けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

古人の戒め~その⑥

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セルフヘアカラーキットを使ったDIY Disasterの後始末には限界がある。私のように、DIYバレイヤージュの試みに大失敗している場合には特にそうだ。数週間後のイースター休暇には商用も兼ねて訪日することになっており、東京で仕事の打ち合わせも数件入っている。そのようなかしこまった場に、昭和のヤンキーのような頭で出向くわけにはいかない。プロによるカットでもカバーしきれないほどのDisasterなので、これはやはりプロに丁寧に染め直してもらうしかない。そのことを夫に白状すると、再び呆れられるか馬鹿にされると思っていたが、人間のできた人である夫は同情してくれた。こういうに状況に、「だから最初からプロにやってもらえばよかったのに!」などとツッコミを入れるのは、相手側に「泣きっ面に蜂」か「火に油を注ぐ」という結果を招く。それを心得ているのか、夫は招かれぬコメントは一切しなかった。

 

それから数日後、私の4X歳の誕生日が来た。その日の朝は普段より少し早めに起床した夫と娘が、隣の部屋で何やらコソコソとやっていた。そろそろ私もベッドから出ようかと身を起こしたところ、2人がプレゼントとカードを抱えて「Happy Birthday, Mummy!」と叫びながら寝室に飛び込んできた。さらに娘は私の首に飛びつき、チュウ攻めにしてくれた。何とも素晴らしい誕生日の朝だ。五十路にまた一歩近づいたのを喜ぶ気にはなれないが、このように愛しい人たちに祝ってもらえるというのは、心の底から幸せを感じる。

 

ここで夫と娘からの誕生日プレゼントをリストアップして自慢するつもりはないが、1つ特筆すべきものがある。それは、夫と娘が共同でメッセージを手書きしたバースデーカードの中に同封されていた小さな封筒。その中には、名刺サイズのピンクのカードが入っていた。よく見ると、それは先日私がヘアカットしに行った、あのおばちゃん美容師が営むヘアサロンのギフトクーポンだった。裏側には、「Hair Colouring, £80」と書かれている。ああ、なんとも気が利く夫なのだろう!

 

さっそく私はその日のうちにヘアカラーの予約を入れた。「鉄は熱いうちに打て」とでもいったところだろうか。ちなみにこの格言は日本語に昔からあったものではなく、「Strike while the iron is hot」という英語の格言を訳したものなのだそうだ。そういえば、高校生の頃に『英語の構文150』で暗記させられたイデオムのひとつだ。ヘアカラーの予約は1週間後の木曜日になった。

 

予約の当日、おばちゃん美容師は私の髪の毛をいくつかのセクションに分けてクリップで留め、DIY Disasterのセルフ修正がいかに不十分であったかをiPhoneで撮影してくれた。カットしに行った時にも手鏡で見せてくれたが、確かに滑稽だ。昭和の田舎のヤンキーのようなキンキン状態は解消されているものの、不規則な幅の赤毛のブチや筋があちこちに見られる。まるでパンクのなりそこないのようだ。これを数時間かけてムラなく丁寧に修正してもらった。その結果は下のとおり。

 

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非常に満足のいく出来上がりだが、予定よりもかなり高くついた。夫がくれたギフトクーポンがヘアカラー料金全額をカバーしてくれると期待していたが、染髪剤のタイプだの高級トリートメントだので、60英ポンド(約8500円)の予算オーバー。ここで再びDIYバレイヤージュキット購入時からの総出費額を計算すると、ギフトクーポンの金額を差し引いても165.74英ポンド(約23500円)になる。最初からプロにバレイヤージュをしてもらった場合の想定額は120英ポンドだから、45.74英ポンド(約6500円)の「損」を出している。ギフトクーポンの金額を差し引かない実質の「損」は、なんと125.74英ポンド(約17800円)なのである。すなわち、プロに2回ほどバレイヤージュをしてもらってもお釣りが出るレベルなのだ。

 

まさに、「安物買いの銭失い」の典型。ドアホとしか評価のしようがない。ちなみに、日本語の「安物買いの銭失い」に近い英語の格言は、「Be penny-wise and pound-foolish」ではないだろうか。直訳すれば、「ペニー(英国の下位通貨単位。複数形だとペンス。100ペンス=1ポンド)に賢く、ポンドに愚か」といったところだ。

 

果たして、ドアホの私はこの経験に懲りて古人の戒めを心に刻み、今後はセコイやり方を改めるのだろうか。 

 

それとも、「バカは死んでも治らない」のだろうか。。。

 

古人の戒め〜その⑤

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DIY Disasterの後始末をさらにDIYで済ませ、どこまでも安上がりを追及する私。その④ですでに言及しているが、ここまでの出費額を再びおさらいすると、

 

  1. DIYバレイヤージュキット ----- 7.99英ポンド
  2. 修正のためのセルヘアカラーキット ----- 6英ポンド

  合計              13.99英ポンド(約2100円)

 

だから、ヘアサロンでバレイヤージュをやってもらったときの想定額120英ポンド(約18000円)よりも106.01英ポンド(120英ポンドと13.99英ポンドの日本円換算額から単純に計算して約15900円)も「得」している。後日になって、セルフカラー塗布で使用したバスルームの数ヵ所に染髪剤の残骸が次々と発見され、夫と娘からヒンシュクを買ったが、私は結果に満足していた。

 

ところが、DIY Disasterの後始末から数週間後、毛先が異様にパサパサし、枝毛の数と甚だしい髪の裂け方が気になりだした。やはり、ごく短い期間に髪の脱色と染色を繰り返したツケで髪に多大な負担がかかり、かなり痛めてしまったようだ。ひっつめ髪にしても上手くまとまらないし、そのまま超ロングで下ろしているとボサボサでだらしなく見える。そこで、いつも買い物をしている近所のスーパーで、ロレアルのElvive Full Restore 5 Intensive Repairing Masqueを4.75英ポンド(約700円)で購入した。パッケージの類似性から判断して、このシリーズは日本市場で「エルセーヴ  ダメージケアPROEX」として販売されているようだが、私が買ったヘアマスクに相当するものは日本ロレアルのホームページに見当たらない。

