信するまで、この「リーマム」の意味を理解していない状態であった。8月号から連載が始まった相鉄線とのコラボ記事のタイトル「もしも、リーマムのわたしが相鉄線沿線に住んだら・・・・・・・未来予想図」を見て、ついにググることを決意したのだった。

 

関西出身で現在は外国住まいの私にとって、神奈川県を走る相鉄線沿線での生活シミュレーションなどまったく無縁・無用な話題だが、これほどまでに激用されているこの「リーマム」という表現の意味を知らないままでいるわけにはいかないと感じた。そこで「リーマム意味」というキーワードでググったところ、最初に出てきたのは、「仮想敵国VERY」というカテゴリで楽天ブログに投稿されている雑誌『Very』バッシングのような記事だった。内容はこの雑誌に対してかなり攻撃的だが、「リーマム」というVery用語は「週5日勤務するサラリーマン・マザーのことで、戦場のようなバタバタな朝を経て出社するも、オフィスでは余裕顔で仕事をこなす、仕事と育児・家事を両立させ、バイタリティあふれるキラキラ輝くママたちのことらしいぜ」という説明が導入部にあった。これを読んだとき、私は「あ~っっっっっ!!!!」と思わず絶叫してしまった。「リーマム」とは、大正時代から使われ始めたとされている「サラリーマン」という和製英語http://gogen-allguide.com/sa/salaried_man.html)と、「お母さん」を意味する英語の「Mumマム)」の造語だったのか!つまり、純粋な日本語で言う「働くお母さん」のことなのだ。これはあまりにも意外すぎて、拍子抜けしてしまった。

 

「働くお母さん」を指す現代日本語には、「ワーママ」というのもあるらしい。これは、Weblio実用日本語表現辞典にも定義が載っている (ワーママとは - 日本語表現辞典 Weblio辞書)。英語の「Working mother(ワーキングマザー)」から派生した「ワーキングママ」の略式ということだが、この表現を初めて見たとき、私は冗談抜きで、「わがまま」をどこかの地方の訛りで発音したものだと思った。それにしても、現代の日本社会は一体どうして、これほどまでに外国語から派生したカタカナ語を実用日本語として激用するのだろうか。果たしてこの現象は、日本語の「進化」と受け止めるべきものなのだろうか。松田源治が健在であったら、それこそ「何事ぢゃあ!」と喝を入れてくるに違いない。

 

そんなことを考える私はやはり、重度の浦島太郎症候群にかかっているのだろうか。

 

続く

 

日本語進化論①

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 注:これは朝日新聞DIGITALの『ことばマガジン』から拝借した松田源治のインタビュー記事の見出し部

 

 

最近の日本の家庭では、父親と母親のことを「パパ」と「ママ」と呼ぶパターンが定着化しているのではないだろうか。雑誌(特に女性誌)などを読んでいても、すっかり男親と女親の代名詞になっているように思われる。そのうちに、あのNHKの幼児向け教育番組の名作「おかあさんといっしょ」(なんと、放送開始年は1956年!)でさえ、「ママといっしょ」に改名されてしまうのではないだろうか。昭和後期生まれの私が子供だった頃は、自分の親を「パパ」「ママ」と呼ぶのは恥ずかしいことだという考え方が主流であった。実際、私自身も両親に対して呼びかけるときは「お父さん」「お母さん」、そして第三者に両親のことを話すときは「父」「母」と言うように躾けられていた。だから、自分が「ママ」と呼ばれると、何とも言えない違和感を覚える。そのため、英語を自分の第一言語としている4歳の娘にも「オカアサン」と呼ばせている。英国人の夫を含む第三者に私のことを話す場合は英語の「Mummy(マミィ)」を認めているが、私本人に向かっては「オカアサン」を徹底させている。というわけで、娘の発言の大部分は英語だが、「オカアサン」はちゃんと英語訛りの日本語で言ってくれる。一方、父親のことは日本語を母国語とする私に対しても英語の「Daddy(ダディ)」のままである。「オトウサン」も教え込むべきなのかもしれないが、なぜかまだ実行に移せていない。

 

