けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

娘の小学校入学③

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イングランド人の祖先の主流はゲルマン民族の一派であったアングロサクソン人だというから、娘の小学校付近に群がる学童と保護者の光景から「ゲルマン民族の大移動」を連想するというのはある程度理にかなっているかもしれない。だが、移民社会となった現代の英国は、多種多様な文化・民族背景を持つ国民で構成されている。我が家の近辺も、多文化共生の良い例である。

 

現代の移民系英国人でおそらく多数派なのが、こちらで「Asian」と総称されるインド・パキスタンバングラデシュ系の人々。この「Asian」はそのまま和訳すれば「アジア人」なので、私たち日本人もこのカテゴリーに入るのかというと、実はそうではない。日本人や中国人、韓国人などの東洋人は、まさにこの東洋人にあたる「Oriental」と称されることが多い(おおざっぱにひっくるめて「Chinese」と描写されることがあるのも事実)。だが、これがフランスだと、英語の「Asian」にあたる「Asiatique」は私たち東洋人を指し、英語とまったく同じ綴りの「Oriental(複数形はOrientaux)」とは、主に北アフリカ出身のアラブ人のことだからややこしい。

 

娘の初登校に話を戻そう。ジョギングレベルのペースで通学路の半分を消化した私たちは、開門の10分前に校庭に到着することができた。「開門」とは、小学校の校門のことではなく、教室につながるエリアに設けられている木製フェンスの扉のことである。この扉は8時50分にReception Yearの先生が開けに来る。保護者と学童は、この扉が開かれるまで校門を入って校庭内で待機する。そして扉が開くと保護者は子供をそれぞれの教室の入口まで送り届け、担任の先生に託す。下校時のお迎えはこの反対のプロセスで、扉が開くと保護者は教室の入口のすぐ外に待機し、保護者が来ていることを確認できた子供を担任の先生が1人ずつ教室から送り出す。この扉が開かれる10分前に到着した初登校の朝は、新しい世界に飛び込む娘にとっても、その幼い娘を送り出す私たちにとっても、期待と不安でいっぱいであった。

 

校門には、子供用スクーターがたくさん並んで置かれていた。この「スクーター」とは原付二種のことではなく、日本で「キックスケーター」と呼ばれている乗り物のことである。フランス語では「Trotinette(ㇳロティネット)」と呼ばれる。さらに、ペダル無しの自転車(こちらではバランスバイクという)も見られた。どうやら、校門まではスクーターや自転車で通学しても構わないようだ。娘はスクーターに乗るのが好きだし、つい最近バランスバイクを購入したばかりなので、翌日からはこのどちらかで通学させようということで夫と意見が一致した。私は校庭内で待機する学童や保護者をさりげなくチェックした。多文化共生の素晴らしいサンプルといえる。「Asian」も「Oriental」も黒人も数多くいるし、白人の中にも英語以外の言語を話している人々がいる。

 

保護者の間には、知り合い同士なのかその場で知り合って親睦を深めているのかは不明だが、和気あいあいとした雰囲気で立ち話をしている小グループがいくつか見られた。私たちにはこの朝の時点で知り合いはいなかった。娘が保育園で仲良くしていたお友達はみんな別々の学校に入学しているし、家族ぐるみでお付き合いしている娘の「ボーイフレンド」も、父親が教頭を務める私立学校に入学しているからここにはいない。そして、我が家のすぐ近所に娘と同じぐらいの歳の子供がいる家庭はない。子供が新しい学校に入る時、すぐにみんなとお友達になれるだろうかというのが親にとって一番気になる点であろう。だが同時に、自分が他の保護者といい関係を築き上げることができるかという点も気がかりになる。私は周囲の保護者と目が合うたびに、親しみを込めて微笑みかけた。第一印象は重要だ。

 

夫はまったく面識のない人々にも自然に気さくに話しかけるタイプの人物だが、私は少しシャイな一面があり、また自分が外国人であるという、自分で勝手に発展させてしまった無意味なコンプレックスもあって(不思議にフランスではそのようなコンプレックスはなかった)、いつでも誰彼無しに話しかけることができるタイプではない。思い切って近くに立っている保護者に話しかけてみようか、子供がどのクラスなのか訊ねてみようか、などと密かに自問していると、「あっ、この間近所の遊び場で会った女の子とそのお母さんだ。紹介するよ!」と夫が言った。

 

数週間前に我が家から徒歩3分の遊び場に娘を連れて行ったとき、その親子に出会ったそうだ。子供同士は気が合ったようで仲良く一緒に遊び始めたため、夫はお母さんと立ち話をした。すると、その女の子(以降I(アイ)ちゃんと呼ぶ)は娘と同じ歳で、クラスは違うものの同じ小学校に入学することになっていることが分かったという。その母娘を見つけた夫は、私の背中を軽く押すように彼女たちの方へ近づいた。Iちゃんの存在に気が付いた娘も嬉しそうに駆け寄った。こうして夫の斡旋でIちゃんのお母さんに自己紹介をし、立ち話をしているうちに、実は彼女たちが我が家からそう遠くない場所に住んでいることが判明した。これからなにかとお互いをサポートし合うことができるだろうからと、携帯電話番号とメールアドレスを交換した。

 

そうこうしているうちに例の扉が開き、Reception Yearの学童と保護者たちはそれぞれの教室の入口に向かって移動し始めた。Iちゃんは別のクラスなので、扉を通り抜けた時点でバイバイした。教室の入口には担任の先生が笑顔で立っている。担任補佐の女性の姿も見えた。周りには保護者と別れるのを嫌がって涙ぐんでいる子供が数人いたが、我が娘は嬉しそうに学校の手提げかばんを持って教室にずんずんと入っていった。この手提げかばんは幼い娘の小さな体には巨大に見えたが、大はりきりで教室に入っていく娘の後ろ姿は頼もしく、誇らしかった。いつの間にこんなに大きくなったのだろう。幼稚部とはいえ、子供の小学校入学というのは親にとって非常に感銘深い人生の一大イベントのひとつなのだと、しみじみと感じた。娘が教室内に入って外から見えなくなった後も、夫と私はお互いの手を握り締めたまま、しばらくその場で感動の余韻に浸っていた。