 

シャンプーするたびにこのヘアマスクを使っていたが、髪のパサパサ・ボサボサ感は改善されない。あまりにもみすぼらしく見える自分の頭髪に私は嫌気が刺してきた。ここはやはり毛先を揃え、レイヤーを入れて髪に活き活き感を与えるべきであろう。だが、さすがにこのような高度な技はセルフでは無理だ。そこで、毎週火曜日の朝に通っているズンバ教室会場の近くに見つけたこじんまりとしたヘアサロンでカットを予約することにした。

 

私はヘアサロンに関しては浮気性の傾向がある。14年間暮らしたパリでも、「行きつけ」と呼べるレベルのサロンはほぼなかった。その時その時の気分と予算、交通の便に応じ、数店舗を転々としていたからだ。パリ生活最後の2年間は、自宅から徒歩2分のヘアサロンを優先的に選んでいたが、その頃からずっとロングヘアであったため、行く回数は1年に2回程度で、足しげく通うことはなかった。

 

英国に移住してからは、夫が薦めるヘアサロンに行くことが多かった。最初に行ったのは夫の仕事場の近くにある非チェーン系の洒落た店で、これまた夫の薦めで指名していた女性の美容師は、仏語圏出身のスイス人だった。彼女となら希望するカットを仏語で説明できるのが、当時の私には便利であった。だがそこも、夫がヘアサロンを変えたのをきっかけに行かなくなってしまい、以来様々なサロンを渡り歩いた。日本に里帰りした時に、実家の近くや東京の滞在先の近くのサロンに行くこともあったが、やはり基本的にロングヘアをキープしていたため、ヘアサロンを利用する頻度は概して低かった。

 

今回初めてトライしたこのサロンはかなり小さ目で、50代前半とおぼしき女性が独りできりもりしていた。女性というより、「おばちゃん」という描写のほうが似合う感じの美容師だ。ダイレクターやアーティスト、シニアスタイリストなどの役職名を掲げたスタイリッシュな美容師陣が常駐するヘアサロンが主流の今にあって、どことなく日本の昭和的なこのサロンに、昭和育ちの私は何とも言えないノスタルジーと新鮮味を覚えた。かえってこういうところの方が、きめ細かいケアやアドバイスをしてくれるのかもしれない。

 

予約の当日、ヘアサロンに赴くと、おばちゃん美容師は受付で電話に応答していた。私の姿を見ると、受話器を手で押さえて「ちょっと待って」と小声で言い、再び電話での会話に戻った。サロン内には彼女と私以外誰もいない。さり気なく陳列品にチェックを入れると、どれもロレアルのヘアサロン専用製品だった。ということは、ここで使っているシャンプーもトリートメントもロレアル製品なのだろう。自宅で使っているのは市販ブランドだがロレアルものなので、一貫性があっていいかもしれない。そんな考えを巡らせていると、通話を終えたおばちゃん美容師が私のジャケットを預り、ケープを着せかけてくれた。

 

シャンプーを終えて座席に誘導され、どのようなカットを希望するのかを尋ねられたので、毛先を5cm程度(どこのサロンでも指定より短くカットされるので、10cmぐらい切られることを想定して5cmと指定)カットして揃え、サイドとバックにレイヤーを入れてスタイルに動きを与えて欲しいと説明した。すると、濡れた私の髪を梳かしながら数セクションに分けてクリップで留めていたおばちゃんの手が一瞬止まった。正面のミラーに映っているおばちゃんの様子をうかがうと、私の髪の表面部を持ち上げたり下ろしてかき分けたりしながら不可解そうな表情をしていた。やはりバレたか、DIY Disaster。

 

恥を忍んで正直に事情を説明すると、大笑いされてしまった。おばちゃん美容師は手鏡で私の後頭部を映し出し、私のDIY Disasterセルフ修正がいかに不完全であるかを視覚的に説明してくれた。自分ではカバーできたと思っていたキンキンのブチは、かなり明るめのレッドになっており、他の部分から浮き出ている。しかもそのブチは不規則な幅と長さで後頭部の数ヵ所に見られる。ひっつめ髪ならある程度隠すことができるが、髪を下ろしていたときの私の後頭部はさぞかし滑稽だったことだろう。それを他人から面と向かって指摘されたことはなかったが、実は陰で笑われていたのかもしれない。

 

おばちゃん美容師は、毛先のダメージはカットである程度改善できるが、DIY Disasterセルフ修正の不完全さはカットでカバーできるものではないと断言した。ちゃんとプロの手で丹念に染め直してもらうしかないのだ。

 

この日のシャンプー+高級トリートメント(かなり髪が傷んでいたのでやっておくべきと強く勧められた)&カット&ブロードライにかかった費用は87英ポンド(約13000円)。つまり、DIYバレイヤージュキット購入から合計105.74英ポンドの出費になる(4.75英ポンドのヘアマスクも計算に入れている)。最初からプロにバレイヤージュをしてもらった場合の想定額120英ポンドとの差額は、ほんの14.26英ポンド(約2100円)程度になってしまった。そして近いうちに、プロによるヘアカラーでDIY Disasterを綺麗に修正してもらわなければならないだろうから、この14.26英ポンドの節約は完全におチャラになる。金だけの問題ではない。これまでに費やした労力も馬鹿にならない。DIYバレイヤージュキットはネットで注文したが、その修正のためのセルフヘアカラーキットはわざわざそれだけのために買い物に出かけた。そして2度にわたる自宅での塗布作業と清掃作業(念入りにやったつもりが、見逃した染髪剤のしずくが次々と発見され、さらなる清掃作業に)。さらにダメージカバーのためのヘアサロン予約と予約当日の移動。

 

この時点で、私は自分のセコいやり方の愚かさをじわじわと感じ始めたのだった。。。

 

続く

 

 

 

 

 

 

