けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

服従の心理〜②(注:これは2016年2月に他のメディアに限定公開していたものに手を加えた記事)

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この、「ストリップサーチいたずら電話詐欺事件」は、2004年に犯人が逮捕されるまでの10年もの間、アメリカの30の州で70件を超える犯行が記録されていたというから、これまた衝撃的だ。この詐欺事件の「被害者」たちは、ストリップサーチに始まる虐待を受けた人物を除くと、「加害者」でもある。だが、この映画の中心人物であるマネージャーは、自分はよき市民として捜査に協力していただけだと主張する。

 

狂人でもない、ごく平凡な人物が、権威に屈し、冷酷で人の道を外れた行為を行った事例は、世界の歴史上無数に存在する。この映画の冒頭で言及されている「ミルグラム実験」が実施された背景には、ナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判があった。ナチス・ドイツユダヤ人の強制収容所への移送を指揮していたアイヒマンは、逃亡生活を送っていたアルゼンチンから1960年にイスラエルへ連行され、人道に反する蛮行や戦争犯罪で裁判にかけられた(有罪判決を受け、1962年6月1日に絞首刑で処刑されている)。裁判で描き出されたアイヒマンの人物像は、家族愛に溢れる平凡で真面目な一介の公務員であった。このことから、「アイヒマンをはじめとするナチスの戦犯の多くは、命令に従っていただけなのか。ごく普通の人間でも、一定の条件下では残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起された。「アイヒマン実験」とも呼ばれるこの実験の結果はそれを実証するものであったが、だからと言ってそれは、このような人の道を外れた行為を容認するものではない。

 

権威は、国家や人種、民族、氏族、宗教、企業、学校、クラブなど、様々な規模の様々な形態をとる。そして権威の指示で、人が人として許されない言動に走る。それは、文明が著しく進化したとされる現在でも続いている。

 

人間の言動に衝撃的な影響を及ぼすのは「服従の心理」だけではない。自分を定義する何らかの組織に属したいという人間の「帰属願望」や、そのような組織に自分が属していると感じる「帰属意識」も、時に恐ろしい顔を見せる。

 

私が好きなレバノン人作家、アミン・マアルーフの作品に、『Les identités meurtrières』という論文がある。このフランス語の原題を訳すのは難しいが、「殺戮を引き起こすアイデンティティ」といったところであろうか。この作品はあいにく日本語には訳されていないようだが、英語版はある。英語の題は、『In the Name of Identity: Violence and the Need to belong(試訳: アイデンティティの名の下に: 暴力と帰属願望)』。この作品の中で、マアルーフは人間の「帰属願望」や「帰属意識」が、個人的な暴力や、テロ、戦争などの集団的な暴力の背景にあることを議論している。この論文が出版されたのは、9/11が起こる3年前のことだ。

 

確かに、自分が属する「組織」が攻撃されている、または迫害されていると感じた一個人が、暴力や破壊的行為を行うというのはよくあることだ。また、「帰属意識」とは少し性質が異なるが、組織や自分の役職の権威を笠に着て、パワハラやセクハラなどの卑劣な行為を平気で行う人物もよくいる。そして、組織の不正・不当に正面から立ち向かう者や良識から異論を唱える者が、非難や中傷、攻撃の対象になったり、あたかもペスト患者であるかのごとく、社会から一方的に背を向けられる事態も頻繁に起こっている。それは何故なのか。「服従の心理」と「帰属意識」の根底には、人間の「自己保身の本能」があるのだろう。しかし、権威や帰属意識に良識を覆されてしまうとは、人間は何とも悲しく愚かな存在なのだ。

 

それでも、己の身の危険をかえりみず、ユダヤ人を匿ったり助けた人々は多くいる。実は、私たちの知り合いの中にもいる。また、スティーブン・スピルバーグ監督作品の『ブリッジ・オブ・スパイズ』で主人公として描かれている冷戦時代の米弁護士は、米国社会全体から非難を浴び、暴力を受けても、「すべての人々が弁護士による弁護を受ける権利を持つ」という信念を貫き、ソ連のスパイとして逮捕された人物の弁護を続けた。これらは、人間が「服従の心理」や「帰属意識」に支配されず、decency (良識)や integrity(倫理に基づく誠実さ)を維持することができるという証拠ではないか。

 

この映画『Compliance』を観終えた私たちは、何とも表現し難い後味の悪さとともに、失望感と希望が入り混じった複雑な思いに包まれた。