「パパ」「ママ」は明らかに外来語であるが、いつから日本で使われるようになったのだろうか。このことが気になって探りたい衝動に駆られ、ヤフッてみた(このときは外出中であったためiPhoneで検索。私のPCの検索エンジンはグーグルがデフォルト設定になっているが、iPhoneの場合はヤフーになっている)。「パパ」「ママ」という呼び方を日本人が使い始めた時期を明記する記事やサイトは見つからなかったが、朝日新聞DIGITALの『ことばマガジン』というコーナーに6年前に掲載された面白い記事に出くわした。「昔新聞・昭和(元~10年)の記事 パパ、ママとは何事ぢゃあ!」というタイトルで、1934年(昭和9年)8月30日の東京朝日新聞朝刊11面に掲載されていた当時の文部大臣、松田源治のインタビュー記事について解説したものだ。

(興味のある人はこちらをどうぞ:http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/mukashino/2011010600005.html )

 

 このインタビュー記事は、「日本精神の作興を大方針としてゐる松田文相が『どうも近頃家庭でパパだのママだのといふ言葉が流行ってゐるやうだが、あれは以ってのほかのことだ、日本人はちゃんと日本語を使ってお父うさん、お母あさんと呼ばねばいかん。あんなパパ、ママを使ふからやがては日本古来の孝道が廃れるんぢゃ』といふわけで近く機会を見て幼稚園や小学校の関係者にもパパ、ママご法度のおふれを出すといふ噂が、二十九日文部省から放送された」という書き出しで始まっている。すると、「パパ」「ママ」はすでに昭和9年の時点で、当時の文部大臣が「けしからん!」と憤慨するほど流行っていたということか。私はてっきり戦後に始まったトレンドだと思っていたので、これは以外だった。

 

このインタビューで松田文相は、「といって我輩は何も排他的ではない、外国語も大いに勉強して外国の長を採り益々我国古来の文明を光輝あらしめねばならない、然るに外国の長所と共に短所をも取り入れてゐる、しかも取り入れた短所の多いのは実に残念である、パパ、ママの如きも其の一例である、マッチ、ラムプの如く従来なかった物は仕方がない、あれは国語である、パパさんママさんなどといふのとは違ふ」と議論している。この記事が掲載された2年後の1936年(昭和11年)に心臓麻痺で急逝(満60歳)した松田源治だが、もし81年後の現世に蘇って今の新聞や雑誌を手にしたら、外国語が語源のカタカナ語や外国語をベースとした造語の氾濫ぶりを見て、再び心臓発作を起こしてしまうのではないだろうか。

 

だが、外国語の影響というのは多くの言語に見られる現象だ。以前にも言及したが、英語(特に英国の英語)にはフランス語が語源の単語や表現が以外に沢山ある。そして、権威あるアカデミーフランセーズがその純度の維持を司るフランス語にも、英語やアラビア語から派生した言葉が存在する。しかも、フランス語には日本語が語源の言葉もいくつかあって面白い。「Sushi(寿司)」や「Saké(酒)」、「Manga(漫画)」など日本固有の物事の名称がそのまま使われるのは自然なことだが、フランス語の名称や表現が昔から存在するのに日本語が好まれて使われている例でとっさに思いつくのは、「être Zen(エートル・ゼン)」や「kakémono(カケモノ)」である。「être Zen(エートル・ゼン)」の「Zen」は禅宗の「禅」だが、ここでは「落ち着いた」「冷静な」「リラックスした」などの意味の形容詞として使われている。ちなみに「être」は英語のBe動詞、日本語の「~だ/~である」「~です/~ます」にあたり、主語に合わせて活用する(Je suis, Tu es, Il/Elle est, Nous sommes, Vous êtes, Ils/Elles sont)。フランス人は、自分が冷静な状態であったりリラックスした気分のときに、「Je suis Zen!」という表現をよく使う。一方、「kakémono(カケモノ)」とは、広告・広報業界でよく使われる単語で、実は日本では一般的に「ロールアップバナー」と呼ばれている広告資材のことである。日本の「掛物(掛け軸)」から来ているのだが、純粋なフランス語の名称(banderole verticale)があるにも関わらず、日本語が語源の「kakémono」が使われることが多い。

 

ある言語に外国語の単語や表現が浸透するという事態は何世紀も前からあったことだろうが、特にインターネットやソーシャルメディアが普及している現代社会では、そのボリュームとスピードはかつてないレベルに達しているに違いない。だが、日本語ほど外来語が氾濫している言語は他にないのではないかと私はよく思う。そのうえ、日本語の進化のスピードは恐ろしいほど速い。毎年のように数々の新語が生み出され、その中には外国語ベースの造語も多い。海外生活が長い私は日本に里帰りするたびに「浦島太郎症候群」にかかるのだが、知らない芸能人・有名人の数だけでなく、この著しく進化する現代日本語もその原因のひとつである。近年ではウェブやソーシャルメディア、雑誌や文庫の電子版などで現代日本語の知識をある程度定期的に更新することができている私だが(ただしギャル語は対象外)、インターネットがまだ一般家庭に十分普及していなかった頃には、あの分厚くて重い『現代用語の基礎知識』や『イミダス』を日本から欧州に持ち帰ったこともある。今では技術発展の恩恵を受けながら日本語の進化になんとかついて行っているつもりであるが、それでも日本の友人や知人から教わって初めて知った新語や新表現もいくつかある。その代表例は「イケメン」だ。