お国柄と偏見

昨日投稿した「スポーツイベントとお国柄」は、私自身から積極的にシェアして宣伝した友人たちから、多くの嬉しいコメントをいただいた。彼らの感想や体験談を読んで、さらにこの「お国柄」についていろいろと考えを巡らせた。というわけで、「古人の戒め」シリーズはほったらかしになっているが、再びこの「お国柄」テーマで飛び入り投稿させていただく。

 

昨日の記事にも書いたように、国や土地になんらかの「お国柄」が見られるのは否定できない事実だ。それぞれの風土(デジタル大辞泉の定義:1.その土地の気候・地味・地勢などのありさま。2.人間の文化の形成などに影響をおよぼす精神的な環境。「政治的風土」「宗教的風土」)や歴史が、そこに住む人々の生き方や考え方に何らかの影響をおよぼしているのであろう。同じ国でも、地方によってそこに住む人々の気質や価値観に違いがあるというのは、たいていどの国でも見られる現象だ。そして「その土地らしさ」(YTさん、表現のヒントをありがとう!)というものは、多くの人々が愛着を感じるものではないだろうか。

 

だが、「お国柄」の危険な側面は、それが自分達とは異なる人々をステレオタイプという型にはめ込み、さらに先入観や偏見に発展して、ついには不信感や嫌悪感にまでエスカレートしてしまうこともあるという点だ。

 

私がフランスの某自動車メーカー本社の広報部員だった時代の話だが、ある日、日本の某全国紙の経済部門担当記者から取材の依頼があった。その記者は、私の勤め先であった某仏自動車メーカーの日本支社広報部から、本社広報部のプレスオフィスに日本人スタッフ(私)がいることを聞いて、取材の対応に私を指名してきた。日本のある大手自動車メーカーがフランス北部に新設した工場の取材で渡仏したのだが、この日本メーカーがフランス国内に生産拠点を設けたことに対する仏メーカーの対応についてコメントを欲しいとのことだった。当時まだ駆け出しの広報部員だった私は、このような取材依頼に対応するのはもっとベテランのプレスオフィサーであるべきだと上司に主張したが、通訳を必要としない日本人スタッフの私が適任だと言われ、結局私がその記者の質問に答えることになった。

 

取材の当日、本社広報部に到着した記者を小さめの会議室に案内し、名刺交換をした。私は大学を卒業してすぐに英国留学したため、日本の企業に勤めた経験がなく(大学生時代は塾の講師のバイトをしていたが)、日本の社会人マナーに疎い。特に名刺交換の作法は(今でも)イマイチ把握していない。私と名刺交換をした経験のある日本人の中には、おやっ???と違和感を感じた方々もかなりいると思う。ただ、名刺は名前を相手に向けて両手で差し出すものだということは本能的に感じていたが、相手の名刺の受け取り方とそのタイミングがよくわからない。だからたいていギクシャクしてしまう。そして、あの時、その記者にお茶などの飲み物を「お出し」したかどうか、記憶に残っていない。

 

余談はここまでにして、話を本題に戻そう。取材のテーマは某日本メーカーの「フランス進出」に対する仏メーカーの対応・反応であったはずなのに、記者の口から出た最初の質問は次のようなものであった。

 

「日本の経済ジャーナリストの間では、この日本メーカーのフランス新工場には、同メーカーの日本工場と同レベルの品質は達成できないという見方が主流なんですよ。自由奔放なお国柄のフランス人には、勤勉な日本人が生み出す品質は真似できないってね。あなたはどう思います?」

 

私は一瞬自分の耳を疑ったが、彼は同じ質問を繰り返した。本当は、「そのアホな質問、なんなん?マジで聞いてるん?」と関西弁でののしりたかったのだが、職業倫理上それはグッとこらえ、「それは他社の問題ですから、XXX社の社員である私がコメントすることではありません」と答えた。だがその記者は私の意見を執拗に求めてきた。そこで私は、「XXX社の社員としての私ではなく、一在仏日本人としての私個人の意見をお求めなら、お答えします。それはフランス人のお国柄の問題ではなく、その日本メーカーの経営方針と社内教育の問題であるはずです。それぞれのメーカーには確固とした生産方式と品質基準があって、世界規模で生産と販売を展開するメーカーなら、その方式と品質基準を各地で徹底させているはずです。新しい土地に進出したら、そこで雇った従業員に適切な教育と訓練を提供して、品質基準の確立に努めているはず。ですから、日本人だから、フランス人だから、などという問題はないと思います」と答えた。それでも「でもねぇ、どう考えてもフランス人には無理なんじゃないですぅ?」としつこく絡んでくる記者に苛立ちを抑えきれなくなった私は、「それは、はっきり言って偏見です」と言い払った。

 

また、これは日本のあるメーカーとの仕事をした友人(日本語堪能の非日本人)から聞いた話だが、ある年、そのメーカーが日本人記者団をスペイン工場視察旅行に招待した。私の友人はその記者団に同行したのだが、その企画のために雇われていた日本人通訳者が、移動中のバス内でバスガイド役を買って出たそうだ。スペイン在住歴がどのくらいの人物だったのかは覚えていないが、スペインの歴史や文化に詳しいからと、頼まれもしないのにマイクを手にしてあれこれ喋り出したそうだ。窓の外に見える建造物の説明などは興味深い内容であったが、しばらくして調子づいた通訳者は突然、ステレオタイプに基づくスペイン人の批評にネタを変えた。「スペイン人は昼食の時間が遅いですしね(これは事実)、シエスタっていって昼寝しないと仕事できない人たちだから、雇う側にとって難儀ですよ~。工場なんて、どこも生産ノルマ達成できませんよ」などと、スペイン人に対する侮辱のような発言をしたそうだ。しかも、その発言は自分のクライアントに対する侮辱でもあり、職業倫理に反する行為だ。同行していた日本人スタッフは慌ててその通訳者を黙らせたという。

 

その通訳者はスペイン人の「お国柄」ネタで日本人記者団の笑いを取ろうとしていたのかもしれないが、事実を適切に反映しておらず、あまりにもひどい偏見に基づく発言だ。私の友人の話では、それを聞た日本人記者団の間にさほど笑いは起らなかったというから、同じ日本人として少しホッとした。

