けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

娘の4歳の誕生日〜パーティー編③ ー 注:これは今年6月に他のメディアに投稿した記事のリサイクル版

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招待状

 

会場はおさえたので一安心。次は、どの子を招待するかの人選が重要なステップとなる。娘が特に仲良しにしている女の子3人は、躊躇することなくゲストリストに載せる。この子たち以外にどの子を招待すればいいのか。定員は15人(娘を含めて)と自分たちで決めている。あと11人をどう選ぶか。娘が赤ん坊のころからよく遊んでいるボーイフレンドのW君とその弟のO君は、あいにくその週末は都合が悪くて参加できないとのことだった。親しくお付き合いさせていただいているロンドンのある日本人一家には6歳の女の子と3歳の男の子がいて、娘と一緒に遊んでもらうことがよくある。この子たちももちろん招待しよう。するとあと9人。そこで、保育園の先生たちに相談することにした。

 

娘の組の担当の先生に、娘がよく遊んでいる子たちをリストアップして欲しいと頼んだ。すると、「うーん、難しいですね。ほぼ全員、どの子とも仲良く遊んでいますよ」との返事が返ってきた。そこをなんとか、娘と過ごす時間が多い子に絞ってもらい、女の子5人と男の子3人を指名してもらった。さらに、夫の仕事を通して知り合った弁護士の友人の2歳10カ月の息子も招待することにした。

 

招待する子供たちの名前をマイクロソフト・エクセルで作成したゲストリストに入力する。子供の名前の隣のカラム(列)は親の名前、その隣は参加の可否。出来上がったリストには娘を含めて16人の子供の名前が並んでいる。リストが完成したあとは招待状の準備。リストを見ながら、会場が提供してくれた招待状にそれぞれの子供の名前とパーティーの日時、返信先を手書きで書き込む。

 

以前から不思議に思っていたのだが、英国では返事が必要な招待状には、RSVPという表記がある。たいていの場合、このRSVPの後に連絡先を表記するのだが、このRSVPというのは実は、フランス語のRépondez S’il Vous Plaît (ご返事お願いします)を略したものなのだ。100年戦争などにも見られるように、英国とフランスは歴史的に敵対関係にあることが多かった。そして英国人にはどこか、大陸ヨーロッパを見下しているようなところが見受けられる。国境検査なしで国境を越えることを許可するシェンゲン協定にも、通貨統合にも参加せず、片足がすでに外に出ていた欧州連合も、昨年の国民投票で完全に離脱するBrexitが決まった。そんな英国でなぜ、フランス語の略語を招待状に使っているのだろうか。夫にその理由を聞いてみたが知らないと言われた。そこでググってみたが、RSVPの意味を説明するサイトはあっても、その理由や起源について解説しているサイトは見つからなかった。

 

書きあがった招待状を封筒に入れ、「From Wee A💖」と印刷された可愛らしいスティッカー(数年前のクリスマスカード用に作ってあったもの)を貼る。封筒の表にはもちろん宛先人の名前を書いてある。この封筒の束を保育園の先生に託し、招待している子供たちの保護者に手渡してもらうようにお願いした。学校とは違って保育園では、子供たちを送り迎えする時間が家庭によって違う。そのため、私も夫も、子供たちは結構よく知っていても、彼らの保護者と顔を合わせることがあまりない。私は娘が特に仲良くしている女の子2人のお母さんたちとは何度が立ち話をしたことがあるが、他の子たちの保護者はほとんど知らなかった。

 

招待の返信先として、夫婦共同のメールアドレスと私の携帯番号を記載しておいた。招待状を保育園に預けてから1週間以内に4人から返事が来た。みんな参加できるとのことだった。日本人ファミリーからはこれ以前に参加の返事をもらっている。パーティーの2週間前の時点で返事をしていない子(親の責任)は4人。返事の催促をすべきか迷ったが、「返事をしない=出席しない」と判断することにした。ところがパーティーの10日前になって、ゲストリストにX印をつけていた女の子のひとりのお父さんからテキストメッセージが届いた。イースター休暇でしばらく国外にいたため、今日初めて娘の招待状を見たのだという。丁寧なお詫び文で始まるメッセージには、もしまだ間に合うならその子も是非娘のパーティーに参加したいと書かれていた。さらに、もし可能であればその子の妹も連れて来ていいかと尋ねてきた。妹の入場料と食事代は自分たちで出すからと。もちろん私は、妹さんも含めて歓迎します、追加の入場料と食事代を出す必要はありませんと返事した。

 

このやりとりの後、その子の妹の名前を追加してゲストリストをアップデートした。その時点で参加者数は娘を含めて13人だった。私は別に13という数字に何の抵抗もないので、この人数で会場にコンファームすることにした。

