けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

現代女性のプレッシャー③

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今の時代の女性が感じるプレッシャーは外見だけの問題に止まらない。働き方、生き方そのものにもかなりのプレッシャーがあると思う。

 

今から8年前の2009年1月。当時フランスのサルコジ大統領政権の法相であったラシダ・ダティは、帝王切開で女児を出産した5日後に職場復帰し、フランス内外で大きな物議を醸した。確か44歳で初出産。未婚のシングルマザーで、子供の父親の名前は2012年まで公表していなかった(フランスのカジノ産業大手ルシアン・バリエール・グループのCEOを相手に子供の認知訴訟を起こし、2016年に勝訴)。父親の正体はゴシップメディアの恰好の話題となったが、賛否両論を大きく分けたのは、出産後(しかも帝王切開)たったの5日で職場復帰したという事実だった。

 

彼女の職場復帰ニュースはここ英国でも大きく報道され、メディアに様々な意見が飛び交っていた。シックな黒のタートルネックワンピースドレスにこれまた黒のベルベットのジャケット。そして、出産したばかりとは思えないほど颯爽とした歩きぶり(しかも15cmぐらいありそうなハイヒールを履いてのこと)。この彼女の姿を、「出産後も超スピーディーに仕事に戻るパワフルなスーパーウーマン」の象徴と見る女性もいれば、「仕事と地位を誰かに横取りされてしまうリスクを恐れておちおちと産休を取っていられない女性の実情」と憐れむ声もあがった。サルコジ大統領からのマタハラに遭っていたという噂も流れた。

 

ダティ法相が職場復帰したその日はその年の最初の閣議が開かれた日でもあり、サルコジ大統領はフランス法制度の大々的な改革を発表した。そんな国の一大事を前に、大病を患っている身でもないのに休んでいる暇などない!と言うところだろうか。さらに、サルコジ大統領が次回に内閣改造を実行すれば暇を出される可能性が高い閣僚のひとりとして、ダティ法相の名前が少し前からあがっていたという。モロッコ人(父)とアルジェリア人(母)の移民の娘(12人兄弟姉妹(!)の上から2番目)としてフランス中部に生まれた彼女は、金融関連の職を経験した後にフランスの名門グランゼコールのひとつである国立司法学院に学び、受任裁判官や検事代理を務めたエリート。2002年には当時内相であった二コラ・サルコジの顧問を務め、2007年5月にサルコジが大統領選(大統領選挙キャンペーン中は彼のスポークスパーソンを務めた)に当選すると法相に任命された。移民の子であり、女性である(しかもなかなかの美人)ということで、ポジティブ・ネガティブの両面で注目を浴びる存在だった。そのような背景を持つフランス政府の要人であった彼女を凡人の私たちと比較するのは、双方にとって理不尽すぎるかもしれない。彼女には彼女なりの理由があっただろう。私はその理由を詮索するつもりはないし、選択を批判するつもりもない。そして賞賛するつもりもない。ただ、あの姿を「パワフルなスーパーウーマンの象徴」か「おちおちと産休を取っていられない女性の実情」のどちらと見るかと聞かれると、私は後者だと答える。ダティ法相のあの姿は、私の目には「女性が直面するプレッシャーの代表例」と映った。

 

生き方とは、それぞれの選択(選択肢がないという場合もあるが)なのであって、賛否両論があっても、人の道を外れるようなことをしない限り正解・不正解はないはず。だが、その「選択」にあたって、現代を生きる女性には、男性よりも複雑なプレッシャーがあると思う。そして、こう書いてしまうと男性からクレームが飛んで来るかもしれないが、「選択」に犠牲や妥協がつきまとうという事態も、女性の方が多いのではないだろうか。進学(か否か)、就職(か否か)、結婚(か否か)、結婚後も仕事を続けるか否か、出産、子育て、復職か否か、夫の転勤についていくか否か、離婚するか否か、離婚しても経済的に自立できるか否かなどなど。。。自分が行った選択の結果の責任は自分にあるのだが、事情を把握していない他人から理不尽な批判を受けることもある。

 