 

だからと言って、私は日本人ばかりが異文化に対する偏見を持っていると批判しているわけではない。このような異国人や異文化に対する偏見は、世界の至るところに存在する。私がよく好んで擁護するフランス人の間にも、異国人や異文化、宗教に基づく偏見は多くある。幸いにも、フランスで私が個人的にそのようなタチの悪い偏見の被害に遭ったことはないが、偏見の矛先を向けられた人々を何人か個人的に知っている。

 

その一例は、某自動車メーカー本社広報部で同期だったトルコ人男性の同僚だ。彼はイスタンブールの裕福な家庭の出身で、イスタンブールでリセ・フランセ(フランス人学校)を卒業した後、パリの大学に留学してそのままフランスで就職した。フランス人の妻との間にできた第一子が誕生したとき、5カ月間(だったと思う)の育児休暇を取って子育てに専念したのは彼の妻ではなく、彼その人であった。当時、私の周りで育児休暇を取った男性は、彼が初めてであった。彼のフランス語には訛りがほとんどなく、ビジネス文書もネイティブスピーカーより上手いぐらいだった。私と同じ歳のとても気さくな男性で、当時プレスオフィスで非フランス人であったのは彼と私の2人だけだったこともあって、私は彼とは仲良くしていた。

 

だが、プレスオフィスの先輩の1人に、何かと彼がトルコ人であることを理由に彼を批判する男性がいた。その人物は彼のことを嫌っていたわけではないのだが、例えば彼が女性の上司と意見の違いでちょっとした口論になったとき、「ああ、アイツはトルコ人だから、女性が上司ってのは我慢ならないんだよ」などと軽々しく言ってのけた。この先輩は、トルコとは徹底した男尊女卑社会だと決めつけていたようだ。だがそれは事実に反する。トルコには、政界や財界で活躍する女性が数多くいる。1990年代には女性の首相(タンス・チルレル:1993~1996年)も輩出している。「トルコ=男尊女卑社会」という偏見を公然と掲げるフランス人に、トルコ人女性が参政権を獲得したのはフランス人女性の10年以上前であった事実(トルコ:選挙権1930年、非選挙権1934年 VS フランス:選挙権・被選挙権ともに1944年)を私は突き付けたことが何度かある。ただ、現大統領のエルドアンが政権を握って以来、女性に対する保守的な風潮が台頭してきているのは悲しいが事実だ。

 

人種差別的なバリバリの偏見発言で日本でも有名になったフランス人と言えば、1991年から92年にかけて首相を務めたエディット・クレッソン女史。彼女は公式な場で日本人を「黄色い蟻」呼ばわりした。当時は確かに、日本企業や製品の進出に対するジャパンバッシングの風潮が欧米で見られた時代でもあった。彼女のこの「日本人は蟻」発言は私もよく覚えている。彼女の偏見の標的は英国にも向けられ、あるインタビューで「アングロサクソン系の男性の25%はホモだ」といった趣旨の発言もしている。それに対して英国のタブロイド紙は、「英国人男性にチヤホヤしてもらえなかったから、ひがんでいるんだろう」などと皮肉ったらしい。このシニカルはリアクションは、英国人の「お国柄」の一面なのだろうか。

 

偏見に基づいたくだらない発言をした政治家や著名人は、日本にも、世界の他の国々にも数多くいる。特に、世界最強の民主主義国家であるはずの国の現大統領は、「くだらない」レベルをはるかに超え、「許せない」レベルの発言を公然と吐き出す。そんな社会は文明社会とは言えない。

 

「お国柄」は、お互いの違いを認識したり、愛着の対象や罪のない無邪気なジョークの対象とするならいいが、人々を型にはめ込んでステレオタイプにする手段となったり、非好意的な偏見や差別の根源にしてはいけない。

 

と、今回はシリアスなテーマで書きなぐらせていただいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スポーツイベントとお国柄

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*画像はrussiafifaworldcup.comから拝借

 

 

3月中旬からしたためている「古人の戒め」シリーズがまだ完結に至っていないのだが、この新しいネタが突如閃いたので、急遽飛び入り投稿さてていただくことにした。本当はコピーライティングの仕事の締め切りに追われているのだが、思いついたら書いてしまわないとアイデアがしおれてしまうので書き殴っている次第である。

 

この閃きのきっかけとなったのは、今月の頭から1年間ドイツに滞在することになった日英カップルからのメッセージ。只今サッカーのワールドカップが世界を熱狂の渦に巻き込んでいるが、彼らは昨日のドイツvsメキシコ戦をベルリンのバーで観戦していたそうだ。そのとき、ドイツが敗北しても、ドイツ人サポーター達が冷静だったのが印象的だったとの報告を受けた。ドイツがスコアを1点奪われたとき、そこで一緒に観戦していた他の英国人客が、「英国だったら、すでにここにあるビールグラス全部割れてるぞ!」と言っていたそうだ。そのメッセージを受信した私はつい、「ドイツ人はストイックだね~」と返信してしまった。しかもその後、「ドイツ人はストイックかニヒリストかなぁ」と付け足すことさえした。

 

私は、「XX人はこんな性格」、「典型的なXX人」といったようなステレオタイプ化に対する嫌悪感が強く、自分はそのような考え方を控えているつもりだ。しかし、やはりそれぞれの国にある程度の「お国柄」があるのは否定できない。国レベルだけに限らず、地域レベルでも、その土地その土地の「お国柄」が存在する。それは、その土地の風土や歴史が、そこで生まれ育った人々の価値観や生き方に影響をおよぼすということであろう。人生の半分以上を海外で過ごしている私の場合、日本人と会話するときほとんど故郷の大阪弁(しかも悪名高き河内・泉州弁)が出なくなった。だが、いくら標準語らしき日本を使っていても、私の話し方(方言の問題ではなく、「ツッコミ」と「オチ」の入れ方やストーリー展開の仕方だそうだ)や考え方から、しばらく話をしているうちに私が関西人であることを見抜かれることがよくある。

