けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

現代女性のプレッシャー②

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出産後間もないというのに人間とは思えないパーフェクトボディを披露したセレブと言われて即座に頭に思い浮かぶのは、超売れっ子ブラジル人スーパーモデルのジゼル・ブンドチェン。確か、2012年の12月に第2子を出産してからほんの2ヵ月ぐらいしか経っていない頃に、ヴォーグ誌ブラジル版の表紙のためにポーズしていたと思う。私がそのニュースを取り上げた記事を見たのは、娘を出産してから数週間後のことだった。つい最近出産したというのが信じられないほど引き締まった美しいボディに黒のビキニとスリーブレスのレザージャケットというセクシーで大胆な姿。有力ファッション誌の表紙だから、きっとエアブラシがかかりまくっているのだろうが、それにしてもなんとも神々しい肉体美!美しいスーパーボディが商売道具(と書くと変な誤解を招くかもしれないが)のモデルだから、一日も早く出産前のボディを取り戻すための努力は相当なものだろう。だが、たったの2ヵ月でこんなに完璧に達成できるものなのか。ダンナさんはNFLのスーパースター、トム・ブレイディという、まるでギリシア神話アポロンアフロディーテのような超美男美女カップルだから、あまりにも非現実的すぎる。

 

40歳を過ぎて初出産した凡人の私の場合、出産後4年が経った今になってやっと、なんとかメリハリのある体型を取り戻し始めた。フランスから英国に移住して以来、会社勤めを辞めて自宅でコンピューターに何時間も向かう仕事をしているうえに、酒好きグルメ好きでかなりメタボが進んでいた。妊娠中にそれほど肥えたわけではなかったが、妊娠前からのプチ肥満状態がなかなか解消しなかった。脂肪燃焼スープなどの様々なダイエットを試してみたが、目に見える成果が出たことはほとんどない。ウォ―キングなどの有酸素運動が効果的と聞くと、毎日1時間ぐらい近所をスポーツウェア姿で徘徊した。「私はこのまま中年太りのオバハンとして生きていく定めなのか」と真剣に嘆いたことも何度かある。何をやっても痩せることができない体質になってしまったように思われ、鏡を見るたびに自信を失いそうになった。しかも、帝王切開の傷とその周辺は出産後3年近く経っても痛みを感じることがよくあり、疲れた時には傷周辺の皮膚が突っ張ったり、お腹が膨らんだりした。腰痛に悩まされることも頻繁で、カイロプラクターや接骨院に足しげく通っていた時期もある。理学療法士である夫の妹に相談したところ、ピラティスなどでコアを鍛えたらどうかと言われたが、なかなか実行に移せないでいた。それを昨年の末に決意を固め、ズンバ教室とパイヨ(PiYo:ピラティスとヨガにインスパイアされたワークアウト)教室に登録した。どちらも最初はかなり身体に堪えたが、孤独に黙々とやるウォ―キングとは違い、他の女性たちとノリのいい音楽に合わせてダンス気分で身体全体を動かすズンバと、これまた素敵な音楽に合わせて多種多様なポーズと動きをこなしていくパイヨにすっかりハマり、週4回ぐらいの頻度で通うようになった。20年前の私ならとっくに英国の美女アスリート、ジェシカ・エニス=ヒル級のボディをゲットしているのではと思えるぐらいの運動量だが、目に見える効果が出始めたのは通い始めて6ヵ月以上経過したつい最近のことだ。体重はそれほど変わらないのだが、確かに身体は全体的に引き締まってきた。おまけに帝王切開の傷とその周辺が傷むこともなくなった。

 

夫は私が自分のメタボボディを嘆くたびに、「君の中身に惚れてるんだから、そんなのまったく気にならない」とか「ラブラブしてあげる部分が増えただけ」と言ってくれていた。それでも自信は低下するばかり。人間の真の価値は中身の問題と頭で分かっていても、外見美崇拝の傾向が強い現代の先進国社会のプレッシャーに抵抗することが出来ない自分が情けない。2011年に44歳でサルコジ仏大統領(当時)との子供を出産した元スーパーモデルのカーラ・ブルーニサルコジのインタビューを読んだ時、妊娠前の体型を取り戻すのに2年かかったと告白する彼女の言葉には慰めを感じた。だが、その妊娠前の体型というのがこれまた女神級のものだから、俗世の凡人の私には目標にもならない。私の世代やそのひとつ下の世代の女性の間で絶大な人気を誇るファッション&ライフスタイル雑誌『Very(ヴェリイ)』は、「基盤のある女性は、強く、優しく、美しい」というスローガンを掲げているが、「みてくれ」という表面だけの問題に大きなプレッシャーを感じ、コンプレックスに包み込まれてしまう私には、この「基盤」がないということなのだろうか。そもそも、私にとっての「基盤」とは一体何なのだろう。

 

続く