 

この単語を初めて目にしたのは確か2010年のこと。プロゴルフ関係の仕事でやり取りをしていた日本の関係者からのメールに、あるプロゴルファーの描写として使われていた。それが何を意味するのかまったく知らなかった私は、プライドを捨ててメールの送り主に教えを乞うた。「イケてるメン(ズ)」の略で、男前、ハンサムという意味だったとは想像もしなかった。雑誌『egg(エッグ)』の1999年1月号で使用されたのが最初であるそうだから、私がその存在を知ったのは10年以上も経ってからということになる。「イケメン」から「イクメン」という派生語も誕生している。2010年6月に長妻昭労働大臣が少子化打開の一助として「イクメンという言葉を流行らせたい」と国会で発言し、男性の子育て参加・育児休暇取得促進を目的とした「イクメンプロジェクト」なるものを始動させたというから驚いた。

 

「イケメン」を輩出した『egg』のように、新語や新表現の火付け役となったファッション・ライフスタイル誌の好例に、モテるオヤジの聖書『LEON(レオン)』がある。これは男性誌だが実は私も長年のファンで、「ちょい悪オヤジ」や「楽ジュアリー」などのウィットに富む表現が小粋で好きだ。そして、浸透率の高いカタカナベースの造語を数多く生み出した雑誌と言えば、そう、またあの『VERY(ヴェリイ)』ではないだろうか。創刊20周年を超え、全女性ファッション誌の中で売り上げ1位という有力誌だが、私が初めてこの雑誌の存在を知ったのは、実は今年の1月に里帰りしたときのことであった。ファッション関係の翻訳案件がよく入ってくるようになったため、ボキャブラリーや表現のベンチマークとして日本のファッション・ライフスタイル誌を数冊入手しようと本屋で物色していたときに店員さんに勧められて購入した。自分に近い世代が読者層なので実生活の参考になる内容もあるだろうとページをめくっていくと、「ママ的」や「ママ可愛い派」、「モールカジュアル」、「鉄板スタイル」、「イケダン」などの、浦島太郎の私にはまったく目新しい表現がいくつもあった。後に電子版を定期購読するようになり、毎号のように今まで聞いたこともなかった新語・新表現に遭遇している。「園ママ」、「袖コン」、「ゆるホワイト」、「綿達ママ」、「化繊妻」などなど。たいていの場合はなんとなく意味が分かるのだが、まったく理解できず、推測することさえできずに定義をググりまくったVERY用語がある。

 

それは、「リーマム」であった。

 

続く

魔法の絵本⑤

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注:これは、この記事を投稿した2日後に実家から届いた日本語版の写真

 

超話題のベストセラー『The Rabbit Who Wants to Fall Asleep』は、24時間で魔力を失ってしまった。それどころか、娘はこの本に対して憎悪さえ抱くようになってしまったようで、本にパンチを食らわせている。前夜のあの驚異的な効果は夢にすぎなかったのか。たった1度の実験で衝動的に日本語版とその姉妹版を注文してしまったのは、迂闊すぎる行為だったのだろうか。落胆と動揺を隠しきれない私をよそに、夫は「You are right! I don’t like it either!」と言って娘をなだめると、『The Rabbit Who Wants to Fall Asleep』を放り投げ、別の英語の本を読み始めた。

 

その夜は結局、別の英語の本2冊と日本語の本1冊でやっと娘は寝入った。所要時間は40分ぐらいだったのではないだろうか。夫が投げ出した『The Rabbit Who Wants to Fall Asleep』を拾い上げて呆然と見つめていると、夫がこの本の批判を延々と述べ始めた。この本は子供だましの催眠術で、読み手と聞き手をバカにしている。ストーリーの中に娘の名前を登場させるたびに、懐疑心と嫌悪感が込み上げた。無理やり寝つかせようという意図が見え見え。すこぶる賢い娘(親バカ)には、そんなちんけなトリックは効かない。昨晩はお昼寝をしていなかったうえにたくさん運動したから疲れ果てていただけで、決してこの本が効力を発揮したわけではない、と熱弁をふるって私の手からロジャーを取り上げると、他の絵本の山の下に押し込んだ。夫同様に親バカ丸出しの私は、我が娘が利発すぎてこの本のしかけをすぐに見抜いてしまい、子供だましのストーリーに自尊心を傷つけられて怒ったのだという夫の分析に納得し、落胆を満足に転換することにした。