 

また、その土地で生まれ育った人ではなくても、何年かそこで生活して馴染んでいくうちに、自然とその土地の「お国柄」に染まっていくこともある。実際に私は、怒り方や意見の主張の仕方がフランス人っぽいと、フランス人や英米人に指摘されることがよくある。私はフランスで自分の意見をしっかり述べることや理不尽な扱いに強く抗議することの重要さを学んだので、これは最高の誉め言葉と受け止めている。一方、日本在住歴がちょうど私の海外在住歴と同じという、ケベック州出身カナダ人の良き友は、長年日本で生活していたために、私よりもずっと日本人らしいところがある。とりわけ、電話で話をしているときに、受話器の向こうの見えない相手にペコペコお辞儀をするというあまりにも日本人らしい姿には大笑いしてしまった。

 

そして、多文化が共生する移民国家や移民社会でも、それなりに独特な「お国柄」が出来上がって来るものだと私は考える。

 

国民性にも色々あるが、パリ時代に知り合ったスウェーデン人の女子大生から聞いたスウェーデンの「お国柄」は興味深かった。彼女の話では、スウェーデン人は子供の頃から男女平等という概念をしっかり教え込まれているため、男性はロマンチックではなく、女性もぶっきらぼうで色っぽくないとか。男性が女性をナンパすることはほとんどなく、女性のほうから率直にアプローチすることが多いと彼女は言っていた。金髪碧眼の美女だった彼女は、パリで多くの男性からもてはやされていたが、故郷スウェーデンで男性からそのような扱いを受けることはなかったため、最初は非常に当惑したそうだ。だが、その話を私にした後、彼女は「でも、男性からチヤホヤされるって、やっぱり悪くないわね!」とウインクして見せた。

 

欧州内でスウェーデン人の対局的な「お国柄」が見られる国と言えば、やはりイタリアではないだろうか。男女間の駆け引きに関しては、世界的にフランス人が名高い(しかし、これもステレオタイプ化である)が、イタリア人男性が美女や、とりわけ美女ではなくてもセクシーな女性を公の場で褒めたたえる様子は確かに見物だ。フランスの某自動車メーカーの広報部員だった頃、同期のフランス人同僚とナポリに出張に行ったことがある。彼女は「美女」というカテゴリーではないと私は思っていたが、黒髪に近いダークブラウンのショートカットに透き通るような青い目と、広報部プレスオフィスの仏人男性同僚の間で「ダブルエアバッグ」と称される(国によっては、セクハラ発言として訴えられかねない)ふくよかな胸の持ち主だった。確かにセクシーでチャーミングな女性だ。彼女とナポリのホテルに到着したのは夜の10時過ぎだったが、さすがイタリア南部。近辺のレストランはまだまだ食事や会話を楽しむ老若男女でにぎわっていた。そのような場所を彼女と通り過ぎる度に、居合わした男性の頭が太陽を追うひまわりのように彼女に向かって回転する。そして、「Bellissimo!」や「Ciao, Bella!」という歓声とともに、拍手まで上がった。その憧憬の対象は決して私ではなく、彼女であるのは一目瞭然であった。まさにステレオタイプの典型のようなエピソードだが、私が第一線で体験した話なのだ。

 

また北に焦点を戻すが、「スコットランド人はケチ」という世界的な定評があるのをご存じだろうか。スコットランド人のケチぶりを嘲笑するジョークは英語圏内に多く存在する。スコットランド出身の夫によれば、それはスコットランドが昔から貧しかったからであり、決して「ケチ」なのではなく「倹約家」なのだと。だが、祖国を弁護する彼でさえも、スコットランド人のケチぶりをテーマにした自虐ギャグを飛ばすことがよくある。これもスコットランド人の「お国柄」なのだろうか。

 

自虐ギャグと言えば、実はフランス人は以外に自虐ギャグが好きな「お国柄」のようだ。フランスの伝説的なスタンドアップコメディアンの1人に、コリューシュ (Coluche) という芸人がいる。80年代に一世を風靡した彼は、バイク事故で早逝してから30年以上過ぎた今でも、国民の間に根強い人気を持つ。生前の彼を知らない若者たちでさえ、彼のギャグを知っているぐらいだ。そして彼は、1980年の大統領選挙に出馬したことさえある人物である。結局は、フランソワ・ミッテランなどの「正統派政治家」からの圧力や、マネージャーが殺害されたことを受けて撤退してしまったが。彼はまた、1985年にホームレスや貧しい人々に無料で食事や衣料を提供する「Restaurant du Cœur (直訳: 心のレストラン)」という社会貢献活動を立ち上げた慈善家でもあった。フランス人が愛着を込めて「Resto du Cœur (無理矢理カタカナ表記すると、レスト・デュ・クール)」と呼ぶこの慈善活動は、現在でも4万人を超えるボランティアが、全国2500カ所にのぼる食堂で、1日約60万人に食事を提供しているという。そんな彼の有名なギャグの1つに、「フランス人がなぜ雄鶏を国のシンボルに選んだかご存知かな?それは、雄鶏が糞の中に佇んで誇り高く鳴き声をあげることができる唯一の鳥だからなんだよ」というのがある。このギャグは、未だにフランス人の大のお気に入りで、ラジオやテレビで頻繁に流されているし、私も友人知人の口から何度も聞いた。

 

ところで、スポーツイベントというものは特に、観戦している群集の「お国柄」が出やすいものではないだろうか。オリンピックもそうだが、やはりサッカーのワールドカップはその傾向がハンパではないような気がする。1998年にフランスでサッカーのW杯が開催されたとき(私は英国からフランスに移住して3年目の頃であった)、試合が終了すると必ず自分たちが座っていた座席周辺のゴミ拾いをしている日本人観戦客の姿がフランスの主なニュース番組ほぼすべてで取り上げられていたのをよく覚えている。確かに、その年は日本がサッカーW杯初出場を果たしたこともあり、日本人ファンの行動が何かと話題になりやすい環境ではあった。観客席を集団で掃除する日本人の姿はフランスW杯の「見どころ」の一部となり、どのニュースアンカーも「さすが日本人ですね。観戦マナーが良くて礼儀正しい上に、綺麗好き。我が国の子供たちに見習わせたい!」といったように、ことごとく感心していた。ただでさえ親日家の多いフランスで、このようなシーンは日本人の評判をさらに高めたことであろう。