 

続く

娘の4歳の誕生日〜パーティー編② ー 注:これは今年6月に他のメディアに投稿した記事のリサイクル版

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会場となった「屋内遊び場」

 

会場はかなり前から有力候補があった。自宅は最初から対象外。一度に5人以上の4歳児に自宅で対応する余裕は精神的にも物理的にもない。

 

娘は今年の9月から小学校に入学する(こちらでは正式な義務教育が始まるのは5歳からだが、4歳になった年の9月から小学校幼稚部といったような課程に進む)のだが、今通っている保育園で仲良しのお友達はみんな別々の学校に行くことになっている。だから今年のパーティーにはできるだけたくさんのお友達を招待してあげたい。そのためには広くて子どもたちが思う存分はしゃげる会場が必要だ。そこで、「保育園に行かない日」で天気が思わしくないときによく娘を連れて行く屋内遊び場に以前から目をつけていた。

 

この「屋内遊び場」と私が日本語で描写している場所は、英語では一般的にindoor soft play centreなどと呼ばれている。Soft playをカタカナ表記にしてググると、エッチ関係サイトのヒットが断然多い。だからカタカナ表記をやめて「遊び場」としているが、実際に日本ではどう呼ばれているのだろうか。

 

いろんなキーワードで検索してみると、「室内遊び場」や「キッズ向け大型屋内遊び場」、「屋内遊園地」などが出てきた。しかしよく見てみると、それは中国深センにある「大型屋内遊具」メーカーのウェブサイトだった。日本で実際にどう呼ばれているのか知っている人がいたら、是非教えて頂きたい。

 

私たちがよく行くところは「屋内遊園地」というほど立派なものではない。だが、巨大なジャングルジムのようなフレームにこれまた巨大な滑り台が4列ぐらい並んでいる。奥の方にはミニサッカー場兼バスケットボールコートもある。フレームは頭などを打ってもあまり痛くないように、スポンジのような柔らかい素材が巻きつけられている。だからソフトプレイと呼ぶのだろう。

 

ここの日本式2階はパーティールームになっている。調理室もあり、温かい軽食もオーダーできる。お誕生日パーティープランは3タイプあり(正式には4タイプだが、4つめは貸し切りプランなので私たちには対象外)、どれを選んでもまず75分間のお遊び時間と45分間のパーティールームでのパーティーという設定だ。お値段の違いはパーティーテーマの選択や招待状の提供、温かい食べ物サービスか冷たい食べ物サービスのオプションなどある。

 

私たちは、真ん中のお値段のプランでディズニープリンセスのテーマと温かい食べ物サービスを予約した。誕生日の当日は水曜日だったので、その週の土曜日に開催することにした。

 

続く

娘の4歳の誕生日〜パーティー編① ー 注:これは今年6月に他のメディアに投稿した記事のリサイクル版

本日(2017年10月13日)執筆部分

3日前、娘の小学校のカバンの中身をチェック(宿題や学校からの連絡レター等が入っているので)していると、クラスメートの女の子のお誕生日会招待状が入っていた。小学校に入学してから初めてのお誕生日会インビテーションである。このカードを見て、ふと数ヵ月前の自分の体験を思い出し、そのエピソードに関してしたためた他メディアへの投稿をリサイクルしてこのブログに掲載することにした。

 

***

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娘作:バースデーパーティー

 

(これ以降は6月に執筆した記事)

 

前回の投稿で言及したとおり、「娘の誕生日にバースデーケーキを焼いて保育園に持って行く!」という公約は無事果たすことができた。だがやはり、4歳の誕生日となると、お誕生日パーティーを開くことが一家の一大イベントになる。


娘の1歳の誕生日は、親の私たちにとっては重要な行事であった。だがまだ本人に「1歳になる」などという自覚はなかったため、どちらかと言うと親が友人を招待して社交する機会であった。我が家の場合、出産前の準備セミナーのような講習会で知り合った5カップルとその子どもたちを招待し、自宅の庭でアフタヌーンティーパーティー形式の催しを行った。この年の娘の誕生日は土曜日であったため、誕生日の当日にパーティーを開くことができた。


この講習会のグループでは娘が一番最初に生まれた赤ん坊。そのため、私たちのお誕生日会がグループ最初のものだった。他のカップルのベンチマークの対象になるというプレッシャーがあったが、子どもたちはまだハイハイやタッチができる程度で、エンターテイメントに注文をつけて来るような年齢ではなかったため、頭をひねって趣向を凝らす必要はなかった。ただ、娘がすでにハローキティに目覚めていたので、飾り付けはキティちゃんをメインテーマにした。


