けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

パン屋のトイレ

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英語(イギリス英語)でトイレのことをよく「Loo(ルー)」と言う。これはお下品なスラングではなく、いわゆる話し言葉(口語)の表現であり、私は個人的に「Toilet(トイレット)」や「Bathroom(バスルーム)」、「Restroom(レストルーム)」、「Powder Room(パウダールーム。日本語の『化粧室』のイメージ)」よりもお茶目な感じがして気に入っている。米語(アメリカ英語)では基本的に「Loo」がトイレとして使われることはないが、英国では老若男女を問わず、大半の国民がごく日常的に使っている表現だ。しかし、この表現の由来は何なのだろうか。マニアックな私は早速ググってみた。

 

学習辞書の権威とも言えるオックスフォード英英辞典の現用語版「Oxford Living Dictionaries – English」のウェブサイトには言葉や表現の起源を解説するページ(https://en.oxforddictionaries.com/explore/word-origins)もあり、ここにトイレとしての「Loo」の起源が掲載されている。これによると、最も有力な説は、中世時代に召使いたちが室内用便器の中身を窓から通りに流し捨てるときに叫んでいた「Gardyloo(ガーディール―)」という表現から派生したものだという。この「Gardyloo」という表現そのものは、実は「水にご注意!」という意味のフランス語「Regardez l’eau(無理やりカタカナ表記すると、『ルガルデ・ロー』といった感じ)」から来ているらしい。2番目に有力な説にもフランス語が絡んでおり、トイレの婉曲表現として使われていた「le lieu(ル・リユ)」という言葉が起源というものだが、これには裏付けとなる証拠が十分にないそうだ。

 

こうやって表現の起源を探っているうちに、この「Loo」という言葉が含まれる地名や名称に思いが馳せた。まず最初に思い浮かんだのは、「Bakerloo(ベイカールー)」。これはTube(チューブ:ロンドン地下鉄)の路線のひとつで、ナショナルギャラリーがあるチャリングクロス駅や大型ネオン広告板(以前は富士フィルムやキャノン、TDK、SANYOなどの日系ブランドのネオンサインが堂々と輝いていたが、数年前からSamsungやHyundaiなど韓国系に取って代わられている)がトレードマークのピカデリーサーカス駅、ショッピング客でにぎわうオックスフォードサーカスなど、ロンドンの観光名所数ヵ所を通る。なぜ「Barkerloo」という名称が使われているのか、その語源が気になったので、またまたググってみた。

 

この路線は開設された1906年3月当時には「Barker Street & Waterloo Railway」と呼ばれていたそうだ。あの名探偵シャーロックホームズで有名なベーカーストリートとテムズ川南岸にあるランベース・ノース駅(Imperial War Museum「帝国戦争博物館」の最寄り駅)を結んでいた。世話になっている弁護士の事務所がベーカーストリートの近くにあるのでこの路線を使うことがよくあるのだが、以前からこの「Bakerloo」という名称に好奇心を抱いていた。「Baker」は英語でパン屋だ。だから一度、英語を母国語とする夫に、「『Bakerloo line』は『パン屋のトイレ路線』ということか?」と真顔で質問したことがある。夫は大笑いしたが、後に実はその意味も起源も知らないと白状した。さきほどググってみた結果、この「Bakerloo line」という名称は、開設当初の「Barker Street & Waterloo Railway」という名称を人々が短縮形で呼ぶようになり、同年の7月、つまり開設から4ヵ月もたたないうちにこの短縮形が正式名として採用されたのが起源なのだそうだ。民衆の力はなんとも偉大だ。

 

このBakerloo lineが通っているウォータールー駅もWaterlooといった具合に「Loo」を語尾に持つ。ただこのWaterlooは、ナポレオン戦争で最も有名な会戦の舞台となったベルギーの町の名前である。この会戦(1815年6月18日)で英国・オランダをはじめとする連合軍はナポレオン軍を打ち破り、降伏したナポレオンをセントヘレナ島に追放した。英国人にとっては輝かしい歴史であり、フランス人にとっては忌々しい事件だ。フランス人の前夫がよく冗談で、「Waterlooはフランスでは禁止用語だ」と言っていた。日本語ではこの会戦を「ワーテルローの戦い」と呼んでいるが、これはWaterlooのフランス語での発音を音写したものなのだ。フランス語でも、オランダ語でも、ドイツ語でも、この町はWaterlooと表記されている。そして「ワーテルローの戦い」は、英語では「Battle of Waterloo」、フランス語では「Bataille de Waterloo」、オランダ語では「Slag bij Waterloo」、そしてドイツ語では「Schlacht bei Waterloo」、ついでにトルコ語も調べてみると「Waterloo Muharebesi」となっている。つまり、英語特有の名前ではないのでトイレとしての「Loo」は当てはまらないのだが、「Water=水」と「Loo=トイレ」で、つい「Waterloo=水洗トイレ」などと勝手に定義したくなってしまう。