 

プロサッカーの試合で観戦客のお国柄を感じたもうひとつのエピソードに、UEFAユーロ2000決勝戦のフランスvsイタリア戦がある。その頃、私は当時まだ離婚していなかったフランス人の現前夫と一緒にイタリアでバカンスを過ごしており、決勝戦当日はフィレンツェにいた。フィレンツェの通りのあちこちに、テレビを囲む人々が道にあふれ出るほど集まっているカフェやバー、レストラン、そして民家が見られた。やはり自国が闘う決勝戦だから観戦したいという現前夫の希望をくんで、私たちはイタリア人の客が巨大スクリーンに食いつくように群がって座っているスポーツバーに入った。

 

私たちが中に入ったときにはすでに試合がスタートしており、イタリアチームが苦戦していた。そのためであろうが、そのスポーツバーには殺気ともおぼしき熱気が満ちあふれているのが全身で感じ取られた。それを察知した仏人の現前夫は私の方に振り返り、「ここでは絶対にフランス語を使っちゃだめだ。英語で話そう」としつこく私に英語で言ってきた。東洋人の私が一見だけでフランス人と思われることはまあないであろうし、フランス国旗のフェイスペイントをしていたわけでもなければフランス国旗を振りかざしていたわけでもない。だが、確かにフランス語で話せば目の敵にされるかもしれない雰囲気が充満していた。ここでフランス語で話しながら観戦するのは自殺行為に等しいであろう。現前夫はラテン系らしい容姿のフランス人で、黙っていればイタリア人と思われたかもしれない。ただ、ファッションセンスが若干イタリア人と異なる。と、ここでまたステレオタイプ化してしまっている私だが、とにかく私たち2人はしばらく英語を共通語とすることにした。

 

イタリア人選手がミスをしたり、フランスチームが優勢になる度に、巨大スクリーンの前のイタリア人群集の間には、まるでこの世の終わりかのような、すさまじい嘆きの絶叫とジェスチャーが飛び交っていた。そしてフランスが最初のゴールを決めたとき、絶望に頭を抱え込み、のたうちまわるイタリア人観戦客のド真ん中に、フランスチームのユニフォームを着た黒人系フランス人が2人、拳をあげて立ち上がり、「ラ・マルセイエーズ」(注:フランスの国家)」を歌って「Vive La France!(ヴィーヴ・ラ・フランス!=フランス万歳!)と雄叫びを上げるのを目撃した。現前夫も私も背筋がぞ~っとするのを感じ、私は思わず英語で「Nooo! Stop it! Are you crazy????」と叫んだ。

 

スポーツバー内は火花が飛び交い、テンションが爆発寸前であった。「これはヤバい!」と直感的に命の危機を感じた現前夫と私は、一目散にそのスポーツバーを飛び出した。お互いの顔を見つめ合い、「よく生きて出てこれたなぁ」と安堵した私たちであったが、問題のバー内では、あのテンションは幸い喧嘩や暴動にまでにはエスカレートしなかったようだ。

 

あの試合の結果はご存知のように、フランスの勝利であった。その夜、夕食をとるために、ちゃんと営業していそうなレストランを探して通りを徘徊していると、嘆き悲しむイタリア人を挑発するかのように、「Vive La France!」と叫んでは逃げ隠れる若いフランス人観光客の姿を何度か見かけた。なんと愚かな若者たち。だが、絶望の淵に突き落とされたかのような様子の通行人の多くは、そのような子供っぽい挑発に特に反応はしなかった。そして、翌日のフィレンツェは、街中がまるで国葬かのような悲哀のヴェールに包まれていた。私はイタリア語が理解できるわけではないが、その日のテレビやラジオ番組では一日中、前夜のトラウマ的な敗北についての議論が行われていたようであった。なぜイタリアが負けたのか、負けるはずはなかった、レフリーがフェアじゃなかった、フランスチームがいいプレーをしたわけではない、プレーの質ではイタリアの方が勝っていた、などといった現実逃避的な分析が多かったように感じた。これもイタリア人の「お国柄」なのだろうか。だがきっと、リアクションのレべルは、ミラノ人やローマ人、フィレンツェ人やナポリ人の間で多様性があったのだと思う。

 

そんな体験を思い起こしているうちに、果たして今までスポーツイベントにおける観戦客の「お国柄」を調査する人類学的実験は行われたことがあるのだろうか、と疑問に思った。きっとどこかの大学が実施したことがあるに違いない。ググリ屋の私は例によって早速ググってみた。しかし、検索キーワードがイマイチなのか、これといった結果は出てこなかった。そのような実験が行われた試しがないのなら、英国の文化人類学で有名なオックスフォード大学やキングス・カレッジ、UCLユニバーシティ・カレッジ・ロンドンなどに提案してみようか。参加者の年齢層や社会階層、男女の割合などを国ごとにまったく同一にし、観戦するスポーツ(サッカーが一番わかりやすいであろう)や観戦環境も当然のことながら同じ。実験を実施する時間帯も同じで、実験参加者に提供する飲食料も同じか同等のもの。対戦相手国も極力その国の歴史的ライバル国を選び、試合の展開も同じにするべきだろう。首都圏出身者と地方出身者の割合も同じでなければならない。サッカーが人気のない国やプレーする人がいない国は対象外となってしまうが、それでもかなり多くの国々の「お国柄」を観察することができるのではないだろうか。だが、同じワールドカップでも、サッカーとラグビーでは観戦客の性質が少し異なるというから、どちらかと言えばラグビーファンと自称する人たちも各国同じ割合で混ぜても面白いと思う。

 