こういった現代女性のプレッシャーには、自分で自分に課しているものがあるのも事実。テレビや雑誌やソーシャルメディア、または自分の周囲で「キャリアで成功している女性」や「起業した女性」、様々な分野で「活躍している女性」、つまり「輝いている女性」を目の当たりにし、その人たちの生き方やあり方に憧れ、その憧れがいつの間にか「こうでなければならない」という思い込みに発展し、目標や理想像に近づけていない自分に劣等感と焦燥感を抱くというパターンは、私自身にも実に思い当たる。キャリアだけに限らず、子育てや趣味、福祉活動やコミュニティワークのようなアクティビティなど、誇りや情熱をもって打ち込めることをしている人、持っている人は、そのようなネガティブなプレッシャーを自分に課すことはないのだろう。こういう女性たちこそが雑誌ヴェリイの言う「基盤のある女性」であり、「輝いている女性」であるに違いない。

 

そう考えると、今の私はまだまだ基盤を固めようと暗中模索している段階にあると実感する。

現代女性のプレッシャー②

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出産後間もないというのに人間とは思えないパーフェクトボディを披露したセレブと言われて即座に頭に思い浮かぶのは、超売れっ子ブラジル人スーパーモデルのジゼル・ブンドチェン。確か、2012年の12月に第2子を出産してからほんの2ヵ月ぐらいしか経っていない頃に、ヴォーグ誌ブラジル版の表紙のためにポーズしていたと思う。私がそのニュースを取り上げた記事を見たのは、娘を出産してから数週間後のことだった。つい最近出産したというのが信じられないほど引き締まった美しいボディに黒のビキニとスリーブレスのレザージャケットというセクシーで大胆な姿。有力ファッション誌の表紙だから、きっとエアブラシがかかりまくっているのだろうが、それにしてもなんとも神々しい肉体美!美しいスーパーボディが商売道具(と書くと変な誤解を招くかもしれないが)のモデルだから、一日も早く出産前のボディを取り戻すための努力は相当なものだろう。だが、たったの2ヵ月でこんなに完璧に達成できるものなのか。ダンナさんはNFLのスーパースター、トム・ブレイディという、まるでギリシア神話アポロンアフロディーテのような超美男美女カップルだから、あまりにも非現実的すぎる。

 

40歳を過ぎて初出産した凡人の私の場合、出産後4年が経った今になってやっと、なんとかメリハリのある体型を取り戻し始めた。フランスから英国に移住して以来、会社勤めを辞めて自宅でコンピューターに何時間も向かう仕事をしているうえに、酒好きグルメ好きでかなりメタボが進んでいた。妊娠中にそれほど肥えたわけではなかったが、妊娠前からのプチ肥満状態がなかなか解消しなかった。脂肪燃焼スープなどの様々なダイエットを試してみたが、目に見える成果が出たことはほとんどない。ウォ―キングなどの有酸素運動が効果的と聞くと、毎日1時間ぐらい近所をスポーツウェア姿で徘徊した。「私はこのまま中年太りのオバハンとして生きていく定めなのか」と真剣に嘆いたことも何度かある。何をやっても痩せることができない体質になってしまったように思われ、鏡を見るたびに自信を失いそうになった。しかも、帝王切開の傷とその周辺は出産後3年近く経っても痛みを感じることがよくあり、疲れた時には傷周辺の皮膚が突っ張ったり、お腹が膨らんだりした。腰痛に悩まされることも頻繁で、カイロプラクターや接骨院に足しげく通っていた時期もある。理学療法士である夫の妹に相談したところ、ピラティスなどでコアを鍛えたらどうかと言われたが、なかなか実行に移せないでいた。それを昨年の末に決意を固め、ズンバ教室とパイヨ(PiYo:ピラティスとヨガにインスパイアされたワークアウト)教室に登録した。どちらも最初はかなり身体に堪えたが、孤独に黙々とやるウォ―キングとは違い、他の女性たちとノリのいい音楽に合わせてダンス気分で身体全体を動かすズンバと、これまた素敵な音楽に合わせて多種多様なポーズと動きをこなしていくパイヨにすっかりハマり、週4回ぐらいの頻度で通うようになった。20年前の私ならとっくに英国の美女アスリート、ジェシカ・エニス=ヒル級のボディをゲットしているのではと思えるぐらいの運動量だが、目に見える効果が出始めたのは通い始めて6ヵ月以上経過したつい最近のことだ。体重はそれほど変わらないのだが、確かに身体は全体的に引き締まってきた。おまけに帝王切開の傷とその周辺が傷むこともなくなった。

