けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

英国幼児お遊びグループ体験記〜教会編 ②(注:これは2016年2月に他のメディアに限定公開していた記事に手を加えたもの)

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娘のそばを離れることができないでいる私のために、W君のママがミルクティーとビスケットを持ってきてくれた。が、O君がハイハイでいろんな所へ動き回っているし、W君のオムツを替えないといけなくなったりで、彼女とゆっくりと話をすることができないまま、「おかたづけタイム」になった。常連のママたちや年長の子どもたちは、テキパキとボランティアのスタッフと一緒に片付けをしている。私は、機関車トーマスのなかまたちのひとり(1台)である紫色の機関車ロージーを手放したがらない娘の説得に悪戦苦闘していた。

気がつくと、周囲はきれいに「おかたづけ」されており、中央のお遊びコーナーに他の子供たちと保護者が集まっていた。保護者の多くはこのお遊びコーナーを取り囲むように並べられた椅子に座っていたが、中には子供と一緒に中央のカーペット上で三角座りをしている人もいた。私は娘を他の子供たちと座らせ、周囲の空いている椅子を探した。やっと見つけた空き椅子は娘の位置からかなり離れていたため、そこに座るのは諦め、娘からできるだけ近い椅子の後ろに立った。

ハンズフリーマイクを右の耳に着用した仕切り役の女性が、「ミュージックタイム」を告げた。すると数名のボランティアが子供たちにプラスチックのマラカスを配り始め、常連の子供たちが飛びついた。そしてロック調の音楽がスピーカーから流れ出し、子供たちはマラカスを振ったり、踊ったりし始めた。W君もマラカスと一緒に腰を振ってツイストを踊り、すっかりノリノリだ。娘は突然の集団ロックダンスに圧倒されたのか、「Mummy、オカアサン、Cuddle(抱っこ)!」と泣き出してしまった。

椅子の壁をまたいで娘の所へ行き、抱っこしてやると、娘は泣き止んだが、不安そうに左手の親指を吸いながら、躍り狂う子供たちを観察していた。隣にいた誰かのママが娘にマラカスを渡してくれたが、娘は「No Thank You」と断った。我が子ながら、礼儀正しい。

ロックダンスの次は童謡だった。『If you are happy and you know it』 ーすなわち、『幸せなら手をたたこう』だ。娘は英語版も日本語版も知っているが、先ほどの集団ロックダンスによほど圧倒されたのか、私が日本語で歌って「あなたも歌えるよね!」と言っても、首を激しく横に振るだけで歌わなかった。その次もまた童謡だったが、これは私の知らないものだった。

「では、おまちかねのお話タイムですよ!」と仕切り役の女性(おそらく50歳は過ぎている)がマイクで叫ぶと、子供たちが嬉しそうに歓声をあげた。「わあ、どんなお話か楽しみだね!」と語りかけると、さっきまで不安そうにしていた娘は首を縦に振って同意した。

「じゃあ、テディを呼びましょう!」と言って、仕切り役の女性は布が掛けられたテーブルで隠されている自分の足元からクマのぬいぐるみを出してきた。同時に、数名のボランティアが、吸い口が付いた清潔なプラスチック製のカップとビスケットを子供たちに配り始めた。飲み物は水かアップルジュースかを選択できる。娘は水を選び、ビスケットを1枚受け取ると、ボランティアの女性に「Thank You」と言った。お利口さんだ。それにしても、なんとも至れり尽くせりのサービスだろう。

感心しながら再び仕切り役の女性の方をよく見ると、彼女の右後ろには腕人形用の舞台が設けられている。「お話タイム」は人形劇式のようだ。飲み物とビスケットの配給が終わったところで、「今度はテディと一緒に、みんなでいっせいにスペシャルなお友達を呼びましょう!」と仕切り役が吠えた。その後に子供たちが叫んだ名前は、一瞬聞き間違えかと耳を疑った。舞台にはまだ、クマのぬいぐるみを抱えた仕切り役の女性しか見えない。「あれっ?どうしたのかな?出てこないね。もう一度、大きな声で呼びましょう!」という彼女の声に続いて子供たちが叫ぶ。

「ミスター・バイブル〜っ!」

続く

英国幼児お遊びグループ体験記〜教会編 ①(注:これは2016年2月に他のメディアに限定公開していた記事に手を加えたもの)

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これは、先日娘に体験させた幼児お遊びグループの1コマの写真。我が家から車で15分ぐらいの場所にある教会(アングリカン、つまり英国国教会)で、毎週火曜日の朝10時から2時間程度、1歳〜5歳児を主な対象として開かれている集まりだ。

娘は週3回の頻度で保育園に通っているが、保育園に行かない日はいろいろ「エンタテインメント」を考えなければならない。天気が良ければ近所の遊び場で遊ばせたり、我が家の庭でガーデニングごっこやゴルフもどきをする。雨や風の日は、家の中でお絵描きをしたり、レゴでお城を作ったり、子供映画のDVDやテレビの幼児用番組を見せたり。こちらで「ソフトプレイ」(日本ではアダルト映画関連ぽく聞こえるかもしれないが)と呼ばれる屋内の遊び場(有料)に連れて行くこともある。

