けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

娘(4歳5カ月児)との対話②

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我が娘は4歳という幼年にしてすでに、かなりのイケメン好きの傾向を見せている。しかも、どうやら金髪碧眼好みのようだ。自分は黒っぽい茶髪に黒い目だから、自分にはないものに惹かれるということなのだろうか。赤ん坊の頃から仲良しの「ボーイフレンド」W君も、プラチナブロンドに透き通るような碧眼のイケメンだ。学校で仲良くしているお友達は女の子が圧倒的に多い(女の子の場合は髪や目の色にこだわりはない)のだが、娘の話にちょこちょこ出てくる男の子のクラスメイトには金髪碧眼のハンサム君が多い。娘本人は金髪のことを「黄色い髪の毛(yellow hair)」と描写している。

 

先月のある日、学校からの帰り道のこと。娘は私と歩いて帰るとき、ひっきりなしにおしゃべりする。父親と一緒のときはもう少しおとなしいようだ。その日の話題はクラスメイトだった。XXちゃんがどうした、YYちゃんと何をした、ZZちゃんのおうちに行きたい、などを機関銃のように途切れることなく報告していた娘が突然、「R君はすっごいハンサムだからだ~い好き!」と言い出した。4歳でこんなマセたことを言うのかと驚いたが、「ハンサムだから好き」というのは人の好き嫌いを決める基準として適切ではないと感じ、諭すことにした。

 

「あのね、ハンサムなだけで男の子を好きって言うのは正しくないよ。ハンサムだってのが一番大切なポイントじゃない。優しくて、思いやりがあって、おもしろくて、かしこくて、嘘つかなくて、自分と気が合う、なんてことのほうが大事です。ハンサムだとか、スポーツ万能だとか、背が高い、足が長い、スタイルがいいだとかは、あくまでもボーナスポイントだよ。まずはその子がどんな性格の子かよく知ってから、好きか嫌いか判断しなさい」と私が言うと、娘は「フンッ!」と言ってそっぽを向いた。4歳児に『男の価値の基準』を教え込むのは早すぎるのかもしれないが、娘には他人を外見だけで判断する人間になって欲しくない。私がさらに男の価値について議論を展開すると、娘は「でも、おとぎ話の王子さまはみんなハンサムでしょ!」と言ってのけた。

 

確かに、昔の時代のものはそうだ。しかも白雪姫なんかは、毒リンゴを食べて息絶え、ハンサムな王子のキスで生き返って、お互いをよく知らないまま(一目ぼれの相手らしいが)すぐさま彼と結婚してしまう。現代の価値観からすると、とんでもなく単純で男尊女卑的なストーリーだ。映画版では『いつか王子様が』という歌を歌いながら、王子が白馬に乗って迎えに来てくれるのを夢見ている。まあ、映画版が公開されたのは1937年だから、その時代背景ではだれもが自然に受け入れるコンセプトだったのかもしれない。だが、現代社会に生きる女は、白馬の王子など存在しないか、とうの昔に絶滅していることを忘れてはならない。そして白馬の王子に幸せにしてもらうのを待つのではなく、幸せは自分の力で切り拓くものなのだ。その過程で自分と価値観を共にし、お互いを心から理解し合える相手(男性とは限らない)に巡り合えることができれば素晴らしい。そのようなことを4歳児にどう教示すればいいのだろうかと考え込んでいると、娘は機転を利かせて話題を変えた。

 

その数日後のこと。また下校道中ひっきりなしにおしゃべりしていた娘のその日の話題は、「私が主人公のおとぎ話」だった。自分は当然のことながらプリンセス。そして「ボーイフレンド」のW君がプリンス。登場人物が2人しかいないままストーリーを展開し始めたので、私は「O君(W君の弟)は何の役?」と問いかけた。すると娘はしばらく考え、「O君はお城の衛兵」と答えた。私が笑いながら「へえ、そうなん?」と言うと、「あっ、やっぱりやめた。O君はドラゴン!そしてダディが衛兵!」とキャスティングを変更した。「じゃあ、お母さんは何の役?」と聞くと、「オカアサンは観客」と言い放った。

 

こうしてキャストが固まり、娘はストーリーを語り始めた。もちろんプリンスWがプリンセスである娘をドラゴンOから救出するという展開だ。だが、最終的には衛兵ダディの出番はなかった。そしてストーリーが締めに近づくと、娘は得意そうに眼を閉じ、「そして私とプリンスWは結婚して、いつまでも幸せに暮らしました!The End!」と大きな声で言って拍手をした。そこで私は、「あら、じゃあ、あなたはW君と結婚するの?」とちょっと挑発気味に問いかけた。すると娘は、「あら、やだあ、そんなのおとぎ話の中だけの話よ!だって、おとぎ話ってのは、どれもプリンセスとプリンスが結婚して終わるもんでしょ!」(注:娘の発言は『オカアサン』以外すべて英語)と、どことなく中年のおばちゃんっぽい口調で答えた。気のせいか、そのときの仕草も異様におばちゃんっぽかったように見えた。

 

こんな娘との対話を、私はいつも心から楽しんでいる。