 

夫は私が自分のメタボボディを嘆くたびに、「君の中身に惚れてるんだから、そんなのまったく気にならない」とか「ラブラブしてあげる部分が増えただけ」と言ってくれていた。それでも自信は低下するばかり。人間の真の価値は中身の問題と頭で分かっていても、外見美崇拝の傾向が強い現代の先進国社会のプレッシャーに抵抗することが出来ない自分が情けない。2011年に44歳でサルコジ仏大統領(当時)との子供を出産した元スーパーモデルのカーラ・ブルーニサルコジのインタビューを読んだ時、妊娠前の体型を取り戻すのに2年かかったと告白する彼女の言葉には慰めを感じた。だが、その妊娠前の体型というのがこれまた女神級のものだから、俗世の凡人の私には目標にもならない。私の世代やそのひとつ下の世代の女性の間で絶大な人気を誇るファッション&ライフスタイル雑誌『Very(ヴェリイ)』は、「基盤のある女性は、強く、優しく、美しい」というスローガンを掲げているが、「みてくれ」という表面だけの問題に大きなプレッシャーを感じ、コンプレックスに包み込まれてしまう私には、この「基盤」がないということなのだろうか。そもそも、私にとっての「基盤」とは一体何なのだろう。

 

続く

現代女性のプレッシャー①

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日本でも大々的に報道されていたと思うが、今から2年前の2015年5月2日、英国王室のキャサリン妃が第2子シャーロット王女を出産した。私は特に英国王室ファンではないのでニュースを追っていたわけではないが、このロイヤルベビー誕生のニュースは目を瞑り、耳を塞いでいても入って来るというに近い大騒ぎぶりであった。そのうえ、このときは「ウィリアム王子とキャサリン妃に王女誕生」という歴史的イベントそのもの以外にも、非常に注目された要素があった。それは、出産後12時間も経たないうちに新生児と退院したキャサリン妃の、完璧としか言いようのない出で立ちである。

 

 

何気なくテレビでニュース番組を見ていた私は、後光が差すほど美しいキャサリン妃の退院姿に驚愕した。そしてとっさに口から出たのは、「やめてっ!!それってフェアじゃない!」という叫び。驚愕の後には苛立ちさえ覚えた。キャサリン妃は国際的に注目されている英国ロイヤルファミリーの一員。平民出身でモデルのようなルックスを持つ彼女は、英国のみならず世界の多くの国々で憧れの対象となっているだろう。だから常にメディアが付きまとい、写真も撮られまくる。そういう立場上、いつでも完璧なルックスを保たなければならないというプレッシャーがあるのだろうが、それにしても、出産後間もない姿がこんなに美しくあっていいものなのか?

 

 

艶々に輝くロングヘアには完璧なゆるめの縦巻きカール。少し濃いめだが絶妙なさじ加減のメイク。身に纏っていたのは英国を代表するデザイナー、ジェニー・パッカムによる、黄色の小花(キンポウゲ)プリントのワンピースドレス。シルク製だそうで、カスタムメイドアイテムだとか。そして足元には、高さ10cmはありそうなベージュのハイヒール(ジミー・チュウものらしい)。耳には英国人ジュエリーデザイナー、アヌーシュカのティアドロップパールのピアス。実は私も同じものを持っているが、キャサリン妃が使っているから買ったのでは決してなく、彼女が使い始める前から持っていた。夫からのプレゼントで、お気に入りアイテムのひとつだ。キャサリン妃もこのピアスを愛用しているようでメディアでよく取り上げられているが、プライドの高い私はそれを非常に迷惑に思っている。とにかく、出産という大仕事を終えて間もない(大変スムーズな安産だったそうだが)あの時のキャサリン妃は、スタイリッシュすぎて、エレガントすぎて、ラグジュアリーすぎて、非現実的すぎる。

 

 