パーティーの当日は素晴らしい晴天に恵まれた。この日のためにアマゾンで買った巨大なピクニックマットを庭に敷き、子どもたち用のおもちゃとキティちゃんのペーパー皿に盛りつけたお菓子を並べ、大人たちには紅茶やコーヒー、手作りのカップケーキ(!)とサンドイッチをふるまった(終盤にはアルコールがかなり出回っていた)。素晴らしい天気がかなりのプラス要因となり、娘の1歳の誕生日パーティーは大成功のうちに終了した。


2歳の誕生日は私たちが何かと忙しく、パーティーを計画し損ねてしまった。結局、プレゼント(『アナ雪』と『ちいさなプリンセス、ソフィア』のコスプレドレス&プラスチック製のガーデンハウス)をあげた後に親子3人でお出かけしただけに終わった。娘はこの頃にはすでにプレゼントの概念をしっかり理解していたので、「お誕生日プレゼント」は必須条件であったが、パーティーを開くということにはまだこだわりを持っていなかった。


3歳の誕生日は一家でモロッコ出張中であったため、宿泊先のホテルで仕事関係の人々や現地の友人を招いてささやかなパーティーを開き、ケーキと飲みものをふるまった。招待客が全員大人で国際色豊かな顔触れという異色のお誕生日会であったが、白雪姫のコスプレが大ウケで皆からチヤホヤされた娘は上機嫌であった。


これが4歳となると、自分のお友だちを招待して楽しいお誕生日会を開くことの重要さを主張するようになる。しかも、どんなテーマがいいかという注文さえもつけてくる。保育園で仲良しのお友達のパーティーをいくつか体験しているので、ごまかしは効かない。


こうして、今年は娘の誕生日パーティーの計画に真剣に取り組むことになった。


続く

娘の小学校入学③

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イングランド人の祖先の主流はゲルマン民族の一派であったアングロサクソン人だというから、娘の小学校付近に群がる学童と保護者の光景から「ゲルマン民族の大移動」を連想するというのはある程度理にかなっているかもしれない。だが、移民社会となった現代の英国は、多種多様な文化・民族背景を持つ国民で構成されている。我が家の近辺も、多文化共生の良い例である。

 

現代の移民系英国人でおそらく多数派なのが、こちらで「Asian」と総称されるインド・パキスタンバングラデシュ系の人々。この「Asian」はそのまま和訳すれば「アジア人」なので、私たち日本人もこのカテゴリーに入るのかというと、実はそうではない。日本人や中国人、韓国人などの東洋人は、まさにこの東洋人にあたる「Oriental」と称されることが多い(おおざっぱにひっくるめて「Chinese」と描写されることがあるのも事実)。だが、これがフランスだと、英語の「Asian」にあたる「Asiatique」は私たち東洋人を指し、英語とまったく同じ綴りの「Oriental(複数形はOrientaux)」とは、主に北アフリカ出身のアラブ人のことだからややこしい。

 

娘の初登校に話を戻そう。ジョギングレベルのペースで通学路の半分を消化した私たちは、開門の10分前に校庭に到着することができた。「開門」とは、小学校の校門のことではなく、教室につながるエリアに設けられている木製フェンスの扉のことである。この扉は8時50分にReception Yearの先生が開けに来る。保護者と学童は、この扉が開かれるまで校門を入って校庭内で待機する。そして扉が開くと保護者は子供をそれぞれの教室の入口まで送り届け、担任の先生に託す。下校時のお迎えはこの反対のプロセスで、扉が開くと保護者は教室の入口のすぐ外に待機し、保護者が来ていることを確認できた子供を担任の先生が1人ずつ教室から送り出す。この扉が開かれる10分前に到着した初登校の朝は、新しい世界に飛び込む娘にとっても、その幼い娘を送り出す私たちにとっても、期待と不安でいっぱいであった。

 

校門には、子供用スクーターがたくさん並んで置かれていた。この「スクーター」とは原付二種のことではなく、日本で「キックスケーター」と呼ばれている乗り物のことである。フランス語では「Trotinette(ㇳロティネット)」と呼ばれる。さらに、ペダル無しの自転車(こちらではバランスバイクという)も見られた。どうやら、校門まではスクーターや自転車で通学しても構わないようだ。娘はスクーターに乗るのが好きだし、つい最近バランスバイクを購入したばかりなので、翌日からはこのどちらかで通学させようということで夫と意見が一致した。私は校庭内で待機する学童や保護者をさりげなくチェックした。多文化共生の素晴らしいサンプルといえる。「Asian」も「Oriental」も黒人も数多くいるし、白人の中にも英語以外の言語を話している人々がいる。

 

