けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

エレベーターを送り返す(注:これは2016年2月に他のメディアに限定公開していた記事に手を加えたもの)

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フランス語の表現に、「Renvoyer l’ascenseur」(発音:日本人には非常に難しいが、喉の奥で「オ」と「ホ」と「レ」の中間音のような音で「オ」ンヴォワイエ ラソンスール)というものがある。直訳すれば、「エレベーターを送り返す」という意味だ。


エレベーターに乗る人は、自力で上に上がるのではない。エレベーターというメカニズムの助けを得て、スムーズに、スピーディーに上に上がる。それを人生に置き換えた表現がこれだ。エレベーターに乗って上に上がったら、下にいる人のためにエレベーターを送り返してあげる。つまり、他人の善意や支援を受けてある程度の地位を獲得したり成功を収めたら、「エレベーターを送り返す」ことで、下にいる人びとが上に上がってくるためのサポートする。善行を受けたなら、その人へ恩返しをするにとどまらす、今度は自分が誰かに善行を為す。それこそが真の恩返し。


プロとして成功し、富と名声を獲得したスポーツ選手が、ジュニア育成のための基金やトレーニングスクールなどを立ち上げるのは、まさにこの「Renvoyer l’ascenseur」の好例だ。ビジネス界でもそのような例はいくつもある。


私の友人の中にも素晴らしい例がある。その女性は、どちらかと言えば倹しい家庭に生まれた。幼いころから自立心が強く、常に目的を持った生き方をしてきた彼女は、14歳のころからバイトで学費を稼いでいた。高校生時代には昼休みに自分の学校のカフェテリアで働き、級友たちに給仕していた。持ち前の人を惹きつける能力と優れた決断力・行動力を発揮してある大企業のトップに昇りつめ、巨額の富を築いた。そんな彼女は、出身大学の名誉理事に任命された際、能力のある女子学生のための奨学基金として自分の財産の一部を大学に提供した。


誰も彼もがこのようなスケールでエレベーターを送り返すことができる訳ではないし、その必要もない。だが、他愛もない日常生活でできるレベルの「エレベーターの送り返し」はいくらでもある。それこそ文字通り、下で待っている人たちのためにエレベーターを送り返してあげることでもいい。重要なのはその気づきと実行。


それが自然にできる人物がごく身近にいる。わが夫だ。彼は根っから心の優しい人物であるが、その彼もこのフランス語の表現を座右の銘とし、前述の女性ほどのスケールとまではいかなくても、実によく人を助ける。「今は自分のことが優先でしょ」と私がツッコミを入れたくなることもたまにある。夫がそうやって人を助けるのは人気取りのためだなどと、非常にくだらないことを言う嫌味な人びともいる。だが私はそれがまったく事実に反していることを知っている。だから、そんなくだらない陰口は相手にしない。彼は、人を助け、その人の喜ぶ姿を目にすることでポジティブなエネルギーをもらい、それを自分の喜びとしている。私もそういう人間になりたい。


世の中には、他人の努力のおかげで実現した物事を、あたかも自分一人の手柄のように振る舞い、傲慢な態度をとる人物がいる。彼らの多くは、蓋を開けてみると、実際には大したことをしていない。しかもそういう人物のほとんどが、失敗の責任を他人になすりつける。作戦が成功しているかのように見えるときは勇敢な艦長。だが、戦艦が傾き始めると、乗組員と戦艦をとっとと見捨て、誰よりも先に逃げ出す。彼らは、エレベーターを送り返すどころか、後から上がってくる者がいないよう、エレベーターを停止させたり、破壊したりすることもある。そんな卑怯な人間には絶対になりたくない。


私はまだまだ人間としての修業の最中であるが、人としてのインテグリティを保ち続けているつもりだ。そして、「Renvoyer l’ascenseur」の実践が自然にできる人間になりたいと常に思っている。


私にとって、「Renvoyer l’ascenseur」と同じぐらい重要な言葉は、「What goes around comes around」。直訳すれば、「(自分から)出たものは(自分に)返ってくる」、すなわち、「因果応報」だ。これは迷信でも、神頼みの言葉でもない。社会が人と人のつながりで成立している証拠であり、経験に基づいた古人の戒めなのだ。


じっと目を見つめ、一言 「What goes around comes around」 とだけ言ってやりたい相手は数名いる。だがこれはまず、自分自身の心にしっかりと刻んでおきたい。