今回はママ友達のひとりに誘われて、この幼児お遊びグループに参加してみることにした。彼女とは出産前の育児セミナーで知り合った。家が結構近いので、お互いの出産以降も定期的に会っている。彼女のところには、娘の2ヵ月後に生まれた男の子と、その1年半後に生まれた2人目の、これまた男の子がいる。上の子と娘は生まれたての頃からの付き合いで仲良しだ。娘のボーイフレンド的存在だが、ここではW君と呼ぶ。下の子(ここではO君と呼ぶ)も、一丁前にお姉さんぶる娘に結構なついている。W君&O君兄弟のママは専業主婦で、子供を保育園に行かせていないため、他の子供たちとの交流の場を求めて複数のお遊びグループに参加している。この教会でのお遊びグループは、W君がかなり気に入っているらしい。

という訳で、先週の火曜日の朝、娘をこのお遊びグループに連れて行った。冷たい風が強く吹く朝だった。緑が多い地域にある教会で、周囲にはコテージスタイルの住宅が数軒ある程度。それ以外は緑の野原や農場という風景は、日本人が憧れる風光明媚な英国の田園地帯のイメージに近い。教会の近くに到着すると、駐車場にはぎっしりと車が並んでいた。よく見ると奥にさらに駐車スペースがあるようで、退職者とおぼしき初老の男性が数名、次々にやってくる車を誘導している。ボランティアであろう。なかなかしっかりした組織だなと感心しつつ、最初に見つけたスペースに駐車して娘をカーシートから降ろした。

ピューピューと吹き付ける冷たい風に背中を押され、「会場」に駆け込んだ。教会の建物自体は17世紀ぐらいに建てられた歴史あるものだが、昨年内部の改修工事が行われたそうで、入口にはモダンな感じがするガラスドアがある。中に入るとすでに大盛況。子供たちは30人ぐらいはいるように見えた。参加登録の手続きを済ませ、参加料の2ポンドを払った。大人はコーヒーか紅茶とビスケットのサービス(無料)を随時利用でき、子供たちには「お話タイム」に飲み物とビスケットが配られるという。

会場内は4つぐらいのお遊びコーナーに分けられており、それぞれのコーナーを取り囲むように保護者用の椅子が並べられている。玩具や本、楽器など、非常に充実した遊び道具が用意されていて 、プリンセスやスーパーヒーローごっこができるコスプレコーナーもある。そして保護者のためのドリンクコーナーにも、それぞれのお遊びコーナーにも、数名のボランティアがスタンバイしている。実に行き届いたサービスだ。

娘の保育園は少人数制なので、娘は大人数のグループには慣れていない。会場の中に入ったときから不安そうに私のそばを離れず、キョロキョロしていたが、W君を見つけると顔がパッと明るくなった。W君も嬉しそうに近寄ってきて娘をギュッとハグしたが、すぐにお遊びコーナーに飛んで帰ってしまった。子供たちの多くは自分の遊びに専念していて、「皆で一緒に遊ぶ」という雰囲気ではなかったが、まあこれくらいの年齢の子供たちというのはそんなものだろう。

大半が常連のようで、保護者(大多数がママだが、パパらしき男性も数名いた)の多くはコーヒーや紅茶を飲みながら世間話をしている。私も久しぶりに会ったW君&O君兄弟のママと話をしたかったのだが、娘に一緒に遊べと手を引っ張られ、機関車トーマスの木製レールセットが設置されている机の方へ連れて行かれた。

ここのところ機関車トーマスにハマっている娘は夢中になってこのレールセットで遊んでいたが、私が少しでも離れようとすると、すぐにしがみ付いて泣きそうになる。「W君と一緒に遊んだら?」と言ってみたが、肝心のW君は別のコーナーで独りボール遊びに没頭して走り回っていた。

続く

コーシャー認定(注:これは2016年2月に他のメディアに限定公開していた記事に手を加えたもの)

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これは、東京の友人からもらった「世界に誇る『国酒』日本酒」(友田晶子著)の、獺祭と旭酒造を紹介するページの一部。

最近になって日本酒に覚醒した夫と私にとって、和英バイリンガルのこの本は非常に勉強になる。

先日ニルヴァーナに導いてくれた獺祭のページを読んでいて、この蔵元が海外への売り込みに大変積極的であることを知った。フランスに支店を置き、ソムリエや料理学校生を対象に日本酒セミナーを実施したり、海外からの研修生を受け入れたり。「へえ〜、すごいねえ〜」と感心しながら読み進み、この写真のくだりに来たとき、「おお〜っ」と身を引いてしまった。

