けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

現代女性のプレッシャー③

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今の時代の女性が感じるプレッシャーは外見だけの問題に止まらない。働き方、生き方そのものにもかなりのプレッシャーがあると思う。

 

今から8年前の2009年1月。当時フランスのサルコジ大統領政権の法相であったラシダ・ダティは、帝王切開で女児を出産した5日後に職場復帰し、フランス内外で大きな物議を醸した。確か44歳で初出産。未婚のシングルマザーで、子供の父親の名前は2012年まで公表していなかった(フランスのカジノ産業大手ルシアン・バリエール・グループのCEOを相手に子供の認知訴訟を起こし、2016年に勝訴)。父親の正体はゴシップメディアの恰好の話題となったが、賛否両論を大きく分けたのは、出産後(しかも帝王切開)たったの5日で職場復帰したという事実だった。

 

彼女の職場復帰ニュースはここ英国でも大きく報道され、メディアに様々な意見が飛び交っていた。シックな黒のタートルネックワンピースドレスにこれまた黒のベルベットのジャケット。そして、出産したばかりとは思えないほど颯爽とした歩きぶり(しかも15cmぐらいありそうなハイヒールを履いてのこと)。この彼女の姿を、「出産後も超スピーディーに仕事に戻るパワフルなスーパーウーマン」の象徴と見る女性もいれば、「仕事と地位を誰かに横取りされてしまうリスクを恐れておちおちと産休を取っていられない女性の実情」と憐れむ声もあがった。サルコジ大統領からのマタハラに遭っていたという噂も流れた。

 

ダティ法相が職場復帰したその日はその年の最初の閣議が開かれた日でもあり、サルコジ大統領はフランス法制度の大々的な改革を発表した。そんな国の一大事を前に、大病を患っている身でもないのに休んでいる暇などない!と言うところだろうか。さらに、サルコジ大統領が次回に内閣改造を実行すれば暇を出される可能性が高い閣僚のひとりとして、ダティ法相の名前が少し前からあがっていたという。モロッコ人(父)とアルジェリア人(母)の移民の娘(12人兄弟姉妹(!)の上から2番目)としてフランス中部に生まれた彼女は、金融関連の職を経験した後にフランスの名門グランゼコールのひとつである国立司法学院に学び、受任裁判官や検事代理を務めたエリート。2002年には当時内相であった二コラ・サルコジの顧問を務め、2007年5月にサルコジが大統領選(大統領選挙キャンペーン中は彼のスポークスパーソンを務めた)に当選すると法相に任命された。移民の子であり、女性である(しかもなかなかの美人)ということで、ポジティブ・ネガティブの両面で注目を浴びる存在だった。そのような背景を持つフランス政府の要人であった彼女を凡人の私たちと比較するのは、双方にとって理不尽すぎるかもしれない。彼女には彼女なりの理由があっただろう。私はその理由を詮索するつもりはないし、選択を批判するつもりもない。そして賞賛するつもりもない。ただ、あの姿を「パワフルなスーパーウーマンの象徴」か「おちおちと産休を取っていられない女性の実情」のどちらと見るかと聞かれると、私は後者だと答える。ダティ法相のあの姿は、私の目には「女性が直面するプレッシャーの代表例」と映った。

 

生き方とは、それぞれの選択(選択肢がないという場合もあるが)なのであって、賛否両論があっても、人の道を外れるようなことをしない限り正解・不正解はないはず。だが、その「選択」にあたって、現代を生きる女性には、男性よりも複雑なプレッシャーがあると思う。そして、こう書いてしまうと男性からクレームが飛んで来るかもしれないが、「選択」に犠牲や妥協がつきまとうという事態も、女性の方が多いのではないだろうか。進学(か否か)、就職(か否か)、結婚(か否か)、結婚後も仕事を続けるか否か、出産、子育て、復職か否か、夫の転勤についていくか否か、離婚するか否か、離婚しても経済的に自立できるか否かなどなど。。。自分が行った選択の結果の責任は自分にあるのだが、事情を把握していない他人から理不尽な批判を受けることもある。

 

こういった現代女性のプレッシャーには、自分で自分に課しているものがあるのも事実。テレビや雑誌やソーシャルメディア、または自分の周囲で「キャリアで成功している女性」や「起業した女性」、様々な分野で「活躍している女性」、つまり「輝いている女性」を目の当たりにし、その人たちの生き方やあり方に憧れ、その憧れがいつの間にか「こうでなければならない」という思い込みに発展し、目標や理想像に近づけていない自分に劣等感と焦燥感を抱くというパターンは、私自身にも実に思い当たる。キャリアだけに限らず、子育てや趣味、福祉活動やコミュニティワークのようなアクティビティなど、誇りや情熱をもって打ち込めることをしている人、持っている人は、そのようなネガティブなプレッシャーを自分に課すことはないのだろう。こういう女性たちこそが雑誌ヴェリイの言う「基盤のある女性」であり、「輝いている女性」であるに違いない。

 

そう考えると、今の私はまだまだ基盤を固めようと暗中模索している段階にあると実感する。