けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

アクセント

f:id:Kelly-Kano:20170714062246j:plain

英語では、「訛り」を「accent(アクセント)」と言う。これはフランス語でも同じだが、発音は「アクサン」(ただし、「サ」は「ソ」に近い音)。「訛り」の定義は『デジタル大辞泉』によると、「ある地方特有の発音。標準語・共通語とは異なった発音」とされている。だが、「訛り」を地方特有のものに限るこの定義は、ごく日本的なものではないだろうか。

 

学習辞書の権威、オックスフォード英英辞典のオンライン版で「accent」を調べると、最初の定義が「A distinctive way of pronouncing a language, especially one associated with a particular country, area, or social class」となっている。すなわち、「訛り」はある国や地域、または社会階級に特有の発音法ということだ。フランス語での定義を私が個人的によく使う仏仏辞書Larousse(ラルース:日本では白水社とタッグを組んで『白水社ラルース仏和辞典』を出している)のネット版で検索すると、「Ensemble de traits articulatoires (prononciation, intonation, etc) , propres aux membres d’une communauté linguistique (pays, région), d’un groupe ou d’un milieu social」とされている。「訛り」とはある言語コミュニティ(国や地方)や社会階層に属する人々に特有の発音法(発音、イントネーションなど)だと説明されており、どちらも「地方」に限定している日本語の定義より広い。

 

ある言語を、それを母国語としない人が話すと、その人の母国語の発音法が影響して「訛った」話し方になることが多い。また、母国語に存在しない音があるとその発音に苦労し、それが訛りの一部となる。私の英語もフランス語も、何らかの訛りが入っている。ただ、それを「日本語訛り」と言われたことはない。それはおそらく、私の周囲の英国人やフランス人が「日本語訛り」というのが実際にどのようなものであるかをよく知らないからであろうが、私の英語には軽いフランス語訛りがあると言われることがよくある。これは、喜んでいいのか、コンプレックスを抱くべきなのか、決めかねている。だが、英語のネイティブスピーカーの男性には、フランス語訛りの英語を話すフランス人女性を「とてもキュート」だとか「セクシー」だと言う人が多い。だから、私の英語にフランス語訛りがあると男性に言われた場合には、誉め言葉と受け止めるべきかもしれない。フランス語の方では、フランスから英国に移って数年後、パリの友人たちに私のフランス語には英語訛りがあると言われた。

 

同じ英語やフランス語を母国語とする人びとの間にも、様々な「訛り」の違いがある。一番大きな違いの要因は国であろう。米国人の英語と英国人の英語はかなり違う。私は長年ヨーロッパに住んでいるため英国人の英語の方が聞き慣れているが、米国人の英語の方が分かりやすいと言う日本人の方が多いかもしれない。さらに、南アフリカの英語やオーストラリア、ニュージーランドアイルランドスコットランドの英語もそれぞれ独特の「訛り」がある。フランス語にしても、ベルギーやスイス、アフリカ大陸のフランス語圏、カナダのケベック州で話されているフランス語は、フランスのフランス語とかなり発音法が違う。フランスのテレビや映画館では、訛りの強いフランス語圏の人物のインタビューや映画にフランス語の字幕を付けることもあるほどだ。そして、フランス人は他のフランス語圏の訛りをお笑いのネタにすることがよくある。その代表的な対象は、国際的に人気のあるケベック州出身カナダ人歌手のセリーヌ・ディオン。彼女がフランス語で歌っている時にはケベック訛りはまったく聞こえないのだが、喋り出すとやはり聞き取りにくく、ケベック人には申し訳ないが確かに字幕が欲しくなる。

 