庶民の私たちの大半は、出産のために入院するときには、ジャージやスウェットというむさ苦しい姿にボサボサのひっつめ髪、おまけにノーメイクというのが主流ではないだろうか。日本では出産後最低でも4日間は入院するらしいが、英国では順調な出産だった場合、その日か翌日に退院するのがごく普通。帝王切開出産でも予め予定されていた場合、朝に出産したらその日の夕方に退院というケースがほとんどだ。だから多くの人は、これまたジャージかスウェット姿に乱れ髪、そして出産の疲れでやつれた顔にノーメイクという、色気皆無の状態で退院する。私は予定日より21日も早く破水したが陣痛が起こらなかったため、20時間におよぶ誘発分娩の末に緊急帝王切開で娘を出産した。下半身麻酔の副作用で身体中がむくみ、脚は2倍ぐらいに膨れ上がって2日間ほど歩くこともままならなかった。退院したのは出産後3日目のことだったが(日本の母は「早すぎる!」と心配していた)、この時も身体のむくみは治っておらず、重たい脚を引きずりながらカタツムリペースでやっと前進できる程度であった。入院時に履いていたフラットなバレリーナシューズに足が入らなくなってしまっていたため、夫が家から持ってきてくれたビーチサンダルを履いた。ハイヒールなど、とても履けるような状態ではなかった。そして超ダサイひっつめ髪に、もちろんノーメイク。しかも妊娠後期から顔に肝斑が出ていて、ドス黒い肌に黄土色のフェイスマスクを付けているような顔面になっていた。エレガンスのエの字にも程遠いボロボロの姿であったが、娘の誕生という人生最大の出来事で幸せに包まれていた私には、そのようなルックスの問題などは頭になかった。これが現実世界の出産直後女性というものだ。

 

 

キャサリン妃には当然専属のスタイリストやヘアスタイリスト、メイクアップアーティストなどがついているだろうし、何と言っても将来の英国王妃だからパーソナルケアのレベルは庶民のそれと比較の対象にはならない。だが、あの時の、あまりにも完璧すぎて非現実的な彼女の姿は、現実世界の一般女性たちに不必要なプレッシャーを与えたと思う。実際、あのキャサリン妃の退院姿は英国中のママたちの間にショックの嵐を巻き起こした。ソーシャルメディアは出産経験のある女性たちの驚愕と羨望のコメントで溢れかえっていると、多くのメディアが報じていた。私のように一種の苛立ちを感じた女性も少なくなかったようだ。キャサリン妃は第1子ジョージ王子出産後の退院時もジェニー・パッカムの白い水玉模様が付いた水色のワンピースドレスにオフホワイトのウェッジサンダルというスタイリッシュな出で立ちだったが、髪は艶々ながらも自然体で、メイクもナチュラルメイク風であった。もちろん凡人より数十倍エレガントで美しかったが、もう少し俗世に近い印象を与える姿だったと思う。第2子出産後はなぜ、あれほど気合いの入ったスタイリングで登場したのだろうか。素が並みよりずっと綺麗な人なのだから、あそこまでしなくても十分美しいはず。一般人にはとうてい真似のできない技であるのに、「今の時代のママとは、こうあるべきなのよ!」という理不尽な模範を見せつけられたような気がした私は、単なる妬み屋なのだろうか……

 

続く

強がりと本音(注:これは2016年1月に他のメディアに掲載した記事に手を加えたもの)

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午後の仕事の友。

アルジェリア人シンガーソングライターのスワッド・マッシは、大のお気に入りアーティストのひとり。この人の透き通るような歌声は、アラビア語(注:彼女のはアルジェリアの方言。アラビア語と言っても、国によってかなり方言に違いがあるそうだ)の歌でも、フランス語の歌でも、心にしみる。

この人のアルバムは5つ持っているが、どれも順位をつけることができないぐらい好きだ。

今聴いているこのアルバムの中にある、『Yemma』というアラビア語の歌は、聴くだけでも心に訴えるものがあるが、フランス語の対訳を読むと、この上なく感銘を受ける。フランス語で書かれた副題は、「Maman, je te mens(お母さん、あなたに嘘ついてるの)」。

押しボタン式電話に番号を押す音で始まり、次に呼び出し音。そして受話器からスワッドのクリスタルのような声がギターのメロディーに合わせてアラビア語で歌う。

 

(試訳)


お母さん、これは嘘なのよ。あなたに嘘をつかないといけないの。
「何も不足してないわよ」
お母さん、これは嘘なのよ。あなたに嘘をつかないといけないの。
「お金は十分にあるわ」
お母さん、これは嘘なのよ。あなたに嘘をつかないといけないの。
「誰も私を侮辱したりしないわよ」
お母さん、これは嘘なのよ。あなたに嘘をつかないといけないの。
「涙なんて流してないわ」