私はこのような観察調査で出た結果を、「お国柄」の違いを指摘して世界の人々をステレオタイプに分類し、引き離そうとしているわけでは決してない。違いよりも共通点が結構見つかって面白いのではないかと思っている。

 

人間は、生まれ育った文化や環境によって価値観などに違いはあっても、根本的には同じなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古人の戒め〜その④

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セルフヘアカラーで「Midlife Crisis」修正後の頭。なかなかの出来❔

 

セルフヘアカラーキットを使ったことのある人ならよくわかると思うが、自分で自分の髪の毛を染めるという作業は、髪が長ければ長いほどcollateral damage(コラテラルダメージ = 副次的な被害)が発生しやすくなる。いくら気をつけて塗布しても、染髪剤が辺りに飛び散って床や壁に色が染みついてしまったり、上半身を完全に覆うケープでも着ないかぎり、髪から服にしずくが落ちて染まってしまったり…だから今回はかなり慎重に塗布作業を進めて行った。

 

塗れた長い髪にゆっくりと洗髪剤を塗布し、塗布し終わった部分は水滴が飛び散らないようにそっと頭のてっぺんに捲し上げる。洗面台にしずくが落ちてしまっているのを見つけると、すぐさま洗い流して対処した。髪全体への塗布完了後、周囲を何度も念入りに見まわして他の被害がないか確認し、赤黒い斑点を見つけると万能表面クリーナーをスプレーして古雑巾で丁寧に拭き取るという作業をしばらく繰り返した。そしてその作業中にも、頭のてっぺんに捲し上げた髪がずれ落ちて壁に触れたり、再びしずくが飛び跳ねないように気をつけねばならなかった。床に四つ這いに近い姿勢でかがみこみ、雑巾を手にバスルームの四方を周到にチェックしている私の姿は、テレビや映画で見る刑事ものドラマの殺人現場証拠隠蔽シーンを演じているかのようだったに違いない。

 

セルフヘアカラー塗布作業中はファミリーバスルームに部外者(私以外全員)立ち入り禁止令を敷いていたのだが、1階でテレビを観ていたはずの娘が突然乱入してきた。ネバネバの長い髪のを頭のてっぺんに巻き上げ、セルフヘアカラー付属のビニール製手袋をはめ、肩に大きめのビニール製ゴミ袋を切り開いたものをマントのように羽織っている私の様相を見た娘は不思議そうに私の顔を覗き込み、「オカアサン、何やってんの?」と(英語で)聞いてきた。「{娘の名前}みたいな綺麗な髪の毛になりたいからヘアカラーしてんの」と適当に誤魔化すと、「なんでぇ~、私の髪の毛みたいになりたいの?変なの~」(英語)と言いながら、照れたような笑みを浮かべて再び1階へ降りて行った。これでなんとか娘の余計な詮索はかわせた。

 

すると今度は夫がやって来て、「またやってんの?」とでも言いたそうな呆れた顔で私を見つめた。コメントは控えていたが、あの無言のまなざしには「懲りない奴だな~」という嘲笑が見え隠れしていた。そこで私が「だから、ミッドライフ・クライシスなの!」と弁明すると、「別に何も言ってないけど...」と言って仕事部屋に戻って行った。

 

所定の時間が過ぎたので、バスタブに頭を突っ込んでシャワーで髪を丁寧に洗い流した。この作業でもセルフヘアカラーのしずくが飛び散らないように気をつけなければならない。付属のトリートメントを髪全体に行き渡らせ、少しおいてからまた洗い流す。その際に少し色の付いた水滴がシャワーカーテンに飛び散ってしまったため、すぐさまシャワーで流した。

 

仕上がりを早く確認したい。濡れたままの髪を見る限りでは、ブチは落ち着いた色に染まっていて、それほど周囲の髪と色の差はないようだ。これが乾いた髪の状態でも同じだろうか。ドライヤーで髪を乾かしながら、鏡に映っている自分の頭をチラチラと見た。髪がほぼ乾いた時点でヘアブラシを髪に丁寧に通し、色々な角度から頭髪をチェックしてみた。キンキンの真鍮色だった部分は、落ち着いた赤みのかかった黒になっている。やはり、セルフバレイヤージュの被害を受けていない部分と比較するとやや明るい。それでも前よりは堅気の人間に見えるヘアカラーになった。

 

この時点での出費額は、最初のDIYバレイヤージュキットが7.99英ポンドと修正のためのセルフヘアカラーキットが6英ポンドで計13.99英ポンド(約2100円)。DIY Disasterの後始末で余計な費用が6英ポンドかかってしまったが、それでもまだまだヘアサロンでの潜在的出費総額120英ポンド(約18000円)と比べるとずっと安上がりだ。

 

鏡で仕上がりを確認して自己満足(というよりは安堵感)に浸っていると、バスルームのほうで娘の甲高い悲鳴が上がった。「ダディ、オカアサン、バスルームに血が!!」という娘の叫びを聞いて、夫がバスルームに飛んで行った。私も後からバスルームを覗くと、「ほら、ここ!それからここと、あっちにも!」と娘が床と壁を指差している。確かに酸化したどす黒い血のような色のしずくがついているが、その正体はもちろん血ではない。念入りにチェックして拭き取ったつもりだったが、セルフヘアカラーの残骸がまだ数ヵ所に残っていたのだ。

 

どうやら私には、完璧な殺人現場の証拠隠蔽は無理なようだ。。。

 

続く

 

古人の戒め〜その③

昭和の田舎のヤンキーか、たちの悪い野良のブチ猫のようになってしまった私の頭髪を見た夫は、どう対応すべきか決めかねていたのか、しばらく無言だった。ツッコミを入れられる前に先手を取って事態を説明する方が賢いととっさに判断した私は一言、「Midlife Crisis」と言った。30年前なら、「若気の至り」で済ませることができただろうが、やはり、40半ばのオバサンがDIYバレイヤージュに大失敗し、こんなみっともない頭になってしまうというのは、「Midlife Crisis(ミッドライフ・クライシス)=中年の危機」としか表現のしようがない。

 