 

しかし、日本語版と姉妹版まで衝動買いしてしまった「魔法の絵本」だが、1度きりでお役目御免なのだろうか。アマゾンのカスタマーレビューは英語版も日本語版もポジティブなものばかりと思っていたが、よくよく見ると、夫と似たような批判的なコメントも2~3件あった。「無理やり寝かせるだけの本って感じで、絵本の良さゼロ」という厳しい意見もある。だが、買ってしまった以上、使わずに埃に埋もれさせるのはもったいない。特に、まだ効果を試していない日本語版はそうだ。『おやすみ、ロジャー』は表紙を見せただけで娘に拒否反応を起こされそうだが、まだ存在を知らない『おやすみ、エレン』なら、単なる「新しいオカアサンの本」として受け入れてくれるかもしれない。日本から届いたら、とりあえず『おやすみ、ロジャー』はしばらく隠しておいて、『おやすみ、エレン』で実験してみよう。こっちの方がイラストもずっと可愛いし、日本語だから題で『The Rabbit Who Wants to Fall Asleep』のシリーズ本だとバレることはないだろう。

 

こうして自分の衝動的な投資を正当化させるべく、様々な挽回策を頭の中で練り始める私であった。

 

魔法の絵本④

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アマゾン・ジャパンでのオーダーは、モバイルアプリを日本市場用に設定していないため、右手の人差し指1本でというわけにはいかない。もちろん、アプリの設定をアマゾンUKからアマゾン・ジャパンに切り替えればそれも可能であろうが、今の私にはアマゾンUKの方が使用頻度が断然高く、実用的だ。だから『おやすみ、ロジャー』の注文は両手の指(主に人差し指、中指、薬指)を駆使し、PCでアマゾン・ジャパンのサイトにアクセスして実行した。

 

アマゾンUKで『The Rabbit Who Wants To Fall Asleep』をオーダーした時には気が付かなかったのだが、この本には『おやすみ、エレン』という姉妹版(?)もある。レパートリーは増やした方が良いだろうからと、『おやすみ、ロジャー』と一緒に注文した。同じ著者と監訳者による「魔法のぐっすり絵本」シリーズで小ゾウが主人公。英語のタイトルは『The Little Elephant Who Wants To Fall Asleep』だから、日本語版同様にシリーズでパターン化した題のつけ方だ 。だが、アマゾン・ジャパンの商品ページに表示されている表紙のイラスト(上の画像)は、『おやすみ、ロジャー』と比べると数10倍カラフルで可愛らしい。この点が気になったので商品の説明を読んでみると、内容紹介には「ロジャーで寝た子も寝なかった子も楽しめる!3つのポイント」として、1. 日本の読者の要望により、ガラッとイラストが変わりました。「ロジャーの絵がちょっと苦手だった」という方にもおすすめです。2. ゾウのエレンが不思議の森を冒険しながら楽しい新キャラクターたちと出会う楽しい物語に。3.「心理学的効果」にもとづく眠りの手法が「ロジャーで寝ない子」向けにパワーアップ! と書かれている。やはり、ロジャーの絵に眉をひそめたのは私だけではなかったようだ。それにしても、「日本の読者の要望」で前回のイラストレーターをクビにしてしまうほどの影響力を日本市場は持っているのか。そう言えば、雑誌『ヴェリイ』のインタビュー記事で監訳者の三橋美穂さんは、翻訳版で最も売れているのは日本語版だと語っていた。

 

かくして、『おやすみ、ロジャー』と『おやすみ、エレン』は注文した2日後にお届け先に指定されている私の実家に配達された。その2日後に実家の両親が英国の私の元へ発送してくれたようだが、私の手元に届くまでには5~6日かかるであろう。果たして日本語版は、英語を「自分の言語」と決めている娘に英語版と同レベルの効力(魔力)を発揮することができるのだろうか。娘は最近、私が日本語で言ったことを「今の英語で何て意味?」と(英語で)訊いてくることが多くなった。本を読み聞かせているときも、日本語の単語や表現に関する質問が増えている。やはり日本語は100%理解できているわけではないようなので、日本語で「魔法の本」を読んでも「たった10分で、寝かしつけ!」とはいかないかもしれない。これを実験するのが楽しみだ。