 

そういえば、日本にも「トイレ」にまつわる(?)地名がある。瀬戸内海に浮かぶ大崎下島の港町、御手洗だ。広島県呉市に属するこの町の名前は「みたらい」と読むのだが、私はどうしても「おてあらい」と読んでトイレを連想してしまう。そもそも、日本語の「お手洗い」の由来は、神社の入口で手を清める「御手洗(みたらい)」なのだそうだが、現代人の私は「御手洗」と書かれているのを見ると、神聖なものよりも実生活が優先され、どうしてもトイレを思い浮かべてしまう。神功皇后三韓征伐の際にこの地で手を洗ったというのが名前の由来と言われているこの町の人々にとって、私のような人物は無知な無礼者であろう。

 

「トイレ」という単語はそもそも日本語ではない。英語の「Toilet(トイレット)」が語源の外来語だが、いつから使われるようになったのだろうか。ググってみたが出てこない。これは時間がある時にじっくり調べる必要がある。時代劇では「厠(かわや)」や「憚り(はばかり)」、単刀直入の伝統的な日本語では「便所」だが、私はこの「便所」という表現はほとんど使わない。最後に使ったのは、「便所掃除」当番が回ってくることがあった小学生の頃ではないだろうか(おぼろげな記憶では、「トイレ掃除」という表現を使っていたと思うが)。私が日本語で最も頻繁に使うのは「トイレ」、そしてその次が「お手洗い」だ。ただ、この「トイレ」の語源である英語の「Toilet」そのものも、フランス語の「Toilette(トワレット)」が由来の「外来語」なのだ。またしても英語の中のフランス語!

 

フランス語の「Toilette」はもともと「身支度」と言う意味であるから、西洋文化でも大小の用を足す場所は婉曲表現で描写されることが一般的ということだ。たが、以前パリで古い男性用公衆トイレにデカデカと「Pissoir(ピソワール)」と表示されているのを見て「おおおおおっ~!」と狼狽したことがある。「Pisse(ピス)」は小便。フランス語では名詞に性別があるが、この「Pisse」はなんと女性名詞で「La Pisse(ラ・ピス)」となる。小便がなぜ女性名詞なのか、その根拠が知りたいところだが、それは本題ではないのでここでは掘り下げないことにする。「Pissoir」はつまり、「小便所」なのだ。その単刀直入さに驚いたが、これは人々(男性)が街角のあちこちで放尿するのを防ぐために1830年代初頭にフランスで「発明」されたそうで、その後ヨーロッパの多くの国々で「Pissoir」として普及した。確かに、ウィキペディアで「Pissoir」を調べると、英語でも、ドイツ語でも、デンマーク語でも「Pissoir」となっている。ハンガリー語では「Pizoár」と若干ローカライズされている。ただ、家元おフランスウィキペディアでは、「Vespasienne(ヴェスパジエンヌ)」というエレガントな響きの言葉で解説されている(その名の由来は古代ローマ帝国ウェスパシアヌス皇帝。ローマに公衆トイレを設置し、そこから集めた尿を製革業者に販売していたという。イタリアでも公衆トイレは彼にちなんでVespasiano (ヴェスパジアーノ)と呼ぶそうだ)が、私は前述のようにパリで「Pissoir」という表示を目撃している。それとも実はロンドンだったのだろうか?あるいは他のヨーロッパの都市だったのだろうか今のフランスには最新テクノロジーを駆使した(?)「Sanisette™(発音はサニゼット。なんと、登録商標である!)」と呼ばれる全自動有料トイレブースが街中に設けられており、現在パリに残っている唯一の元祖小便所ヴェスパジエンヌは13区のBoulevard Arago(アラゴ通り)のラ・サンテ刑務所の傍にあるらしい (フランスの歴史的公衆トイレに関する写真付きのサイト(英語):https://frenchmoments.eu/last-vespasienne-in-paris/)。ネットでその写真を見ると、私の記憶に残っている「Pissoir」とは似ても似つかない。ということはやはり、あの「Pissoir」はパリではなかったのか。。。

 

などと、英語の「Loo」から「パン屋のトイレ」、ナポレオン戦争ローマ皇帝と、話がどんどん発展してしまったが、名称の語源や表現の由来は調べてみると、なかなか以外で面白いエピソードが出てくることがある。次は何を調べてみようか。こう言うと、よほどの暇人かと思われる可能性があるが、決してそういう訳ではないのでご了承いただきたい。