保護者の間には、知り合い同士なのかその場で知り合って親睦を深めているのかは不明だが、和気あいあいとした雰囲気で立ち話をしている小グループがいくつか見られた。私たちにはこの朝の時点で知り合いはいなかった。娘が保育園で仲良くしていたお友達はみんな別々の学校に入学しているし、家族ぐるみでお付き合いしている娘の「ボーイフレンド」も、父親が教頭を務める私立学校に入学しているからここにはいない。そして、我が家のすぐ近所に娘と同じぐらいの歳の子供がいる家庭はない。子供が新しい学校に入る時、すぐにみんなとお友達になれるだろうかというのが親にとって一番気になる点であろう。だが同時に、自分が他の保護者といい関係を築き上げることができるかという点も気がかりになる。私は周囲の保護者と目が合うたびに、親しみを込めて微笑みかけた。第一印象は重要だ。

 

夫はまったく面識のない人々にも自然に気さくに話しかけるタイプの人物だが、私は少しシャイな一面があり、また自分が外国人であるという、自分で勝手に発展させてしまった無意味なコンプレックスもあって(不思議にフランスではそのようなコンプレックスはなかった)、いつでも誰彼無しに話しかけることができるタイプではない。思い切って近くに立っている保護者に話しかけてみようか、子供がどのクラスなのか訊ねてみようか、などと密かに自問していると、「あっ、この間近所の遊び場で会った女の子とそのお母さんだ。紹介するよ!」と夫が言った。

 

数週間前に我が家から徒歩3分の遊び場に娘を連れて行ったとき、その親子に出会ったそうだ。子供同士は気が合ったようで仲良く一緒に遊び始めたため、夫はお母さんと立ち話をした。すると、その女の子(以降I(アイ)ちゃんと呼ぶ)は娘と同じ歳で、クラスは違うものの同じ小学校に入学することになっていることが分かったという。その母娘を見つけた夫は、私の背中を軽く押すように彼女たちの方へ近づいた。Iちゃんの存在に気が付いた娘も嬉しそうに駆け寄った。こうして夫の斡旋でIちゃんのお母さんに自己紹介をし、立ち話をしているうちに、実は彼女たちが我が家からそう遠くない場所に住んでいることが判明した。これからなにかとお互いをサポートし合うことができるだろうからと、携帯電話番号とメールアドレスを交換した。

 

そうこうしているうちに例の扉が開き、Reception Yearの学童と保護者たちはそれぞれの教室の入口に向かって移動し始めた。Iちゃんは別のクラスなので、扉を通り抜けた時点でバイバイした。教室の入口には担任の先生が笑顔で立っている。担任補佐の女性の姿も見えた。周りには保護者と別れるのを嫌がって涙ぐんでいる子供が数人いたが、我が娘は嬉しそうに学校の手提げかばんを持って教室にずんずんと入っていった。この手提げかばんは幼い娘の小さな体には巨大に見えたが、大はりきりで教室に入っていく娘の後ろ姿は頼もしく、誇らしかった。いつの間にこんなに大きくなったのだろう。幼稚部とはいえ、子供の小学校入学というのは親にとって非常に感銘深い人生の一大イベントのひとつなのだと、しみじみと感じた。娘が教室内に入って外から見えなくなった後も、夫と私はお互いの手を握り締めたまま、しばらくその場で感動の余韻に浸っていた。

 

 

娘の小学校入学②

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「さあ、今日から待ちに待った学校だよ!ほら、制服だよ!早く起きよう!」

布団の中にうずくまってなかなか出てこない娘のモチベーションを上げるため、制服をかざしながら囃したてる。だが布団からは「んーーーーーっ」という唸り声が聞こえてくるだけで、一向に起きる気配はない。そこで私は文字通り布団から娘を引きずり出した。たたき起こされた娘はかなり不機嫌だったが、私が目の前にかざした制服を見ると、喜びにクリクリの目を輝かせ、大きな口を開けて歓声を上げた。まだ9月初頭なので夏服でも問題はない。だから、入学という晴れ舞台のために、娘が気に入っている夏用の黄色いギンガムチェックのワンピースの制服と、お揃いの黄色いギンガムチェックの縁飾りのついた白いソックスというコーディネーションを選んでいた。

 

娘は洗面を済ませて制服を着ると、嬉しそうに階段を下りてダイニングルームに移動した。実は、入学の1週間前に担任の先生と30分程度親子で顔合わせをするセッションがあり、教室で夫と私が先生と話しをしている間、娘は担任補佐の女性と教室の一角で遊んでいた。その時担任補佐の女性が出してきてくれたユニコーンのおもちゃ(人形と言うべきだろうか?プラスチック製なのでぬいぐるみではない)の中にえらく気に入った一頭があったらしく、娘は朝食の間そのユニコーンの話ばかりしていた。「他の子に取られないように、横に取り置きしておいて欲しいとお願いしたから大丈夫かしら?早くあのユニコーンで遊びたい!あれはプリンセスユニコーンなの、だから誰にも取られたくない!」などとひっきりなしに言うので、夫と私は「学校のおもちゃはクラスメートのみんなと仲良く共有しないといけない」と諭した。

