けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

コーシャー認定(注:これは2016年2月に他のメディアに限定公開していた記事に手を加えたもの)

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これは、東京の友人からもらった「世界に誇る『国酒』日本酒」(友田晶子著)の、獺祭と旭酒造を紹介するページの一部。

最近になって日本酒に覚醒した夫と私にとって、和英バイリンガルのこの本は非常に勉強になる。

先日ニルヴァーナに導いてくれた獺祭のページを読んでいて、この蔵元が海外への売り込みに大変積極的であることを知った。フランスに支店を置き、ソムリエや料理学校生を対象に日本酒セミナーを実施したり、海外からの研修生を受け入れたり。「へえ〜、すごいねえ〜」と感心しながら読み進み、この写真のくだりに来たとき、「おお〜っ」と身を引いてしまった。

獺祭はなんと、「コーシャー認定」も受けている‼

「コーシャー」とは、日本人にはあまり馴染みのない言葉であろうが、ユダヤ教の厳しい食品規定をパスした食品のこと。「清浄食品」などと訳されるらしい。ユダヤ人の中にも、コーシャーを厳守する人もいれば、気にしない人もいる。私のユダヤ系の友人は気にしない人が大半だ。私自身、その規定について詳しい訳ではないが、ユダヤ系の友人から聞いた話では、豚やウサギ、ラクダなどユダヤ教で不浄とされる動物の肉や甲殻類、儀式に従って屠殺されていない動物の肉、監督下で処理されていないワインなどを摂取してはいけないというものらしい。

獺祭がコーシャー認定を受けているというのは、ユダヤ教の聖職者の監督下で、儀式を受けた水と酒米酵母を使って仕込まれているからなのか???ユダヤ教の戒律を厳守している人びとにも飲んでもらえるというのは喜ばしいことだが・・・・・・もっと前に知っていたら、8年前にユダヤ系の男性と結婚したパリの友達(彼と結婚するためにカトリックからユダヤ教に改宗)の結婚式のときに獺祭をお勧めしたのに!彼らは披露宴で出すワインなどのアルコール類もコーシャーにこだわったために種類と品数が限られており、招待客の半分を占める非ユダヤ教徒の間で大不評だった。

このコーシャーで思い出した過去の体験がある。日本酒とはまったく無関係だが、確か2002年の春だったと思う。フランスの某自動車メーカーの本社広報部員だった私は、新興市場向けのある新モデルの国際プレス試乗会で、チェコ共和国の首都プラハに1ヵ月間赴任した。大学生時代、東欧の共産主義諸国について学び、1968年の「プラハの春」にも大変興味を持っていた私にとって、その舞台となった都市で1ヵ月も仕事が出来るというのは感動に近いことだった。

試乗会は、このモデルのターゲット市場から招待した自動車ジャーナリストがプラハ空港に到着後、ロードブックに指定されたルートでこのモデルをテストドライブするというもの。試乗終了後、ホテルから徒歩で旧市街広場に移動する。ここにはゴシック様式の幻想的なティーン教会や名高い天文時計オルロイなど、素晴らしい観光名所が目白押しだ。そして、ティーン教会の手前にある三角屋根の「ストーンベルハウス(チェコ語ではDům u Kamenného Zvonu)」という13世紀の建造物の中でモデルのテクニカルブリーフィング。このストーンベルハウスは普段なら近代美術特別展示会場として使われているが、私の勤める会社がこのイベントのために1ヵ月間借り切っていた。ブリーフィングが終わると、同じ会場の上の階でジプシーミュージシャンのショーを観ながらチェコの郷土料理(鴨肉のローストと紫色の酢漬けキャベツとクネドリーキ)を味わうディナー。ディナールームに移動する際には、現地のガイドが旧市街広場とストーンベルハウスの歴史を英語あるいはフランス語で説明する。そして翌日、短めの別のルートで空港までテストドライブ。これを約1ヵ月間繰り返した。

ある日の朝、その日に到着するジャーナリストのリストをチェックしていたとき、ベテランの同僚が突然、「しまった!」と叫んだ。その日のジャーナリストグループには、3人のイスラエル人ジャーナリストがいた。同僚は、「イスラエル人だから、コーシャーのディナーが必要だ。急いで手配しないとけない!」と言った。イスラエル人の中にも、海外旅行中はコーシャーにこだわらない人は多くいる。だがこの3人がそうだと勝手に決めつけてしまうのは危険な賭けだ。そこで私は急いでプラハユダヤ人街ヨゼフォフへ買い出しに行った。

ヨゼフォフはプラハの観光名所のひとつ。シナゴーグや旧ユダヤ人墓地などがとても興味深い。ここには10世紀頃からユダヤ人が移り住み、一時は中欧最大のユダヤ人街であった。迫害と繁栄を繰り返したプラハユダヤ人コミュニティー。ナチス・ドイツに併合された後、5万人以上いたプラハユダヤ人の約3分の2が強制収容所で死亡したという。その日の朝の私のミッションは、「キング・ソロモン」(旧約聖書の『列王記』に登場する古代イスラエルの王。シバの女王とのエピソードや「知者ソロモンの裁き」で有名)という名のチェコ共和国最古のコーシャーレストラン兼仕出し屋で3人分の仕出し弁当ディナーを注文しに行くことだった。日本で言うなら「幕の内」にあたる極上のラグジュアリー仕出し弁当を注文し、配達場所と時間を指定して仕事場に戻った。

最初の試乗セッションが終わり、ジャーナリストたちがブリーフィングとディナーの会場であるストーンベルハウスにやって来た。私はイスラエル人ジャーナリストにコーシャー弁当を手配してあることを伝える任務を負っていた。1人はかなり太めの愉快な中年オヤジ、もう1人は20代後半とおぼしきジャニーズ系の超イケメン。彼らのことは今でも覚えている。だが、どうしても3人目のジャーナリストの顔が思い出せない。それだけ存在感のない人物だったのだろう。とにかく、彼らにコーシャー弁当の件を伝えると、3人とも他国のジャーナリスト同様にチェコの郷土料理ディナーがいいと答えた。彼らのテーブルで一緒に食事をすることになっていた私は、せっかく注文して配達してもらったのでもったいないし、数週間毎晩同じメニューのディナーを食べて飽き飽きしていたので、このコーシャー弁当を食べることにした。鴨のローストを美味しそうに食べていたオヤジジャーナリストは、「キング・ソロモン」の金色のロゴがど真ん中に印刷された弁当の蓋を開け、どの料理から食べようかとフォークとナイフを躍らせている私を見ると、「君は勇敢だね!」と笑いながら言った。「どうしてです?」と問うと、彼は真剣な顔になってこう答えた。
「ソロモン王は確かに偉大な賢王だった。だけど、彼はとんでもない料理下手だったんだよ!」
これにはテーブルの全員が大笑いした。ジャニーズ系イケメン君の笑顔がとても眩しかったのを今でも覚えている。

実際に料理に手をつけてみると、オヤジジャーナリストは正しかった・・・・・・