けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

日本語進化論①

f:id:Kelly-Kano:20170813002450j:plain

 注:これは朝日新聞DIGITALの『ことばマガジン』から拝借した松田源治のインタビュー記事の見出し部

 

 

最近の日本の家庭では、父親と母親のことを「パパ」と「ママ」と呼ぶパターンが定着化しているのではないだろうか。雑誌(特に女性誌)などを読んでいても、すっかり男親と女親の代名詞になっているように思われる。そのうちに、あのNHKの幼児向け教育番組の名作「おかあさんといっしょ」(なんと、放送開始年は1956年!)でさえ、「ママといっしょ」に改名されてしまうのではないだろうか。昭和後期生まれの私が子供だった頃は、自分の親を「パパ」「ママ」と呼ぶのは恥ずかしいことだという考え方が主流であった。実際、私自身も両親に対して呼びかけるときは「お父さん」「お母さん」、そして第三者に両親のことを話すときは「父」「母」と言うように躾けられていた。だから、自分が「ママ」と呼ばれると、何とも言えない違和感を覚える。そのため、英語を自分の第一言語としている4歳の娘にも「オカアサン」と呼ばせている。英国人の夫を含む第三者に私のことを話す場合は英語の「Mummy(マミィ)」を認めているが、私本人に向かっては「オカアサン」を徹底させている。というわけで、娘の発言の大部分は英語だが、「オカアサン」はちゃんと英語訛りの日本語で言ってくれる。一方、父親のことは日本語を母国語とする私に対しても英語の「Daddy(ダディ)」のままである。「オトウサン」も教え込むべきなのかもしれないが、なぜかまだ実行に移せていない。

 

「パパ」「ママ」は明らかに外来語であるが、いつから日本で使われるようになったのだろうか。このことが気になって探りたい衝動に駆られ、ヤフッてみた(このときは外出中であったためiPhoneで検索。私のPCの検索エンジンはグーグルがデフォルト設定になっているが、iPhoneの場合はヤフーになっている)。「パパ」「ママ」という呼び方を日本人が使い始めた時期を明記する記事やサイトは見つからなかったが、朝日新聞DIGITALの『ことばマガジン』というコーナーに6年前に掲載された面白い記事に出くわした。「昔新聞・昭和(元~10年)の記事 パパ、ママとは何事ぢゃあ!」というタイトルで、1934年(昭和9年)8月30日の東京朝日新聞朝刊11面に掲載されていた当時の文部大臣、松田源治のインタビュー記事について解説したものだ。

(興味のある人はこちらをどうぞ:http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/mukashino/2011010600005.html )

 

 このインタビュー記事は、「日本精神の作興を大方針としてゐる松田文相が『どうも近頃家庭でパパだのママだのといふ言葉が流行ってゐるやうだが、あれは以ってのほかのことだ、日本人はちゃんと日本語を使ってお父うさん、お母あさんと呼ばねばいかん。あんなパパ、ママを使ふからやがては日本古来の孝道が廃れるんぢゃ』といふわけで近く機会を見て幼稚園や小学校の関係者にもパパ、ママご法度のおふれを出すといふ噂が、二十九日文部省から放送された」という書き出しで始まっている。すると、「パパ」「ママ」はすでに昭和9年の時点で、当時の文部大臣が「けしからん!」と憤慨するほど流行っていたということか。私はてっきり戦後に始まったトレンドだと思っていたので、これは以外だった。

 

このインタビューで松田文相は、「といって我輩は何も排他的ではない、外国語も大いに勉強して外国の長を採り益々我国古来の文明を光輝あらしめねばならない、然るに外国の長所と共に短所をも取り入れてゐる、しかも取り入れた短所の多いのは実に残念である、パパ、ママの如きも其の一例である、マッチ、ラムプの如く従来なかった物は仕方がない、あれは国語である、パパさんママさんなどといふのとは違ふ」と議論している。この記事が掲載された2年後の1936年(昭和11年)に心臓麻痺で急逝(満60歳)した松田源治だが、もし81年後の現世に蘇って今の新聞や雑誌を手にしたら、外国語が語源のカタカナ語や外国語をベースとした造語の氾濫ぶりを見て、再び心臓発作を起こしてしまうのではないだろうか。

 