 

朝食を終えたのは8時10分過ぎ。早く歯磨きしなさいと急かしても、娘はバスルームに向かう代わりに自分の部屋に行っておもちゃで遊び始めるし、私と一緒に娘を学校に送り届けると宣言していた夫は夫でiPhoneiPadでメールをチェックするのをやめない。私は時計を見るたびにイライラし、2人を急かす口調がどんどん軍隊化していった。子供の登校と自分の出勤を控えた朝は戦場のごとく、という話はよく耳にしていたが、まさにその通りだ。自宅勤務の私は会社勤めのワーママ(またはリーマム?)より精神的にかなりゆとりがあるはずだが、やはり娘の初登校日から遅刻というわけにはいかない。鬼軍曹と化した私は、なんとか8時23分に娘と夫を玄関の外にたたき出すことに成功した。

 

リハーサルでは25分で学校に到達した娘だが、この日は初登校ということで興奮しているのか、おしゃべりは止まらないのに足が頻繁に止まる。この調子では遅刻しかねない。そこで私は、「学校まで競走!」と駆け足を始めた。するとレース魂を煽られた娘は、私の思惑通り喜んで走り出した。この作戦は大当たりで、ジョギングレベルのペースで通学路の半分を消化することができた。

 

娘の小学校は住宅街の真ん中にあり、学校のすぐ横を走る道路は大通りというほどの広さはないものの、バスやスーパーに仕入するトラックなどが通る交通量の多い道である。学校側は生徒の保護者に極力徒歩通学をするように訴えているが、それでも学校までの道のりを100%徒歩でこなせない距離に住む子供たちは、やむを得なく途中まで自動車登校する。学校はそのような家庭に対し、付近の住民に迷惑をかけたり、この道路の交通を妨げないよう、学校からおよそ800メートル離れた場所にある区営図書館の駐車場に車を止め、そこから歩くように呼び掛けている。実際この駐車場には、朝8時から9時までの間はこの学校に通う生徒の保護者のみが駐車できるスペースが6つほど確保されている。もちろん、6つ程度では到底需要を満たすことはできない。だから、このスペースを使わない人々は、学校付近でも交通量の少ないエリアにある教会やコンビニの駐車場など、できるだけ近隣住民に迷惑のかからない場所に車を止めているようだ。だが、それでも学校のすぐそばのこの道路まで車で来る人も比較的多数いる。そういう人たちは歩道に車を半分乗り上げて駐車し、そこから徒歩で子供を送り届けるため、学校付近は群衆と自動車でなんともカオス的だ。学校から半径数100メートルのゾーンは登校する学童と彼らを送り届ける保護者たちが群がって移動しており、校門の手前は隙間が見えないほどであった。その光景は、はるか昔に世界史で学んだ「ゲルマン民族の大移動」を彷彿とさせた。

 

続く

 

 

娘の小学校入学①

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9月の第2火曜日、娘がついに小学校に入学した。小学校といっても、イングランドの教育制度では正式な義務養育は5歳からで、4歳の娘が入学したのは小学校のReception Yearと呼ばれる準備学年のようなものである。イングランドの公立小学校(Primary School)は、4歳から6歳までのInfant School (小学校幼稚部とでも訳すべきか?)と7歳から10歳までのJunior Schoolに分かれている。これが公立の初等教育で、Junior Schoolを卒業すると日本の中学校にあたるSecondary Schoolに進み16歳まで学ぶ。Secondary School終了前の学期末には、GCSC(General Certificate of Secondary Education/一般中等教育終了証)という全国統一テストを受け、一定の基準に達していれば大学進学のための勉強をするSixth Formという2年間の課程に進むことができる。義務教育はこのGCSC受験までだ。私立教育だとシステムが若干異なるのだが、GCSCを受けるのは同じ時期である。これがスコットランドだとさらに異なるからややこしい。

 