こっちはとても寒いわ。
誰も私のことなんて気にしてくれない。
いったいどうやって、ここに留まることができたんだろう?
そして、いったいどうやって、冷たい大地に慣れることができたんだろう。

お母さん、太陽が恋しくて仕方がないわ。
いったいどうやって、ここまで耐えてこれたんだろう?
お母さん、鳥かごの中の鳥なんて、
何の役にも立たないわ。
もし大地が言葉を話すことができたら、
きっと私達を追放することでしょう。
豊かさは空から落ちてくるのに、
飢えで死んでしまう人達がいるのよ。


生まれ故郷を去って異国の地で生活する女性の強がりと本音を歌い上げた一曲。

いつしかの自分に重なるところがある。。。

年賀状からのエール(注:これは2016年1月に他のメディアに掲載した記事に手を加えたもの)

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パリの友人から届いた「年賀状」。

フランスの某自動車メーカー広報部時代からの友人・戦友だった彼女とは、その自動車メーカーを退社した後(私は彼女の1年後に退社)も、私が(今の夫と結婚するために)フランスを引きあげて英国に移住した2008年2月まで、同じグループの会社で一緒に仕事をした。

数年前、低能なのに嫉妬心だけは超一流の新任女性上司のパワハラに立ち向かい、他の同僚や自分が受けた理不尽な扱いと相手の不能さを告発してその会社を自主退社してからは、フリーランスの広報コンサルタントとして活動。その後、起業を志す女性をコーチングする La Méthode(発音: ラ・メトッド)という事業を立ち上げた。(ホームページ(仏語) http://lamethode.org

フランスの有力経済紙のシニアライターであった彼女のダンナさんは、「大企業のような組織は彼女の並外れた想像力を殺す」とよく言っていた。

 

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昔から、広報のメソッドやプロセス、研修プログラムなどの構築でその優れた創造力を発揮していた彼女から届いた「パクパク」折り紙スタイルのこの年賀状には、折り重なった部分をひとつづつ開けていくと、ウィットに富み、是非とも、なんとしてでも実行したい「新年の決意」が書かれている。

例えば、


Oser voir grand au lieu d'être raisonnable
(常に分別をわきまえるのではなく、大胆にもの事を考える勇気を持つ)

Se lever chaque jour en se disant que demain commence aujourd'hui
(毎日、「明日は今日始まる」と自分に言い聞かせて起床する)

Apprendre à ne pas toujours réfléchir avant d'agir
(時には熟考せずに行動を起こす、ということを学ぶ)

などなど。

 

そして折られた部分を完全に開くと、真ん中に大きく英語で書かれたメッセージ。


Life is not about finding yourself, it's about creating yourself.
(人生とは、自分を見つけることではない。人生とは、自分を創ることである。)

アイルランドの偉大な劇作家・社会主義者ジョージ・バーナード・ショーの名言だ。

厳しい状況に立たされている今の私達にとって、勇気と闘志を与えてくれる言葉。実にタイムリーなメッセージに、「やるぞ!」と奮い起つ。

アクセント

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英語では、「訛り」を「accent(アクセント)」と言う。これはフランス語でも同じだが、発音は「アクサン」(ただし、「サ」は「ソ」に近い音)。「訛り」の定義は『デジタル大辞泉』によると、「ある地方特有の発音。標準語・共通語とは異なった発音」とされている。だが、「訛り」を地方特有のものに限るこの定義は、ごく日本的なものではないだろうか。

 

学習辞書の権威、オックスフォード英英辞典のオンライン版で「accent」を調べると、最初の定義が「A distinctive way of pronouncing a language, especially one associated with a particular country, area, or social class」となっている。すなわち、「訛り」はある国や地域、または社会階級に特有の発音法ということだ。フランス語での定義を私が個人的によく使う仏仏辞書Larousse(ラルース:日本では白水社とタッグを組んで『白水社ラルース仏和辞典』を出している)のネット版で検索すると、「Ensemble de traits articulatoires (prononciation, intonation, etc) , propres aux membres d’une communauté linguistique (pays, région), d’un groupe ou d’un milieu social」とされている。「訛り」とはある言語コミュニティ(国や地方)や社会階層に属する人々に特有の発音法(発音、イントネーションなど)だと説明されており、どちらも「地方」に限定している日本語の定義より広い。

 