だが、外国語の影響というのは多くの言語に見られる現象だ。以前にも言及したが、英語(特に英国の英語)にはフランス語が語源の単語や表現が以外に沢山ある。そして、権威あるアカデミーフランセーズがその純度の維持を司るフランス語にも、英語やアラビア語から派生した言葉が存在する。しかも、フランス語には日本語が語源の言葉もいくつかあって面白い。「Sushi(寿司)」や「Saké(酒)」、「Manga(漫画)」など日本固有の物事の名称がそのまま使われるのは自然なことだが、フランス語の名称や表現が昔から存在するのに日本語が好まれて使われている例でとっさに思いつくのは、「être Zen(エートル・ゼン)」や「kakémono(カケモノ)」である。「être Zen(エートル・ゼン)」の「Zen」は禅宗の「禅」だが、ここでは「落ち着いた」「冷静な」「リラックスした」などの意味の形容詞として使われている。ちなみに「être」は英語のBe動詞、日本語の「~だ/~である」「~です/~ます」にあたり、主語に合わせて活用する(Je suis, Tu es, Il/Elle est, Nous sommes, Vous êtes, Ils/Elles sont)。フランス人は、自分が冷静な状態であったりリラックスした気分のときに、「Je suis Zen!」という表現をよく使う。一方、「kakémono(カケモノ)」とは、広告・広報業界でよく使われる単語で、実は日本では一般的に「ロールアップバナー」と呼ばれている広告資材のことである。日本の「掛物(掛け軸)」から来ているのだが、純粋なフランス語の名称(banderole verticale)があるにも関わらず、日本語が語源の「kakémono」が使われることが多い。

 

ある言語に外国語の単語や表現が浸透するという事態は何世紀も前からあったことだろうが、特にインターネットやソーシャルメディアが普及している現代社会では、そのボリュームとスピードはかつてないレベルに達しているに違いない。だが、日本語ほど外来語が氾濫している言語は他にないのではないかと私はよく思う。そのうえ、日本語の進化のスピードは恐ろしいほど速い。毎年のように数々の新語が生み出され、その中には外国語ベースの造語も多い。海外生活が長い私は日本に里帰りするたびに「浦島太郎症候群」にかかるのだが、知らない芸能人・有名人の数だけでなく、この著しく進化する現代日本語もその原因のひとつである。近年ではウェブやソーシャルメディア、雑誌や文庫の電子版などで現代日本語の知識をある程度定期的に更新することができている私だが(ただしギャル語は対象外)、インターネットがまだ一般家庭に十分普及していなかった頃には、あの分厚くて重い『現代用語の基礎知識』や『イミダス』を日本から欧州に持ち帰ったこともある。今では技術発展の恩恵を受けながら日本語の進化になんとかついて行っているつもりであるが、それでも日本の友人や知人から教わって初めて知った新語や新表現もいくつかある。その代表例は「イケメン」だ。

 

この単語を初めて目にしたのは確か2010年のこと。プロゴルフ関係の仕事でやり取りをしていた日本の関係者からのメールに、あるプロゴルファーの描写として使われていた。それが何を意味するのかまったく知らなかった私は、プライドを捨ててメールの送り主に教えを乞うた。「イケてるメン(ズ)」の略で、男前、ハンサムという意味だったとは想像もしなかった。雑誌『egg(エッグ)』の1999年1月号で使用されたのが最初であるそうだから、私がその存在を知ったのは10年以上も経ってからということになる。「イケメン」から「イクメン」という派生語も誕生している。2010年6月に長妻昭労働大臣が少子化打開の一助として「イクメンという言葉を流行らせたい」と国会で発言し、男性の子育て参加・育児休暇取得促進を目的とした「イクメンプロジェクト」なるものを始動させたというから驚いた。

 

「イケメン」を輩出した『egg』のように、新語や新表現の火付け役となったファッション・ライフスタイル誌の好例に、モテるオヤジの聖書『LEON(レオン)』がある。これは男性誌だが実は私も長年のファンで、「ちょい悪オヤジ」や「楽ジュアリー」などのウィットに富む表現が小粋で好きだ。そして、浸透率の高いカタカナベースの造語を数多く生み出した雑誌と言えば、そう、またあの『VERY(ヴェリイ)』ではないだろうか。創刊20周年を超え、全女性ファッション誌の中で売り上げ1位という有力誌だが、私が初めてこの雑誌の存在を知ったのは、実は今年の1月に里帰りしたときのことであった。ファッション関係の翻訳案件がよく入ってくるようになったため、ボキャブラリーや表現のベンチマークとして日本のファッション・ライフスタイル誌を数冊入手しようと本屋で物色していたときに店員さんに勧められて購入した。自分に近い世代が読者層なので実生活の参考になる内容もあるだろうとページをめくっていくと、「ママ的」や「ママ可愛い派」、「モールカジュアル」、「鉄板スタイル」、「イケダン」などの、浦島太郎の私にはまったく目新しい表現がいくつもあった。後に電子版を定期購読するようになり、毎号のように今まで聞いたこともなかった新語・新表現に遭遇している。「園ママ」、「袖コン」、「ゆるホワイト」、「綿達ママ」、「化繊妻」などなど。たいていの場合はなんとなく意味が分かるのだが、まったく理解できず、推測することさえできずに定義をググりまくったVERY用語がある。

 

それは、「リーマム」であった。

 

続く