獺祭はなんと、「コーシャー認定」も受けている‼

「コーシャー」とは、日本人にはあまり馴染みのない言葉であろうが、ユダヤ教の厳しい食品規定をパスした食品のこと。「清浄食品」などと訳されるらしい。ユダヤ人の中にも、コーシャーを厳守する人もいれば、気にしない人もいる。私のユダヤ系の友人は気にしない人が大半だ。私自身、その規定について詳しい訳ではないが、ユダヤ系の友人から聞いた話では、豚やウサギ、ラクダなどユダヤ教で不浄とされる動物の肉や甲殻類、儀式に従って屠殺されていない動物の肉、監督下で処理されていないワインなどを摂取してはいけないというものらしい。

獺祭がコーシャー認定を受けているというのは、ユダヤ教の聖職者の監督下で、儀式を受けた水と酒米酵母を使って仕込まれているからなのか???ユダヤ教の戒律を厳守している人びとにも飲んでもらえるというのは喜ばしいことだが・・・・・・もっと前に知っていたら、8年前にユダヤ系の男性と結婚したパリの友達(彼と結婚するためにカトリックからユダヤ教に改宗)の結婚式のときに獺祭をお勧めしたのに!彼らは披露宴で出すワインなどのアルコール類もコーシャーにこだわったために種類と品数が限られており、招待客の半分を占める非ユダヤ教徒の間で大不評だった。

このコーシャーで思い出した過去の体験がある。日本酒とはまったく無関係だが、確か2002年の春だったと思う。フランスの某自動車メーカーの本社広報部員だった私は、新興市場向けのある新モデルの国際プレス試乗会で、チェコ共和国の首都プラハに1ヵ月間赴任した。大学生時代、東欧の共産主義諸国について学び、1968年の「プラハの春」にも大変興味を持っていた私にとって、その舞台となった都市で1ヵ月も仕事が出来るというのは感動に近いことだった。

試乗会は、このモデルのターゲット市場から招待した自動車ジャーナリストがプラハ空港に到着後、ロードブックに指定されたルートでこのモデルをテストドライブするというもの。試乗終了後、ホテルから徒歩で旧市街広場に移動する。ここにはゴシック様式の幻想的なティーン教会や名高い天文時計オルロイなど、素晴らしい観光名所が目白押しだ。そして、ティーン教会の手前にある三角屋根の「ストーンベルハウス(チェコ語ではDům u Kamenného Zvonu)」という13世紀の建造物の中でモデルのテクニカルブリーフィング。このストーンベルハウスは普段なら近代美術特別展示会場として使われているが、私の勤める会社がこのイベントのために1ヵ月間借り切っていた。ブリーフィングが終わると、同じ会場の上の階でジプシーミュージシャンのショーを観ながらチェコの郷土料理(鴨肉のローストと紫色の酢漬けキャベツとクネドリーキ)を味わうディナー。ディナールームに移動する際には、現地のガイドが旧市街広場とストーンベルハウスの歴史を英語あるいはフランス語で説明する。そして翌日、短めの別のルートで空港までテストドライブ。これを約1ヵ月間繰り返した。

ある日の朝、その日に到着するジャーナリストのリストをチェックしていたとき、ベテランの同僚が突然、「しまった!」と叫んだ。その日のジャーナリストグループには、3人のイスラエル人ジャーナリストがいた。同僚は、「イスラエル人だから、コーシャーのディナーが必要だ。急いで手配しないとけない!」と言った。イスラエル人の中にも、海外旅行中はコーシャーにこだわらない人は多くいる。だがこの3人がそうだと勝手に決めつけてしまうのは危険な賭けだ。そこで私は急いでプラハユダヤ人街ヨゼフォフへ買い出しに行った。

ヨゼフォフはプラハの観光名所のひとつ。シナゴーグや旧ユダヤ人墓地などがとても興味深い。ここには10世紀頃からユダヤ人が移り住み、一時は中欧最大のユダヤ人街であった。迫害と繁栄を繰り返したプラハユダヤ人コミュニティー。ナチス・ドイツに併合された後、5万人以上いたプラハユダヤ人の約3分の2が強制収容所で死亡したという。その日の朝の私のミッションは、「キング・ソロモン」(旧約聖書の『列王記』に登場する古代イスラエルの王。シバの女王とのエピソードや「知者ソロモンの裁き」で有名)という名のチェコ共和国最古のコーシャーレストラン兼仕出し屋で3人分の仕出し弁当ディナーを注文しに行くことだった。日本で言うなら「幕の内」にあたる極上のラグジュアリー仕出し弁当を注文し、配達場所と時間を指定して仕事場に戻った。

