けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

日本語進化論②

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「リーマム」とは、一体全体何を指す言葉なのか。形容詞なのか、名詞あるいはブランド名などの固有名詞なのか。その意味を解読すべく、まずどのような形で使われているかに注目すると、例えば雑誌『Very』3月号掲載の「復職&入園シミュレーション」と題された特集記事では、「証言つきで紹介 私のリーマム人生これで変わりました!」や「リーマム生活に本当に必要なもの」といった具合である。そしてこのページには、「復職ママの5日間を支えるヒト・モノ・コト辞典」としてお役立ちアイテムがAからZの順にリストアップされている。「復職」という言葉から、会社勤めに関連のある表現なのだろうとは想像がついた。しかしこの時点の私は、つい最近まで日本の経済誌などで(雑誌『Very』以前は『日経ビジネス』や『東洋経済』の電子版を定期購読していた私)よく見かけていた「リーマンショック」という表現とのつながりを連想していた。リーマンショックのとばっちりで夫が解雇された後、専業主婦生活を捨てて復職に成功した女性たちのことなのだろうか。だが、リーマンショックの被害者たちは、こんなにオシャレにバンバン気合いを入れる余裕があるのだろうか。他にそれらしき定義を思いつくことができなかった私は、そんなことを真剣に考えてしまった。

 

実は、「リーマム」の定義は4月号の「この春、働くベーシックをバージョンアップ!宣言」という特集記事で説明されていた。この特集記事の最初のページの右下に丸囲みで「What’sリーマムとは?」という見出し(英語と日本語の組み合わせ方が間違っているとツッコミを入れたくなる)の下に、「週5日会社通勤するサラリーマン・マザーを “リーマム” と命名」と書かれている。だが、それを発見したのは、この投稿をしたためていたつい先ほどのことであった。ファクトチェックのためにバックナンバーで「リーマム」が使われているページを探していたときのことである。何ゆえ今まで気がつかなかったのかというと、たいていの場合は写真をチラ見するだけで、自分が興味のある内容のページしかじっくり読んでいなかったからだ。そういうわけで、私は雑誌『Very』電子版の8月号を受信するまで、この「リーマム」の意味を理解していない状態であった。8月号から連載が始まった相鉄線とのコラボ記事のタイトル「もしも、リーマムのわたしが相鉄線沿線に住んだら・・・・・・・未来予想図」を見て、ついにググることを決意したのだった。

 

関西出身で現在は外国住まいの私にとって、神奈川県を走る相鉄線沿線での生活シミュレーションなどまったく無縁・無用な話題だが、これほどまでに激用されているこの「リーマム」という表現の意味を知らないままでいるわけにはいかないと感じた。そこで「リーマム意味」というキーワードでググったところ、最初に出てきたのは、「仮想敵国VERY」というカテゴリで楽天ブログに投稿されている雑誌『Very』バッシングのような記事だった。内容はこの雑誌に対してかなり攻撃的だが、「リーマム」というVery用語は「週5日勤務するサラリーマン・マザーのことで、戦場のようなバタバタな朝を経て出社するも、オフィスでは余裕顔で仕事をこなす、仕事と育児・家事を両立させ、バイタリティあふれるキラキラ輝くママたちのことらしいぜ」という説明が導入部にあった。これを読んだとき、私は「あ~っっっっっ!!!!」と思わず絶叫してしまった。「リーマム」とは、大正時代から使われ始めたとされている「サラリーマン」という和製英語http://gogen-allguide.com/sa/salaried_man.html)と、「お母さん」を意味する英語の「Mumマム)」の造語だったのか!つまり、純粋な日本語で言う「働くお母さん」のことなのだ。これはあまりにも意外すぎて、拍子抜けしてしまった。

 

「働くお母さん」を指す現代日本語には、「ワーママ」というのもあるらしい。これは、Weblio実用日本語表現辞典にも定義が載っている (ワーママとは - 日本語表現辞典 Weblio辞書)。英語の「Working mother(ワーキングマザー)」から派生した「ワーキングママ」の略式ということだが、この表現を初めて見たとき、私は冗談抜きで、「わがまま」をどこかの地方の訛りで発音したものだと思った。それにしても、現代の日本社会は一体どうして、これほどまでに外国語から派生したカタカナ語を実用日本語として激用するのだろうか。果たしてこの現象は、日本語の「進化」と受け止めるべきものなのだろうか。松田源治が健在であったら、それこそ「何事ぢゃあ!」と喝を入れてくるに違いない。

 

そんなことを考える私はやはり、重度の浦島太郎症候群にかかっているのだろうか。

 

続く