我が家の周辺には評判の高い名門私立学校が数多くあるのだが、現在の私たちには娘をReception Yearから私立学校に通わせる財力はない。そこで近所の公立小学校に入学させることにしていた。イングランドの公立教育の場合、自分の住んでいる家が所属する地方行政区画の管轄下にある公立学校を希望する順に6校ぐらいまでリストアップし、カウンシル(「地方行政区議会」などと訳されることもあるが、日本の区役所のようなもの)に入学申請する。だいたいどの学校も1クラス30人制で、クラス数も2つ程度。当然のことながら、人気の高い学校は競争率が高くなる。だが、入学試験があるわけではなく、選考基準は住んでいる家と学校間の距離や、兄弟姉妹が同じ学校に通っているかなどだそうだ。我が家が所属する地方行政区はロイヤル・バラ・オブ・ウィンザー・アンド・メイデンヘッドなのだが、隣の行政区ブラックネル・フォレストとの境界線の近くにある。第1志望だった小学校はブラックネル・フォレストの管轄下にあるのだが、我が家はこの学校のCatchment(キャッチメント/学区)内にあるということで、志望校リストに載せて入学申請することができた。

 

この学校は、英国の教育水準局Ofsted(Office for Standard in Education)から学校監査の最高評価点にあたる「Outstanding」(日本語で言えば「優」)を受けており、近所の人たちも絶賛している人気校である。だから、学区内にあってもブラックネル・フォレスト行政区の管轄外にある我が家は優先されないのではないかと気をもんでいたが、4歳児でも徒歩で通学できる距離である(しかも志望校のうち我が家から徒歩通学が可能なのはここだけ)という点が決め手となったようだ。娘は晴れて、(親の)希望通りこの学校に入学することになった。

 

だが入学といっても、日本の学校のように入学式といった儀式的なものはない。さらに娘の学校の場合、他の多くの学校が9月の第1月曜日からスタートしているというのに初登校日は第2火曜日で、しかもその週は半日授業という「ソフトオープニング」のようなノリであった。子供たちを徐々に学校生活に慣れさせるための配慮なのだろう。そしてその週は、木曜日と金曜日だけ学校で給食を食べることになっていた。保育園に通っていた娘は他の子供たちと一緒にお昼ご飯やおやつを食べることに慣れているが、保育園経験のない子たちが集団でご飯を食べることにかなりのストレスを感じるというケースが結構あるらしい。学校生活の最初の週は2日だけ学校で給食というのも、子供たちのストレスを軽減するためなのだろう。「過保護なのでは?」と一瞬疑問を抱いてしまった私だが、すぐさま自分のスパルタ母的一面にハッと驚き、自制した。

 

自分たちの都合の良い時間に連れて行って、これまた都合の良い時間に迎えに行けばよかった(もちろん開園時間の枠内での話だが)保育園とは違い、小学校は授業時間が決まっている。だからそれに合わせて送り迎えしなければならない。娘の学校では、朝8時55分までに子供たちを教室に送り届けなければならない。そこで、徒歩で通学させることを公約していた私は、娘の足で自宅からどの程度の時間がかかるかを把握するため、小学校「入学」の前日に娘と登校のリハーサルをした。通学路には、アヒルが数羽住んでいる池や野花が咲いている空き地などの「誘惑物」がいくつかある。夫と私だけなら徒歩で20分弱程度の距離だが、娘のスピードと誘惑物の存在を考慮するとその倍はかかる可能性もある。リハーサルの道中、娘は池の前に来るとアヒルに挨拶するために立ち止まったり、野花を見つけるとしゃがみ込んで摘み取ったり、歩道に落ちているドングリを拾ったりしていたが、それでも25分で学校にたどり着くことができた。この測定値を夫に報告し、2人で話し合った結果、登校のために家を出発するのは少し余裕を取って8時20分という結論に達した。

 

そしてついに初登校の日。それまでは8時過ぎに起床していた私たちは、夫と私のiPhoneiPad計4台の目覚まし機能で7時に起床した。その日私は、娘を学校に送り届けた後とんぼ返りで帰宅し、9時30分からのズンバ教室に(車で)行く予定であった。これまで9時30分の朝一ズンバ教室に行くときはノーメイクが定番だった私だが、その日は娘の入学日ということで、少し気合いを入れてファンデとマスカラと色付きリップクリームを塗った。それでも入学式のような改まったものはないため、ひざ下丈のフィットネスレギンスとパーカーにトレーニングシューズという姿であった。某ママ系ファッション雑誌が推奨している「アスレジャーファッション」(「アスレジャー」というのはこれまたこの雑誌が創り出したカタカナ語かと思っていたが、これはアメリカで生まれたれっきとした英語の造語らしい:https://en.wikipedia.org/wiki/Athleisure)とでも言いたいところだが、ディスカウントショップで買い集めたチグハグのフィットネスウェアを纏った私は、まったく「絵」になっていなかったに違いない。

 