 

そして「10分で熟睡絵本!」英語版の魔力を目の当たりにした翌日月曜日の夜。歯磨きを済ませて私たちのベッドに潜り込んだ(これはまた別の機会の話題)娘は、例によって「ダディの本」をリクエストした。夫は娘に添うように横たわり、『The Rabbit Who Wants To Fall Asleep』を取り出すと、いつにも増して穏やかな声で最初のページを読み始めた。娘を夫と川の字に挟むように寝そべっていた私は、さり気なく娘の表情を観察していた。すると、最初は気のせいかと思ったが、夫が掲げている本を娘はしかめっ面で見つめているではないか。しかも、夫がストーリーを読みながら(本に指定されている箇所で)娘の名前を呼びかけるたびに、娘は私の方に振り返って怒ったような顔を見せる。本の指示に従ってあくびをすると、「ふんっ!」とそっぽを向く。そして3ページ目に入ったところで、「I don’t want to be in this story!」ともの凄い形相で抗議した。それでも夫はしばらく読み続けたが、自分の名前が聞こえるたびに娘は「No!」と怒りの声をあげる。ついには手足をバタバタさせて、「I don’t like it! I HATE this story!!」と泣き出してしまった。

 

続く

魔法の絵本③

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そして、ついに日曜日の夜。我が娘に対する『The Rabbit Who Wants to Fall Asleep』の効果を試す時が来た。歯磨きをしてベッドに入った娘は、いつものように「ダディの本」から読んでくれとねだる。そこで夫は『The Rabbit Who Wants to Fall Asleep』を手に取り、「さあ、今夜は新しいストーリーだよ!」と娘の好奇心を煽った。寝つかせようとしている時にあまり興奮させるべきではないと思ったが、黙って観察することにした。

 

I am going to tell you a story that can make you feel very sleepy...」と、夫は静かな声でゆっくりと冒頭を読み始めた。時折あくびをしたり、娘の名前を呼んだりしている。どうやらこれは、この本に組み込まれている演出のようだ。優しいささやきのような夫の声が、眠りたいのに眠れないロジャーというウサギのことを紹介する。聞き手である娘とまったく同じ歳だとか。ロジャーの兄弟姉妹はもうとっくにぐっすり眠っているが、ロジャーはなかなか眠れない。お父さんウサギももう眠り込んでいて、まだ眠っていないのはロジャーの他にお母さんウサギだけ。いつもなら、本を読んで聞かせていると横から色々と口を出してくる娘だが、今日は黙って聞き入っている。

 

しばらくして、「フーっ」というため息が聞こえた。娘の顔をそっとのぞいて見ると、目は閉じていて、しゃぶっていた左の親指が口から落ちそうになっている。「おっ!これは!?」と思った矢先、娘は寝返りを打って再び大きなため息をつくと、スース―と寝息を立て始めた。私は「おおおおおっ~‼」と思わず叫びそうになったが、声を殺して「ワオ!ワオ!ワオ!」と驚喜した。なんと、5ページも読まないうちに、あのつわものの娘が熟睡している!所要時間は5分弱。これは凄い!凄すぎる!娘の世界新記録だ!これにはさすがにこの本を敬遠していた夫も驚愕した。本当に魔法の本だ。なんという魔力。これはまさに、絵本に見せかけた催眠術だ。効果テキメン。夫と私は目をウルウルさせて見つめ合い、音が出ないように「エア拍手」をした。

 

それにしても、なんとも信じられない力を持つ本だ。作者は行動心理学者ということだが、私には『眠りの森の美女』に出てくる3人の妖精の弟子と同格の人物だ。物語の中に自然に眠りに誘うせりふや動作がちりばめられていて、心理学的効果があるとか。聞き手である子供の名前を呼びかけるのは、物語の中にスッと入り込みやすくなるからだそうだ。この夜、わが娘はこの本の監訳者、三橋美穂さんの説明をすべて実証した。「10分で熟睡絵本!」どころではない。「5分で爆睡絵本!」である。

 