最初の試乗セッションが終わり、ジャーナリストたちがブリーフィングとディナーの会場であるストーンベルハウスにやって来た。私はイスラエル人ジャーナリストにコーシャー弁当を手配してあることを伝える任務を負っていた。1人はかなり太めの愉快な中年オヤジ、もう1人は20代後半とおぼしきジャニーズ系の超イケメン。彼らのことは今でも覚えている。だが、どうしても3人目のジャーナリストの顔が思い出せない。それだけ存在感のない人物だったのだろう。とにかく、彼らにコーシャー弁当の件を伝えると、3人とも他国のジャーナリスト同様にチェコの郷土料理ディナーがいいと答えた。彼らのテーブルで一緒に食事をすることになっていた私は、せっかく注文して配達してもらったのでもったいないし、数週間毎晩同じメニューのディナーを食べて飽き飽きしていたので、このコーシャー弁当を食べることにした。鴨のローストを美味しそうに食べていたオヤジジャーナリストは、「キング・ソロモン」の金色のロゴがど真ん中に印刷された弁当の蓋を開け、どの料理から食べようかとフォークとナイフを躍らせている私を見ると、「君は勇敢だね!」と笑いながら言った。「どうしてです?」と問うと、彼は真剣な顔になってこう答えた。
「ソロモン王は確かに偉大な賢王だった。だけど、彼はとんでもない料理下手だったんだよ!」
これにはテーブルの全員が大笑いした。ジャニーズ系イケメン君の笑顔がとても眩しかったのを今でも覚えている。

実際に料理に手をつけてみると、オヤジジャーナリストは正しかった・・・・・・

旭酒造株式会社「獺祭 磨き その先へ 」試飲記 (注:これは2016年1月に他のメディアで限定公開していた記事に手を加えたもの)

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写真は、大変敬愛している方から、昨年(2015年)の夫の還暦祝いに頂いた貴重な一本。蔵元から直々に入手されたそうで、何か特別なイベントか、日本酒に非常に興味を持っているアメリカ在住の友人がロンドンに来た時に一緒に飲みたいと思い、冷所に保管していた。

 

頂いてからかれこれ7ヵ月近く経過しており、この「特別なイベント」や友人の次の訪英が何時になるか見当がつかないため、今晩テイスティングしてみることにした。

 

この思いつきテイスティングを「特別なイベント」に格上げすべく、最近よく通の間で言われている『チーズと日本酒の素晴らしい相性』を自分たちの味覚と嗅覚で試す実験を行った。冷蔵庫にたまたまあったチーズを使っての実験なので、チョイスに特に深い意味はない。その道のエキスパートから見れば、とんでもない組み合わせかも知れない。しかし、何事も自分で試してみて初めて理解できるもの。出したチーズは、ロックフォールパルミジャーノ・レッジャーノ、そしてフランスの有名な庶民的クリームチーズ、「La Vache Qui Rit (発音:ラ・ヴァッシュ・キ・リ/直訳: 笑う牛)」。このチーズはイギリスでは英語のブランド名で販売されている。その名も偉大な 「The Laughing Cow」。バリバリの逐語訳がしっくり受け入れられている稀有な例だ。日本では英語のブランド名のカタカナ表記(ラッフィング・カウ)で紹介されているようだ。

 

まずはこの酒そのものの本質を学ぶために、ぐい呑みに注がれた液体の香を聞く(「香りを聞く」という通な表現を使ってみる私)。控えめで奥ゆかしい花のような香。何故かは分からないが、すみれを連想した。次にひと口、舌に絡ませてみる。この瞬間、夫も私も、ワイン漫画『神の雫』の遠峰一青のごとく、「おおおおっ〜」と感動に震えた。「何という繊細さ!何というなめらかさ!そして何という軽やかさ!絶妙にバランスの取れたフルーティさと甘さ。このうえなく美しい‼︎ それはまるで、初夏の風にセーラー服の襟をなびかせる乙女のような初々しさ!(まるで、色オヤジの雄叫びのようだが)」二人ともすっかり恍惚の境地に入り込んでいた。

 

ちなみに2歳8か月の娘は、隣の「テレビの部屋」で『機関車トーマス』のDVD(20エピソード入り)に夢中になっていたため、幸いにもニルヴァーナに達した両親の姿を見ていない。

 

最初の数口の余韻に浸りつつ、本題の「チーズとのマリアージュ」の実験に移行した。私が先ず試したのは、パルミジャーノ・レッジャーノ。第一印象は、「うむっ、イケる?」。パルミジャーノの程よい塩みと固い歯応えが、「獺祭 磨き その先へ」のなめらかで繊細なフルーティさに花を添えたように感じた。余韻だけでは確信出来ないので、すぐにもうひと口。私はなかなかいい感じだと思ったが、夫は同意見ではなかった。パルミジャーノの塩みが、「獺祭 磨き その先へ」のデリケートな甘さを押しのけてしまっていると言う。なるほど。言われてみればそうかも。

 