ある言語を、それを母国語としない人が話すと、その人の母国語の発音法が影響して「訛った」話し方になることが多い。また、母国語に存在しない音があるとその発音に苦労し、それが訛りの一部となる。私の英語もフランス語も、何らかの訛りが入っている。ただ、それを「日本語訛り」と言われたことはない。それはおそらく、私の周囲の英国人やフランス人が「日本語訛り」というのが実際にどのようなものであるかをよく知らないからであろうが、私の英語には軽いフランス語訛りがあると言われることがよくある。これは、喜んでいいのか、コンプレックスを抱くべきなのか、決めかねている。だが、英語のネイティブスピーカーの男性には、フランス語訛りの英語を話すフランス人女性を「とてもキュート」だとか「セクシー」だと言う人が多い。だから、私の英語にフランス語訛りがあると男性に言われた場合には、誉め言葉と受け止めるべきかもしれない。フランス語の方では、フランスから英国に移って数年後、パリの友人たちに私のフランス語には英語訛りがあると言われた。

 

同じ英語やフランス語を母国語とする人びとの間にも、様々な「訛り」の違いがある。一番大きな違いの要因は国であろう。米国人の英語と英国人の英語はかなり違う。私は長年ヨーロッパに住んでいるため英国人の英語の方が聞き慣れているが、米国人の英語の方が分かりやすいと言う日本人の方が多いかもしれない。さらに、南アフリカの英語やオーストラリア、ニュージーランドアイルランドスコットランドの英語もそれぞれ独特の「訛り」がある。フランス語にしても、ベルギーやスイス、アフリカ大陸のフランス語圏、カナダのケベック州で話されているフランス語は、フランスのフランス語とかなり発音法が違う。フランスのテレビや映画館では、訛りの強いフランス語圏の人物のインタビューや映画にフランス語の字幕を付けることもあるほどだ。そして、フランス人は他のフランス語圏の訛りをお笑いのネタにすることがよくある。その代表的な対象は、国際的に人気のあるケベック州出身カナダ人歌手のセリーヌ・ディオン。彼女がフランス語で歌っている時にはケベック訛りはまったく聞こえないのだが、喋り出すとやはり聞き取りにくく、ケベック人には申し訳ないが確かに字幕が欲しくなる。

 

ところで、超人気テレビシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』を観ていて気付いたのだが、最近の貴族、王族絡みの映画やテレビドラマは、例え米国で製作されたものでも英国人の俳優がキャストされていることが多い。『ゲーム・オブ・スローンズ』のような完全フィクションのファンタジー系ストーリーでもそうだ。英国の歴史にインスパイアされたという『ゲーム・オブ・スローンズ』では、主要登場人物の多くを英国人やアイルランド人の俳優が演じている。やはり、古代や中世時代を彷彿させる背景では、米国訛りの英語はしっくりこないと感じる人が多いのではないだろうか。もちろん、俳優という職業に就いている人びとは、役作りの際に自分が演じる人物に設定されている訛りをマスターする訓練を受けているだろう。数年前に、アンジェリーナ・ジョリーが英国人スパイ役でジョニー・デップと共演した『ツーリスト』(2010年)をテレビで観たが、この作品でアンジェリーナ・ジョリーは英国上流階級らしい英語を話していた。英国英語を母国語としない私には、それなりの英国上流階級英語に聞こえたが、英国人の夫は「イマイチだな」となかなか厳しい評価を下した。やはり一時的なトレーニング程度では、本物の訛りのレベルに達することができないのだろうか。

 

ずいぶん昔の作品になるが、ケビン・コスナー主演の『ロビンフッド』(1991年)は、英国人がよく笑いものにしている。ストーリーの主な舞台となる英国のNottingham(ノッティンガム)を、ケビン・コスナーをはじめとする米国人俳優陣が「ノッリンガム」と発音しているのが嘲りの対象となる。キャストの顔ぶれをチェックしてみると、主要登場人物のほとんどが北米人俳優によって演じられており、英国人俳優は悪役のジョージ代官を演じた故アラン・リックマンと、最後にチョロっとだけ出てくる獅子心王リチャードを演じたショーン・コネリー(彼はスコットランド人だが、今のところスコットランドはまだ独立していないので英国)ぐらいだ。

 

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エレベーターを送り返す(注:これは2016年2月に他のメディアに限定公開していた記事に手を加えたもの)