娘は小学校に入学する数週間前から、「私は恥ずかしがり屋だけど、でもすっごくワクワクしてる!」(英語での発言である)と学校に行くのを楽しみにしていた。そして我が家にお客さんが来るたびに、嬉しそうに制服を見せたり、制服ファッションショーをやったりして盛り上がっていた。2歳ぐらいの頃から夜8時前に寝つくことはほとんどないこの子を、初当校の前夜は普段よりできるだけ早めにベッドに入れなければと私は躍起になっていた。7時過ぎに入浴させて7時45分にはベッドに寝かせたのだが、興奮していた娘はなかなか寝つかず、普段より少し遅い時間になってやっと寝ついた。寝る時間が遅いので当然のこともかもしれないが、娘は元来早起きタイプではない。恐れていたとおり、初登校の朝も娘はなかなかベットから出たがらなかった。

 

続く

水の質⑤(注:他のメディアに限定公開していた記事に手を加えたもの)

2017年2月22日水曜日。
ついに、待ちに待った軟水器が我が家にやってくる日が来た!

 

夫はこの日ロンドンで打ち合わせがあったので、娘を保育園へ送り届けたあとすぐにロンドンへ行ってしまった。1人になった私は家で仕事をしながら配管工の到着を待った。すると11時少し前に配管工から電話があり、到着は12時ごろになるけれどOKですかと確認された。

 

設置工事は1時間ぐらいで完了すると思っていたので、ランチは配管工が帰ってからにしようと決め、仕事を続けた。前夜の晩御飯の残り物(和風ミンチパイ)を温めなおして食べる予定だったので、軟水の料理への影響は晩御飯のときに検証することになる。だが、配管工には作業中に労いのお茶を出すべきだろうか。この人物は硬水で淹れたコクのある紅茶を好むのだろうか、それとも、自分が勤務するメーカーの軟水器を使っていて、軟水で淹れた紅茶に慣れているのだろうか。それによって、お茶を出すタイミングが変わってくる。

 

そんな思いを巡らせているうちに時間が経ち、ドアベルが鳴った。時計を見ると12時ぴったりであった。やって来た配管工は、30代手前とおぼしきやんちゃ顔の男性だった。イケメンではない。男女平等社会を謳う21世紀では、「XYは男性の職業、XXは女性の職業」といった固定概念にとらわれてはいけない。だから、「配管工は…男性だった」というように、やって来た職人の性別を明記するべきであろう。だが、個人的には女性の配管工や土方に出会ったことはまだない。

 

配管工はまず、我が家の水道の元栓の位置を確認した。私はこういうことは普段夫に任せているので、元栓がどこにあるのか把握していなかった。一般的にはキッチンの流し台の下なので、そこを見せたが違うと言われた。色々心をあたりを見せたところ、正解は玄関ドアのすぐに隣にあるトイレの中だった。我が家にはトイレが3箇所ある。この玄関の隣のものと、日本式2階の階段を上がった向かいにあるファミリーバスルーム、そして夫婦の寝室(といっても娘に占領されがち)であるマスターベッドルーム内のシャワールーム。水道の元栓がキッチンの流し台の下にあったのなら、飲料水を硬水のままにするために軟水器を通さない蛇口を設置することができるそうだが、我が家の元栓はトイレ内にあるのでそれはできないと言われた。夫も私も硬水の飲料水にはこだわらないので、問題はないと答えると、軟水器を設置する位置を教えてくれた。トイレの中はスペースがないので、壁を挟んだ外側、玄関ポーチの一角である。ここは玄関屋根の下で、今までプランターに植えた花(ロベリア)を飾っていた場所だ。花はすっかり枯れてしまっているからプランターを除去しても差し障りはない。

 

軟水器設置工事が始まった。1時間ぐらいで終わるとタカをくくっていたが、なかなか終わりそうにない。1時過ぎにお茶とお菓子をすすめたが、結構ですと断られた。そこで私はダイニングルームでランチを食べることにした。着工から約2時間後、ついに軟水器の設置工事が完了した。玄関ポーチの一角に設置された軟水器は、木製の保護ケースの中に収納されている。配管工が使い方を教えてくれたが、実に簡単だ。さあ、これでケラスターゼの美髪をなびかせる日々が始まる!素敵だ素敵だ!

 

あいにく、この日の晩御飯には肉の煮込みを予定していなかったし、お米はまだ数日前に炊き出して冷凍してあるものが残っていたので、軟水の料理への影響は検証できなかった。お茶は夜なのでカフェインのないハーブティーとローイボスティー。こちらも、軟水器が稼働する前にブリタに通しておいた水で淹れたので、違いはわからない。だが、手を洗ったあとの肌のコンディションは確かに違った。軟水を全身で最初に体験したのは娘であった。夫と私は朝にシャワーを浴びるが、シャワー嫌いの娘は夜にお風呂に入る。この日は娘のシャンプーの日だったので、普段使っている子供用のシャンプーで髪を洗ってやった。娘は生まれたときは直毛であったが、2歳になる少し前からクルンクルンの巻き毛に髪質が変化した。だから非常にもつれやすい。シャンプーのあとにタオルで髪を乾かすと、ヘアブラシがなかなか通らないほどもつれる。セラムを塗ってやってもスムーズに通らない。娘の髪をブラシでとかすときはいつも、イタイイタイ〜ッ!(英語で言うのでOuch!Ouch!)と泣き叫ぶので、まるで虐待しているかのようだ。ところがこの夜、軟水でシャンプーした娘の髪は、タオルで乾かしたあともしっとりしていて、ブラシの通りが良かった。そしてヘアドライヤーで乾かしたあとの髪は、ツヤツヤと輝いている。これはすごい!