水とパンで口直しをしてから、次にロックフォールとのマリアージュの調査にあたる。結論から述べると、これはダメだ。ロックフォールの塩みが強烈すぎて、繊細な「獺祭 磨き その先へ」は完全に消し去られてしまう。そこで、再び口直しをし、冷蔵庫にあった梅酒を水で薄めずに飲んでからロックフォールを食べてみた。ムムムっ、これは面白い!梅酒の濃厚な甘さと青カビのパワフルな塩みの相乗効果が双方の魅力をさらに引き出し、まろやかで何とも不思議なハーモニーを奏でているように感じた。これはウケそうだ。日本酒ソムリエなどの専門家には当たり前のことかも知れないが、私たちにとっては思いがけない発見だった。

 

そして最後は「笑う牛」。(ほぼ)万人に愛されているこのクリームチーズはやはり、一番無難なマッチと言える。でしゃばらない適度な酸味と、とろけるクリーミーさが、「獺祭 磨き その先へ」の可憐な風味を程よく引き立てる。素晴らしいマリアージュとまではいかなくとも、相性はなかなか良いと思った。

 

だが、このようにデリケートな日本酒は、そのもの自体をじっくり味わいたい。Exquisite - 絶品。「獺祭 磨き その先へ」は、チーズと合わせるのには繊細すぎる、というのが私たちの結論だ。どちらかといえば、白身魚の刺身やブリしゃぶなどと飲みたい一本。ただしこれは、あくまでもド素人である私たち独自の感性に基づいた見解である。

 

そしてニルヴァーナから俗世(テレビの部屋)に戻った私たちは、ほろ酔い気分で『機関車トーマス』の歌を娘と一緒に口ずさむのであった。

 

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これが「笑う牛」。狂牛病にかかった牛ではない。90年以上にわたり、世界の多くの国々で庶民に愛され続けている工業的クリームチーズである。

ハムリーズ現象 Part 2(注:これは、2016年1月に他のメディアに限定公開していた記事に手を加えたもの)

床から天井に届くぐらいまで商品を積み上げる。激安の殿堂ドン・キホーテ独特のあの陳列法は『圧縮陳列』と呼ばれているそうだが、夫も私も日本滞在中は極力ドンキを避けるようにしている。黒と黄色のあの看板がチラッと目に入っただけでもストレスを感じるからだ。

Part 1で投稿した写真を撮った日は、やむを得ない事情があって店内に足を踏み入れた。あの日、増上寺拝観と東京タワー見物に行く途中、娘の紙オムツを切らせてしまっていたことを思い出し、増上寺近辺のコンビニを数軒まわったが見つからなかった。東京タワーを見物した後に渋谷まで行き、東急百貨店やドラッグストアで探してみたが、どの店もパンツタイプ2枚入りの携帯用パックしか置いていなかった。「これは中国人買い物客による買い占めの影響か???」と思い、西武百貨店コンシェルジュに尋ねてみると、ドンキには沢山置いてあると言われた。行き方を示した地図までもらったので、行ってみることにした。

娘がベビーカーで眠り込んでしまっていたため、夫は娘と外で待ち、私がひとりで店に入ることになった。店内で5分以上時間を費やせば、ハムリーズ効果で神経衰弱が発症してしまう。だからすぐさま店員を見つけ、10枚以上入っている紙オムツパックの有無を確認した。店員現象に導かれてオムツコーナーに到着すると、確かにこの地域の他のどの店よりも品ぞろえは豊富であった。しかしどれもパンツタイプのものであったため、テープタイプでなければ買わないと決めていた私(熟練イクメンの夫でも、パンツタイプは拒否する傾向にある)は、直ちに店を立ち去った。店に入ってから出るまでの時間はおそらく3分以下だったと思う。

だが、この『圧縮陳列法』こそがドンキ販売戦略の成功の鍵なのだと、ある経済誌の特集記事に書かれていた。それは、「開け~、ゴマッ!」と唱えて入るアリババの洞窟の中にいるかのような宝探しのワクワク感を提供し、迷路のごとく入り組んだ通路の曲がり角に並べられた人気商品や評判の商品が客の好奇心をそそるからだという。これらの「仕掛け」が客を長居させ、買い物かごの中に入る商品の数を増やしているのだとか。

Excite ニュースの記事では、20代の学生25名と同世代の社会人25名を対象にした、ドンキで費やす時間についてのアンケート調査のデータが掲載されていた。対象年齢層と人数がかなり限られているので、これが日本の消費者の行動を代表するものだとは言えないが、それによると、20代学生の平均滞在時間は1.24時間で、20代社会人の平均滞在時間は1.56時間。英国人の夫や日本を離れて20年を超える私にとって、これは驚異的な数字だ。私達の場合、このような店に一歩でも足を踏み入れると、四方から襲いかかってくる膨大な視覚情報に脳が対応しきれなくなり、誰かに脅迫でもされているかのような切迫感を覚えて一刻も早く逃げ出したくなる。

それは私達が『外人』だからなのだろうか。しかし、このような店は中国人などのアジア系爆買いツアー客で溢れている。彼らだって『外人』だ。ではそれは、彼らも日本人同様、限られたスペースに活字や画像、商品を満載するという文化に慣れているため、ハムリーズ現象に対する免疫があるからなのか。