絵本だというのに絵がミニマリスト的であるのは、鮮やかな色を数多く使ったり、ごちゃごちゃと細かいものまで描いた絵で子供の視覚を刺激しすぎないようにするためなのだろうか。確かに娘は、読んでもらっている絵本の絵をしっかり観察しているようで、細部を指差して様々な指摘をする。私たちなら見逃しているような点にもしっかりチェックを入れている。だから普段はページごとに2~3回ぐらいの頻度で質問や指摘が飛んで来るため、なかなか物語を読み進めることができない。つまり、今までベッドタイムに読み聞かせていた絵本は刺激が強すぎるということなのだろうか。これからは、視覚的そして聴覚的な刺激を抑えたベッドタイム向けの絵本を選ぶべきだろうか。

 

この驚異的な実験結果を目撃してから10分後、私はアマゾン・ジャパンでこの本の日本語版『おやすみ、ロジャー』を注文していた。

 

続く

魔法の絵本②

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我が娘は4歳児にしては就寝時間が遅い。もっと小さい頃からそうだった。それは親である私たちの責任なのだろうが、夜の9時前に寝入ることは非常に珍しい。8時30分ぐらいにベットに入っても、本を数冊読んで聞かせないと寝つかない。何度もベッドに入れる時間を早めようと試みたが、成功したためしがほとんどない。いつもなんだかんだと理由をつけて起きている。大抵の場合、まず夫が英語の本を読んで聞かせる。そしていつも最低でも2冊は読まないと納得しない。その後、「もうネンネしなさい」と言っても、「今度はオカアサンの本!」とねだる(「オカアサン」だけ日本語)。しぶしぶ日本語の本を読んで聞かせるが、私も2~3冊読む羽目になることもある。「ダディの本が1冊、オカアサンの本が1冊」とルールを決めても、「ヤダ!」(これは日本語で言える)とグズって眠ろうとしない。だが、3冊ぐらい読んで納得すると、すぐにスヤスヤと寝入る。相当疲れ果てている時以外はこのパターン。だからこの日の夜も、夫は英語の本を2冊読んで聞かせた。しかし、夫が選んだ2冊目も、『The Rabbit Who Wants to Fall Asleep』ではなかった。

 

何ゆえに夫はあの絵本を選ばないのか。効果抜群と高い評価を受けていることはちゃんと教え込んだはず。不可解な夫の選択に苛立ちを感じたが、ベッドタイムの娘の目の前で言い争いをするわけにはいかない。そこで黙って見守ることにした。案の定、娘は2冊目の英語の本が終わった後、私に日本語の本を読んでくれとねだり出した。「もう遅いからダメ」と言っても納得しない。結局、「本当に本当の最後の1冊」と約束させて、短めの日本語の本を読んで聞かせた。読み終わった後、娘は約束どおり目を瞑り、しばらくするとスヤスヤと寝息をたてて眠り始めた。ベッドに入ってから寝入るまでの経過時間は約30分、いや、もっと経っていたかもしれない。

 

なぜ『The Rabbit Who Wants to Fall Asleep』を読んで聞かせなかったのかを夫に問い正したくてたまらなかったが、出張から戻ったばかりで疲れているだろうと気を遣い、その夜はぐっと堪えることにした。そして翌日土曜日の夜。今度こそはと期待を膨らませていたが、夫はまたしても別の本を選んだ。私は内心半ギレ状態だったが、夫が2冊目にどの本を選ぶかを見極めてから抗議することにした。そして2冊目も別の本。再び夫に期待を裏切られて怒った私はついに、『The Rabbit Who Wants to Fall Asleep』を夫の目の前に突きつけ、「なんでコレ読まないの!」と爆発した。すると夫は、「この本にはテキストが多すぎる!読むのがうっとおしい!」と反論した。私はムカッときて、「そんなことない!これは幼児用の絵本なんだから!」と言いながらページをめくってみた。すると確かに、見開きページの右側はテキストがぎっしり詰まっている。次のページも、その次のページもそうだ。左側のページには、子供の絵本の絵というよりも小説の挿絵に近い、どちらかと言うとシンプルであまり可愛いとは言えない絵が描かれている。使われている色も、最高でも4色ぐらいしかない。確かに、読み手へのアピール度は低い。だから夫はこの本を敬遠していたのだ。

 

夫がこの本を避けていた理由は分かったが、せっかく購入したのだから試さずにいる訳にはいかない。雑誌『ヴェリイ』掲載の三橋美穂さんのインタビューで読んだこの本の秘密を延々と説明し、なんとか翌日の日曜日の夜こそは試してみることに対する夫の合意を得ることに成功した。

 

続く