ところで、超人気テレビシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』を観ていて気付いたのだが、最近の貴族、王族絡みの映画やテレビドラマは、例え米国で製作されたものでも英国人の俳優がキャストされていることが多い。『ゲーム・オブ・スローンズ』のような完全フィクションのファンタジー系ストーリーでもそうだ。英国の歴史にインスパイアされたという『ゲーム・オブ・スローンズ』では、主要登場人物の多くを英国人やアイルランド人の俳優が演じている。やはり、古代や中世時代を彷彿させる背景では、米国訛りの英語はしっくりこないと感じる人が多いのではないだろうか。もちろん、俳優という職業に就いている人びとは、役作りの際に自分が演じる人物に設定されている訛りをマスターする訓練を受けているだろう。数年前に、アンジェリーナ・ジョリーが英国人スパイ役でジョニー・デップと共演した『ツーリスト』(2010年)をテレビで観たが、この作品でアンジェリーナ・ジョリーは英国上流階級らしい英語を話していた。英国英語を母国語としない私には、それなりの英国上流階級英語に聞こえたが、英国人の夫は「イマイチだな」となかなか厳しい評価を下した。やはり一時的なトレーニング程度では、本物の訛りのレベルに達することができないのだろうか。

 

ずいぶん昔の作品になるが、ケビン・コスナー主演の『ロビンフッド』(1991年)は、英国人がよく笑いものにしている。ストーリーの主な舞台となる英国のNottingham(ノッティンガム)を、ケビン・コスナーをはじめとする米国人俳優陣が「ノッリンガム」と発音しているのが嘲りの対象となる。キャストの顔ぶれをチェックしてみると、主要登場人物のほとんどが北米人俳優によって演じられており、英国人俳優は悪役のジョージ代官を演じた故アラン・リックマンと、最後にチョロっとだけ出てくる獅子心王リチャードを演じたショーン・コネリー(彼はスコットランド人だが、今のところスコットランドはまだ独立していないので英国)ぐらいだ。

 

 同じ英国の英語でも、地方によって「訛り」がかなり違ってくる。さらに、「訛り」よりワンランク上の「方言(英語ではdialect(ダイアレクト)、フランス語ではdialecte(ディアレクト))」が絡んでくる場合もある。これは日本語でも同じだ。私の留学先であったバーミンガムは、「Brummie (ブラミー)」と呼ばれる強い訛りで悪名高い。様々な地方や国々から学生が集まるキャンパス内では「標準語」のような英語が主流であったが、街中に繰り出すと、店やレストランでブラミー訛りの英語を理解するのに四苦八苦したことが何度もある。自分の英語力に自信を失いかけたが、他の地方から来た英国人の同級生に「心配しないでいいよ。英語を母国語とする私たちでさえ、ブラミー訛りは理解できないのだから!」と言われて安心した。また、インド・パキスタン系の移民が多いバーミンガムでは、ブラミー訛りにヒンディー訛りやベンガル訛り、ウルドゥー訛りなどが混じって、より一層聞き取りにくいこともあった。

 

スコットランド人の訛りもなかなか手強い。方言もかなり入っているので、慣れていない人には非常に聞き取りにくいだろう。なんとか聞き取れても、理解に苦しむことがあるかもしれない。だが、人口約500万人という、大阪府の人口にも満たないスコットランド内でさえも、地域によって訛りに大きな違いがある(大阪府内でも後述の河内弁など、訛りに差が結構あるのも事実)。非スコットランド人が一般的に「理解しがたいスコットランド訛り」と評しているのは、おそらくグラスゴー地域の訛りだろう。歌っているのか、怒っているのか、質問しているのか判断しがたい話し方だ。早口の人も多い。我が夫はスコットランド人だがハイランド地方のインバネス出身で、彼の英語には訛りがほとんどない。長年イングランドに住んでいるからかもしれないが、グラスゴー出身のある友人によると、インバネス地方の英語は英国内でも純粋な発音法の英語だそうだ。彼の話では、グラスゴー出身の人びとにとって、テレビのアナウンサーは不可能に近い職であるが、インバネス出身者はひっぱりだこだとか(ただし、夫はこれを全面否定している)。

 