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フランス語の表現に、「Renvoyer l’ascenseur」(発音:日本人には非常に難しいが、喉の奥で「オ」と「ホ」と「レ」の中間音のような音で「オ」ンヴォワイエ ラソンスール)というものがある。直訳すれば、「エレベーターを送り返す」という意味だ。


エレベーターに乗る人は、自力で上に上がるのではない。エレベーターというメカニズムの助けを得て、スムーズに、スピーディーに上に上がる。それを人生に置き換えた表現がこれだ。エレベーターに乗って上に上がったら、下にいる人のためにエレベーターを送り返してあげる。つまり、他人の善意や支援を受けてある程度の地位を獲得したり成功を収めたら、「エレベーターを送り返す」ことで、下にいる人びとが上に上がってくるためのサポートする。善行を受けたなら、その人へ恩返しをするにとどまらす、今度は自分が誰かに善行を為す。それこそが真の恩返し。


プロとして成功し、富と名声を獲得したスポーツ選手が、ジュニア育成のための基金やトレーニングスクールなどを立ち上げるのは、まさにこの「Renvoyer l’ascenseur」の好例だ。ビジネス界でもそのような例はいくつもある。


私の友人の中にも素晴らしい例がある。その女性は、どちらかと言えば倹しい家庭に生まれた。幼いころから自立心が強く、常に目的を持った生き方をしてきた彼女は、14歳のころからバイトで学費を稼いでいた。高校生時代には昼休みに自分の学校のカフェテリアで働き、級友たちに給仕していた。持ち前の人を惹きつける能力と優れた決断力・行動力を発揮してある大企業のトップに昇りつめ、巨額の富を築いた。そんな彼女は、出身大学の名誉理事に任命された際、能力のある女子学生のための奨学基金として自分の財産の一部を大学に提供した。


誰も彼もがこのようなスケールでエレベーターを送り返すことができる訳ではないし、その必要もない。だが、他愛もない日常生活でできるレベルの「エレベーターの送り返し」はいくらでもある。それこそ文字通り、下で待っている人たちのためにエレベーターを送り返してあげることでもいい。重要なのはその気づきと実行。


それが自然にできる人物がごく身近にいる。わが夫だ。彼は根っから心の優しい人物であるが、その彼もこのフランス語の表現を座右の銘とし、前述の女性ほどのスケールとまではいかなくても、実によく人を助ける。「今は自分のことが優先でしょ」と私がツッコミを入れたくなることもたまにある。夫がそうやって人を助けるのは人気取りのためだなどと、非常にくだらないことを言う嫌味な人びともいる。だが私はそれがまったく事実に反していることを知っている。だから、そんなくだらない陰口は相手にしない。彼は、人を助け、その人の喜ぶ姿を目にすることでポジティブなエネルギーをもらい、それを自分の喜びとしている。私もそういう人間になりたい。


世の中には、他人の努力のおかげで実現した物事を、あたかも自分一人の手柄のように振る舞い、傲慢な態度をとる人物がいる。彼らの多くは、蓋を開けてみると、実際には大したことをしていない。しかもそういう人物のほとんどが、失敗の責任を他人になすりつける。作戦が成功しているかのように見えるときは勇敢な艦長。だが、戦艦が傾き始めると、乗組員と戦艦をとっとと見捨て、誰よりも先に逃げ出す。彼らは、エレベーターを送り返すどころか、後から上がってくる者がいないよう、エレベーターを停止させたり、破壊したりすることもある。そんな卑怯な人間には絶対になりたくない。


私はまだまだ人間としての修業の最中であるが、人としてのインテグリティを保ち続けているつもりだ。そして、「Renvoyer l’ascenseur」の実践が自然にできる人間になりたいと常に思っている。


私にとって、「Renvoyer l’ascenseur」と同じぐらい重要な言葉は、「What goes around comes around」。直訳すれば、「(自分から)出たものは(自分に)返ってくる」、すなわち、「因果応報」だ。これは迷信でも、神頼みの言葉でもない。社会が人と人のつながりで成立している証拠であり、経験に基づいた古人の戒めなのだ。


じっと目を見つめ、一言 「What goes around comes around」 とだけ言ってやりたい相手は数名いる。だがこれはまず、自分自身の心にしっかりと刻んでおきたい。