私のような『外国かぶれ』とされる人種ではなく、生粋の非日本人である夫にとって、ドンキやドラッグストア、広告物などに見られる日本のこの『圧縮陳列・表示』文化と、京都龍安寺の石庭などの洗練された静寂の空間を愛でる日本人の美意識とのとてつもないギャップは、まったくもって理解の及ばない未知の世界である。

「まるでジキル博士とハイド氏のようだ」とつぶやく夫に、つい同感してしまう私であった。

ハムリーズ現象 Part 1 (注:これは、2016年1月に他のメディアに限定公開していた記事に手を加えたもの)

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この写真は、東京(確か渋谷)のドン・キホーテで撮ったもの。

ドンキに限らず、日本のドラッグストアやヨドバシカメラビックカメラなどの店では、店内に溢れんばかりの商品がぎっしり陳列されている。

こういう店に入ると、あまりにも多い商品の品ぞろえと視覚を攻撃してくるようなPOPに圧倒されてしまい、夫も私も思考回路が麻痺状態になる。「XXを買う」という明確な目的を持って挑んでも、どれを選べばよいのか判断する能力が失われ、後で後悔するものを選んでしまうか、何も買わずに店を出るという結果に終わることがほとんどだ。
これを私達は、「Hamleys Effect(ハムリーズ効果)」または 「Hamleys Moment(ハムリーズ現象-本来なら、『moment』は『瞬間』などと訳すべきだが、ここでのニュアンスを考慮すると、『現象』のほうがふさわしい)」と呼んでいる。

ここでいうハムリーズとは、ロンドンのリージェントストリートにある、世界最古(255年もの歴史を持つ)かつ最も有名な玩具の老舗「Hamleys」のことである。近年ではイギリス以外の地にも多くの店舗を出しているが、ロンドンの旗艦店は、地下階も含め全7層で構成されるマンモスショップだ。私達がこの効果・現象にハムリーズの名前を使っている理由は、夫の子供時代の体験にある。

それは夫が10歳のときのこと。スコットランドインバネスから両親とともにロンドン観光にやって来た際、このハムリーズに連れて行ってもらった。それまでは、電話ボックスより大きな玩具店など見たことがなかったという。この日、夫少年は戦闘機のプラモデルを買ってもらうことになっていた。


第二次世界大戦期の戦闘機(第一希望はドイツのルフトワッフのもの)のプラモ」という明確なターゲットがあったにもかかわらず、この強大な玩具店に足を踏み入れた途端、膨大な品数に圧倒されて半分パニック状態に陥った。いつまでたってもどれを買うか決められず、オロオロしている息子にしびれを切らせた父は、「とっとと決めろ!」と怒鳴りつけた。父親からのプレッシャーで思考回路が完全にショートしてしまった夫少年は、反射的にすぐ目の前にあったモデルに手を伸ばした。父親はそれを息子の手からひったくると、とっととレジへ行って支払いを済ませ、放心状態の息子の手を引っ張って店を出た。あの時そのモデルを買ってしまったことを、夫は半世紀経った今でも後悔している

 

今回の里帰り(2016年1月)では、私はドラッグストアで美白コスメ(特に化粧水と美容液)を買いたいと思っていた。シミを目立たなくするというフレ込みのSkin Tone Corrector系化粧品は、最近になって欧米でもいくつかのメーカーが売り出しているが、日本に比べるとまだまだ種類と品数は少ない。美白コスメ市場が充実している日本なら、日本人の自分の肌に合った効果的なものが買えると期待していた。種類が非常に多いことは承知していたので、前もってネットでクチコミ情報などをチェックし、ある程度ターゲットを絞っていた。ところが、東京に着いた翌日、宿泊先から徒歩3分のドラッグストアに入ってみると、美白化粧品コーナーにたどり着く前にすでに目がチカチカし、ものすごいストレスを感じていた。それはおそらく、陳列棚間のスペースが狭いうえに、色とりどりの多種多様な商品やド派手なPOPがズラ~ッと並んでいたからだろう。店内を照らす蛍光灯のアグレッシブな光の効果もあったのかもしれない。

お目当ての美白化粧品コーナーでは、ターゲットを絞っていたにもかかわらず、あまりにもオプションが多すぎて迷いに迷った末(30分以上かけたと思う)、予定していたものとはまったく違う商品を買い物かごに入れた。レジで支払いをしている途中、急に自分の選択に自信がなくなり、店員のお兄さんに「これって、いい品ですか?効果があるって評判ですか?」などと意見を求めてしまった。店員さんはちょっと困ったような笑いをうかべ、「まあ、悪い品、ではないですけどね」と言った。そして少し間を置いて、「どれもあまり違いはありませんよ」と付け足した。

 