これまたハリウッド映画のエピソードになるが、13世紀末にスコットランド独立のために戦った歴史的英雄ウィリアム・ウォレス(実在の人物)の生涯を描いた『ブレイブハート』では、オーストラリア人のメル・ギブソンがウォレスを演じていた。この映画が公開されたのは1995年で、私はフランス在住中にテレビで観た。フランスのテレビでは外国映画の大半はフランス語吹き替えで放映されるため、私もこの映画を最初に見たのはフランス語版でのことだった。今の夫と結婚してから、英国のテレビで一緒にこの映画の「オリジナル版」を観た。夫はメル・ギブソンスコットランド訛りを「わざとらしい」とこけ落としていた。『ツーリスト』のアンジェリーナ・ジョリーの英国英語もそうだが、やはり本物の訛りをマスターするのは部外者には至難の業なのだろうか。そして、非英国人が英国訛りを真似すると不自然に聞こえるのと同様に、同じ英国人でも非スコットランド人にはスコットランド訛りの真似は難しいようだ。スコットランド訛りに限らず、出身地以外の訛りを本格的に使いこなせるようになるには長い歳月を要するのだろう。そう言えば高校生時代、ある朝ドラかトレンディードラマで関東出身の女優が大阪人の役を演じているのを観て、その「やらせ大阪弁」に「ちゃうで!」とかなりの違和感を覚えたことがある。

 

 

フランスでは、訛りはどちらかと言うとお国柄や地方色を象徴する「チャーミング」なものと見なされていたと思うが、英国ではオックスフォード英英辞典の定義にも記されているように、社会階級や地位を反映するものという見解も強い。話し方やボキャブラリーだけの問題ではないようだ。だから中産階級の家庭では、少しでも家計に余裕があれば子供を私立学校に通わせ、知的で上品なアクセントの英語を習得させるという。もちろん、私立学校の教育システムや設備、パストラルケアの質の高さが一番のモチベーションであるのだろうが、このアクセントの習得もなかり重要な決定要因だと夫は言う。それを裏付けするような例が身近に存在する。リバプール出身(ここの訛りもかなり手強い)のある友人女性は、ロンドンの大手弁護士事務所に在籍していたこともある有能な弁護士だが、私立教育を受けていないためか今でも強いリバプール訛りの英語を話す。この訛りのために見下されることが何度もあった、と彼女は言っていた。これは地方の訛りと社会階級の訛りがオーバーラップしたエピソードであるが。

 

大阪南部出身の私は、幼稚園の年長組から大学生ぐらいまで「泣く子も黙る河内弁(または泉州弁)」を喋っていた。幼稚園の年長組からというのは、それまでは父の会社が堺市の新興住宅地に新設した社宅に住んでおり、住人の大半が関東出身の人たちであったため標準語が公用語となっている環境で育ったからである。岡山出身の父は高校卒業後すぐに上京して以来、田舎者のコンプレックスを克服するために標準語を徹底して習得したようで、大阪在住歴の方がずっと長い今でも標準語に近い喋り方をする。母は大阪出身だが、父の影響からか、当時はそれほど関西弁を使っていなかった。そういう環境から今の実家がある大阪南部に引っ越しし、地元の幼稚園に編入した初日、泉州弁で会話している周囲の子供たちが何を言っているのか理解できず、泣きそうになった。それでも子供の順応力は素晴らしいもので、1週間も経たないうちに自分も泉州弁をスラスラと使い始めていたと思う。私の泉州弁はおそらく中学生の頃が最盛期だっただろう。反抗期のティーンエージャー泉州弁/河内弁というのは、強烈な組み合わせだったに違いない。だがそれは、様々な地方から学生が集まる大学で次第に薄れていき、24年の海外生活でほぼ完全に失われてしまった。今の私の日本語はおそらく標準語もどきであろう。ただ、関東の友人や知人には、ところどころに「関西のイントネーション」が聞こえるとよく言われる。また、日本語が堪能なある日本在住フレンチカナディアンの友人に、私の口の動かし方はフランス語での動かし方に近く、私の日本語にフランス語訛りが出ていると言われたこともある。日・英・仏いずれの言語を話しても、掴みどころのない訛りが出てしまうようになった私。得体の知れない訛りだから、社会階級の定義にはならないだろう。ならば、これからは、「ミステリアスでエキゾチックな人物」というイメージをウリにしてみようか、などと目論んでみる。