こういう時に色々と詮索すると私の神経を逆なでるだけであるということをよく心得ている夫は、同情のまなざしを向けただけで、特に何もコメントしなかった。そこで私は、「髪を束ねれば、あまりわからないでしょ?」と、手元にあったヘアゴムでポニーテールをしながら問いかけた。夫は返事に困っている様子を見せ、「うーん、かもね」とだけ言った。幸いにも、普段は目ざとい娘は私のヤンキーヘアには気が付かなった。

 

翌朝、娘を学校に送って行ったあとにズンバ教室に行くことになっていた私は、起床と共にフィットネスウェアに着替えた。鏡の前に座って髪にブラシをかけながら、前夜の大失態のダメージを改めて検証した。室内照明の明かりで見ていた前夜と比べて、ブチ部分のキンキン度がパワーアップしている。慌ててひっつめ髪にしたが、やはり前頭部の両サイドにできているブチは上手く隠すことができない。こんな頭で娘を学校に送って行ったら、他の保護者に変な目で見られるのではないだろうか。いっそのこと、野球帽をかぶって、アスレジャースタイルを極めているフリでもしようか。だが、そのとき我が家にあった野球帽は、いずれもガレージの奥深くのどこかに眠っていた。探し出す時間はなかったので、仕方がなくそのまま家を出た。

 

いつもはイヤリングや口紅の色をちょっと変えただけでもコメントしてくる娘だが、何故かこのヤンキー頭にはいまだに気づいていない。学校でも、他の保護者からの視線やコメントはなかった。そしてズンバ教室でも、私の奇妙な髪色にコメントした人は誰一人いなかった。もしかしたら、それなりに自然に見えるのかもと思い、ズンバ教室からの帰り道にクルマの日よけの裏にあるミラーでチェックしてみたが、やはりキンキンのブチはかなり目立っている。そう簡単には誤魔化せない代物だ。これはなんとか修正しなければみっともない。周囲の人たちは気を使って何も言わなかっただけなのだろう。きっと内心、「あらま、とんでもないことになっちゃってる…」と思っていたに違いない。帰宅してシャワーを浴び、普段着に着替えてメイクを済ませた私は、再びマイカーのハンドルを握り、スーパーマーケットへ向かった。ちなみに頭はひっつめ髪のまま。お目当ては当然、市販のセルフヘアカラーキット。

 

これが他人の行動なら、「またDIYすんの?懲りない奴!」と私も呆れたに違いない。自制する声が頭の中でかすかに響いていたが、近所のスーパーのヘアケア製品コーナーに並ぶセルフヘアカラーキットの前に立つ私には、「馬の耳に念仏」であった。様々なブランドと豊富なカラーオプションの中から私が選んだのは、ロレアル(再び!)のキャスティング クリームグロスシリーズのブラックチェリーという色。その名のとおり、ダークレッドがかかった黒なのだ。お値段は6英ポンド(約890円)。その晩、再び自宅のファミリーバスルームに籠り、ミッドライフ・クライシスの後始末に取りかかった。

 

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 懲りない奴。。。

 

 

続く

 

 

 

 

古人の戒め〜その②

そしてその日の夜、招かざるコメントを避けるため、夫と娘がテレビに夢中になっている間にこっそりと2階のバスルームでバレイヤージュ染毛料の塗布にとりかかった。染毛料と書いてしまったが、バレイヤージュでは髪をほうきで掃いたようなスジにブリーチする訳であるから、染毛料ではなく脱色剤と表現すべきだろう。とにかく、DIYバレイヤージュ剤を付属品のブラシに載せ、髪に塗る作業を丁寧に進めていった。

 

ところが、塗り終わってから気づいたのだが、この付属品のブラシは縦向けに持って髪の上を走らせるものであって、横向けにするものではない。しっかりと説明書を見ていたつもりの私であったが、実はなんとブラシを横向けに持って髪に走らせてしまっていた。だから当然のごとく、バレイヤージュ剤が塗布された領域は広くなってしまっている。しかも、頭全体にまんべんなくハイライトの筋を入れようと、ブラシを横向きにしたままあちこちに走らせていた。ということは、ほうきで掃いたようなスジではなく、結局表面の髪のほぼ全体をブリーチしてしまっているのでは?指定されている15分間のウェイティングタイムを、私はそんな不安感に包まれて過ごした。

 

15分後には髪を洗い流して付属の専用トリートメント剤を塗る予定であったのだが、テレビを観ていた娘が2階に上がってきて、透明のビニール手袋を両手にはめて肩に古手ぬぐいをまとった濡れ髪の私を不思議そうに見つめ、「オカアサン、何してんの?」(オカアサン以外は英語)と聞いてきた。その返答に四苦八苦していると夫までが2階にやってきて、娘と声を揃えて私を質問攻めにした。

 

2人に私の行為の意図と動機を説明しているうちに、指定されたウェイティングタイムから10分も過ぎてしまった。これはやりすぎかもと慌てて髪を洗い流し、トリートメントを塗り込んで再び洗い流した。鏡を見ると、髪の付け根のところどころが異様に明るい色になっている。まるでブチ猫のようだ。だが、まだ髪は濡れているので全体的な仕上がりは分からない。なんとか体裁良く仕上がっていることを祈りつつ、髪をドライヤーで乾かした。

 

髪がある程度乾いてから再び鏡を見た私は、思わず叫びそうになった。頭の上半分には、キンキンに脱色した髪の間に5cm幅ぐらいの黒髪の筋がいくつか走っている。まるで虎柄の鬼のパンツだ。そして根毛から10cmぐらいが真鍮色のように他の部分よりも異様に明るい「ブチ」が前頭部の両サイドにある。毛先の方は全体的にドキンキン。そして表面の髪をまくり上げると、下はほぼ黒髪。この仕上がりのムラはなんとも甚だしい。様々な角度から見てみたが、「昭和の田舎のヤンキー」としか描写しようのないスタイルになってしまった。

 

DIY Disaster...

 

続く

 

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虎柄の鬼のパンツか昭和の田舎のヤンキーか...