その時すでに宿泊先を出てから1時間半近く経過しており、夫と娘(当時2歳8ヵ月)がうんざりしている(本来の目的は、娘用の牛乳をコンビニで買うことだった)だろうと思ったので、そのまま支払いを済ませて帰途についた。部屋に戻った時には、精神的にも身体的にも疲れ果てていた。買い物袋を投げ出してベッドに倒れ込んだ私の口から飛び出したのは、「Hamleys Effect!」 の一言だった。

イギリスに戻って1週間経った今でも、あの時の選択が本当に妥当だったのかどうか、たまらなく不安になることがしばしばある。

 

 

パン屋のトイレ

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英語(イギリス英語)でトイレのことをよく「Loo(ルー)」と言う。これはお下品なスラングではなく、いわゆる話し言葉(口語)の表現であり、私は個人的に「Toilet(トイレット)」や「Bathroom(バスルーム)」、「Restroom(レストルーム)」、「Powder Room(パウダールーム。日本語の『化粧室』のイメージ)」よりもお茶目な感じがして気に入っている。米語(アメリカ英語)では基本的に「Loo」がトイレとして使われることはないが、英国では老若男女を問わず、大半の国民がごく日常的に使っている表現だ。しかし、この表現の由来は何なのだろうか。マニアックな私は早速ググってみた。

 

学習辞書の権威とも言えるオックスフォード英英辞典の現用語版「Oxford Living Dictionaries – English」のウェブサイトには言葉や表現の起源を解説するページ(https://en.oxforddictionaries.com/explore/word-origins)もあり、ここにトイレとしての「Loo」の起源が掲載されている。これによると、最も有力な説は、中世時代に召使いたちが室内用便器の中身を窓から通りに流し捨てるときに叫んでいた「Gardyloo(ガーディール―)」という表現から派生したものだという。この「Gardyloo」という表現そのものは、実は「水にご注意!」という意味のフランス語「Regardez l’eau(無理やりカタカナ表記すると、『ルガルデ・ロー』といった感じ)」から来ているらしい。2番目に有力な説にもフランス語が絡んでおり、トイレの婉曲表現として使われていた「le lieu(ル・リユ)」という言葉が起源というものだが、これには裏付けとなる証拠が十分にないそうだ。

 

こうやって表現の起源を探っているうちに、この「Loo」という言葉が含まれる地名や名称に思いが馳せた。まず最初に思い浮かんだのは、「Bakerloo(ベイカールー)」。これはTube(チューブ:ロンドン地下鉄)の路線のひとつで、ナショナルギャラリーがあるチャリングクロス駅や大型ネオン広告板(以前は富士フィルムやキャノン、TDK、SANYOなどの日系ブランドのネオンサインが堂々と輝いていたが、数年前からSamsungやHyundaiなど韓国系に取って代わられている)がトレードマークのピカデリーサーカス駅、ショッピング客でにぎわうオックスフォードサーカスなど、ロンドンの観光名所数ヵ所を通る。なぜ「Barkerloo」という名称が使われているのか、その語源が気になったので、またまたググってみた。

 

この路線は開設された1906年3月当時には「Barker Street & Waterloo Railway」と呼ばれていたそうだ。あの名探偵シャーロックホームズで有名なベーカーストリートとテムズ川南岸にあるランベース・ノース駅(Imperial War Museum「帝国戦争博物館」の最寄り駅)を結んでいた。世話になっている弁護士の事務所がベーカーストリートの近くにあるのでこの路線を使うことがよくあるのだが、以前からこの「Bakerloo」という名称に好奇心を抱いていた。「Baker」は英語でパン屋だ。だから一度、英語を母国語とする夫に、「『Bakerloo line』は『パン屋のトイレ路線』ということか?」と真顔で質問したことがある。夫は大笑いしたが、後に実はその意味も起源も知らないと白状した。さきほどググってみた結果、この「Bakerloo line」という名称は、開設当初の「Barker Street & Waterloo Railway」という名称を人々が短縮形で呼ぶようになり、同年の7月、つまり開設から4ヵ月もたたないうちにこの短縮形が正式名として採用されたのが起源なのだそうだ。民衆の力はなんとも偉大だ。

 

このBakerloo lineが通っているウォータールー駅もWaterlooといった具合に「Loo」を語尾に持つ。ただこのWaterlooは、ナポレオン戦争で最も有名な会戦の舞台となったベルギーの町の名前である。この会戦(1815年6月18日)で英国・オランダをはじめとする連合軍はナポレオン軍を打ち破り、降伏したナポレオンをセントヘレナ島に追放した。英国人にとっては輝かしい歴史であり、フランス人にとっては忌々しい事件だ。フランス人の前夫がよく冗談で、「Waterlooはフランスでは禁止用語だ」と言っていた。日本語ではこの会戦を「ワーテルローの戦い」と呼んでいるが、これはWaterlooのフランス語での発音を音写したものなのだ。フランス語でも、オランダ語でも、ドイツ語でも、この町はWaterlooと表記されている。そして「ワーテルローの戦い」は、英語では「Battle of Waterloo」、フランス語では「Bataille de Waterloo」、オランダ語では「Slag bij Waterloo」、そしてドイツ語では「Schlacht bei Waterloo」、ついでにトルコ語も調べてみると「Waterloo Muharebesi」となっている。つまり、英語特有の名前ではないのでトイレとしての「Loo」は当てはまらないのだが、「Water=水」と「Loo=トイレ」で、つい「Waterloo=水洗トイレ」などと勝手に定義したくなってしまう。