 

そして翌朝。普段の娘の寝起き直後の髪は、まるで巨大な鳥の巣。クルンクルンの巻き毛がまるで爆発現場にいたかのように、縮れまくりもつれまくって大変なことになっている。これをブラシでとかすために、逃げ回る娘を追いかけ回すのが朝の恒例行事であった。軟水でシャンプーした翌朝の娘の髪はやはり鳥の巣状態であったが、それでもいつもよりボリュームがかなり少なかった。ブラシを手にした私を見ると娘は一目散に逃げ出したが、夫とのチームプレーで捕獲し、髪をとかした。すると、普段より驚くほどブラシの通りが良かった。いつもより痛くなかったので、娘も驚いたようだ。

 

そしてついに私のシャワータイム。ワクワクしながらいつも使っているシャンプーで髪を洗った。これは、「ヘアケア専門家おすすめ」という触れ込みの商品だが、ごく普通のスーパーで買えるお手頃価格のもの。お揃いのコンディショナーも使っている。普段なら、このあとにロレアルの縮れ毛解消用のヘアセラムをたっぷり塗り込む。ときにはさらにアルガンオイルを頭皮にもみ込んだり、Lushの毛先専用ヘアバームShine So Bright(日本市場では「ハッピーエンド」)をプラスしたりする。だが、この日はコンディショナーまでにした。

 

濡れたままの髪の手触りがすでに違う。タオルで乾かしたあと、そのままブラシをかけると驚くほどすっと通る。これはケラスターゼの洗い上がり!と、期待でテンションがどんどん上がってくる。ドライヤーに向かうまえに第一段階の結果を夫に報告すると、彼もかなり興味を示した。

 

そしてドライヤー。普段からブロースタイリングなどと手の込んだことはしない私だが、今までは前髪の付け根付近の縮れが気になるので必ずヘアアイロンで伸ばしていた。軟水で洗った髪は、ドライヤーの風にしなやかになびいていた。適度のコシがあり、絶妙な重さを感じる。そして乾いていくごとに髪がツヤツヤと輝き出す。これは、まさにケラスターゼの仕上がり!あゝ、あの夢にまで見た質感!乾き上がった髪は、ツルツルで指がすっと通る。パサパサ感が一切なく、例の前髪の付け根も気になるほど縮れていない。適度なウェーブでいい感じだ。見た目も手触りもなんともシルキー!今まで、ヘアセラムやバームを使っても、ここまで満足のいく仕上がりは達成できなかった。感動で涙が出そうになった。本文内にFBのスタンプを挿入できないのが残念だが、この瞬間の私は、バラの花に囲まれてウルウルとデカ目を輝かせるブルーキャットであった!

 

感動と狂喜で興奮を抑えられない私は夫のもとに走り、彼に髪を触らせた。すると夫も、おおおおお〜〜っ!と感心した。素晴らしい!普段なら、すぐにひっつめ髪にする私だが、この日はシルキーな質感と絶妙なさじ加減でウェーブしている美髪を満喫することにした。この手触りには快感を覚えてしまう。側から見ると苛立たしい仕草かもしれないが、髪に指を通して香りをかぐのがやめられない。軟水器が収納されている木製の保護ケースは、今後我が家の神棚になりそうだ。

 

こうしてツヤツヤと輝く美髪を誇らし気になびかせ、ルンルンの幸せ気分で娘のバレエレッスンに向かう私であった。(ちなみに、普段ならボサボサの娘の巻き毛も、いつもよりまとまりがあり、輝いていた。)

 

 

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*写真No1: 硬水で洗った髪。ボサボサ、パサパサ…だから不機嫌。

写真No2: 軟水で洗った美髪。写真では分かりにくいかもしれないが、シルキーにツヤとコシで絶妙なゆるウェーブが自然に出ている。これはドライヤーで簡単に乾かしただけで、スタイリングなど手の込んだことは一切していない。ケラスターゼを使わずにケラスターゼと同じ至福の仕上がり!💖

注: どちらの写真にも特殊効果はかけていない。