 

そういえば、日本にも「トイレ」にまつわる(?)地名がある。瀬戸内海に浮かぶ大崎下島の港町、御手洗だ。広島県呉市に属するこの町の名前は「みたらい」と読むのだが、私はどうしても「おてあらい」と読んでトイレを連想してしまう。そもそも、日本語の「お手洗い」の由来は、神社の入口で手を清める「御手洗(みたらい)」なのだそうだが、現代人の私は「御手洗」と書かれているのを見ると、神聖なものよりも実生活が優先され、どうしてもトイレを思い浮かべてしまう。神功皇后三韓征伐の際にこの地で手を洗ったというのが名前の由来と言われているこの町の人々にとって、私のような人物は無知な無礼者であろう。

 

「トイレ」という単語はそもそも日本語ではない。英語の「Toilet(トイレット)」が語源の外来語だが、いつから使われるようになったのだろうか。ググってみたが出てこない。これは時間がある時にじっくり調べる必要がある。時代劇では「厠(かわや)」や「憚り(はばかり)」、単刀直入の伝統的な日本語では「便所」だが、私はこの「便所」という表現はほとんど使わない。最後に使ったのは、「便所掃除」当番が回ってくることがあった小学生の頃ではないだろうか(おぼろげな記憶では、「トイレ掃除」という表現を使っていたと思うが)。私が日本語で最も頻繁に使うのは「トイレ」、そしてその次が「お手洗い」だ。ただ、この「トイレ」の語源である英語の「Toilet」そのものも、フランス語の「Toilette(トワレット)」が由来の「外来語」なのだ。またしても英語の中のフランス語!

 

フランス語の「Toilette」はもともと「身支度」と言う意味であるから、西洋文化でも大小の用を足す場所は婉曲表現で描写されることが一般的ということだ。たが、以前パリで古い男性用公衆トイレにデカデカと「Pissoir(ピソワール)」と表示されているのを見て「おおおおおっ~!」と狼狽したことがある。「Pisse(ピス)」は小便。フランス語では名詞に性別があるが、この「Pisse」はなんと女性名詞で「La Pisse(ラ・ピス)」となる。小便がなぜ女性名詞なのか、その根拠が知りたいところだが、それは本題ではないのでここでは掘り下げないことにする。「Pissoir」はつまり、「小便所」なのだ。その単刀直入さに驚いたが、これは人々(男性)が街角のあちこちで放尿するのを防ぐために1830年代初頭にフランスで「発明」されたそうで、その後ヨーロッパの多くの国々で「Pissoir」として普及した。確かに、ウィキペディアで「Pissoir」を調べると、英語でも、ドイツ語でも、デンマーク語でも「Pissoir」となっている。ハンガリー語では「Pizoár」と若干ローカライズされている。ただ、家元おフランスウィキペディアでは、「Vespasienne(ヴェスパジエンヌ)」というエレガントな響きの言葉で解説されている(その名の由来は古代ローマ帝国ウェスパシアヌス皇帝。ローマに公衆トイレを設置し、そこから集めた尿を製革業者に販売していたという。イタリアでも公衆トイレは彼にちなんでVespasiano (ヴェスパジアーノ)と呼ぶそうだ)が、私は前述のようにパリで「Pissoir」という表示を目撃している。それとも実はロンドンだったのだろうか?あるいは他のヨーロッパの都市だったのだろうか今のフランスには最新テクノロジーを駆使した(?)「Sanisette™(発音はサニゼット。なんと、登録商標である!)」と呼ばれる全自動有料トイレブースが街中に設けられており、現在パリに残っている唯一の元祖小便所ヴェスパジエンヌは13区のBoulevard Arago(アラゴ通り)のラ・サンテ刑務所の傍にあるらしい (フランスの歴史的公衆トイレに関する写真付きのサイト(英語):https://frenchmoments.eu/last-vespasienne-in-paris/)。ネットでその写真を見ると、私の記憶に残っている「Pissoir」とは似ても似つかない。ということはやはり、あの「Pissoir」はパリではなかったのか。。。

 

などと、英語の「Loo」から「パン屋のトイレ」、ナポレオン戦争ローマ皇帝と、話がどんどん発展してしまったが、名称の語源や表現の由来は調べてみると、なかなか以外で面白いエピソードが出てくることがある。次は何を調べてみようか。こう言うと、よほどの暇人かと思われる可能性があるが、決してそういう訳ではないのでご了承いただきたい。