けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

冬の必需アイテム

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英国の冬は寒い。もちろん、ロシアやアラスカ、カナダなどの冬と比較すると、「戯け事を申すな!」のレベルであろうが、ここ数日の最高気温は1~2℃程度。2日前には雪が積もり、今朝は辺り一面が凍てついた『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』(日本公開2006年3月)の世界であった。普段は暑がりで、一般人が「寒いっ!」と震えるような天候でも薄着で腕まくりするような娘でさえ、通学途中に手が凍えて痛いと訴え、手袋をはめるくらいであった。

 

自宅内はガスボイラーによるセントラルヒーティング(?)のおかげで、暖房を入れればどの部屋も居心地のよい気温になる。しかし今年はガス料金が超大幅値上げとなったため、裕福層ではない我が家では日中は暖房がオフになるようにタイマーを設定し、よほどのことがない限りそのまま夕方まで我慢している。朝10時頃に暖房がオフになって30分ぐらい経過すると、室内でもやはりグッと冷え込む。これは自宅勤めの私にとって、なかなかつらい試練だ。

 

だから、冬の防寒対策はしっかり取り組まねばならない。ここ数年私の冬の必需アイテムになっているのは、ユニクロヒートテック肌着だ。特に、前回の里帰り中に発見した極暖ヒートテックと超極暖ヒートテックの長袖インナーはこの時期非常に重宝する。幸い、英国でもユニクロは人気が高く、実店舗の数もかなり増えた。ただ、私にとって最寄りのユニクロ店舗所在地はロンドンであり、アスコットの田舎から電車で片道1時間半近くかかる。仕事の打ち合わせなどでロンドンに出向くときはほぼ欠かさず立ち寄っているが、一番お世話になっているのはやはりオンラインストアだ。

 

しかもユニクロは、我が娘の学校の保護者会が加盟している資金を募るためのオンラインショッピングプログラムに参加しており、このプログラムのサイトを通してショッピングすると、ユニクロの場合だと支払った金額の0.5%を娘の学校に寄付してくれる。嬉しいことに、アマゾンUKや私がよく利用する他のブランドやストアも参加しており、支払額の3.5%も寄付してくれるストアさえある。だから、私のスマホにもタブレットにも、このプログラムのアプリがしっかりインストールされている。オンライン衝動買い常習犯の私には非常にありがたくもあり(罪悪感を和らげてくれる)、危険でもある(病みつきになりそう)プログラムだ。

 

話を防寒対策に戻すと、フランス時代は、日本でもかなり知名度のあるダマールのサーモラクティルインナーをよく着用していた時期もあった。確かに超あったか肌着で、あの亡きダイアナ妃も愛用していたそうだが、どうも『おばシャツ』系のデザインばかりなので、タートルネックセーターなど、下にダマールを着ていることが絶対にバレないようなトップスやニットと合わせなけらばならなかった。それに対してユニクロヒートテックインナーは、Vネックのニットやカーデガンからのぞかせてもまったく恥ずかしくない。最近では、ユニクロだけでなく、英国の少しアップマーケットなスーパー(と百貨店の中間のような)のマークス・アンド・スペンサーズも、「Thermal(サーマル)」や「Heatgen™(ヒートジェン™)」などのあったかインナーを出している。あったか度ではヒートテックにやや劣るかもしれないが、色のオプションはユニクロのものより若々しいと思う。私は、ちょっとした夜のお出かけやディナーパーティーでカーデガンやジャケットの下に着用して堂々と「見せる」ことができる、ラメ入りインナーの黒と赤のものを持っている。赤はクリスマスシーズンに理想的だ。

 

この記事はユニクロの宣伝を意図したものではないのだが、冬の必需アイテムとなるとどうしてもこのメーカーの製品を言及しないわけにはいかない。今年の冬はついに、『暖パン』デビューしてしまった。裏ボアスウェットパンツに加え、先日ビジネスランチでロンドンに出向いたときに立ち寄った店舗で、ブロックテックフリースストレートパンツが15英ポンド(約2300円)も値下げされているのを見つけ、すかさず購入した。欲しかった黒のものはサイズがXSしかなく、一瞬とまどったが思い切って試着せずに買った。英国のサイズは日本のサイズより大きめで、日本のSは絶対無理な私でも英国のSならちょうどいい。さすがにXSは冒険的すぎるかと思ったが、帰宅して試着してみるとピッタリだった。これには、「あら、痩せたのかしら!」という嬉しい驚きと、超あったかい下半身の喜びという、幸せの一石二鳥を味わうことができた。

 

ロンドンでも雪がちらつく寒い天候だったその日の私の装束は、ほぼユニクロ尽くし。リブニットの黒いタートルネックセーターと、それにマッチするこれまた黒のリブニットロングスカート。そしてその下は、ヒートテックのクルーネック長袖インナー。さらにその下(つまり下着)も上下ともにユニクロ。手元は黒い合成皮革のキルティング手袋(裏地はヒートテックフリース)。すべて英国ユニクロオンラインストアで購入したものだ。バッグとコートとタイツ、ベルトとアンクルブーツ以外はすべてユニクロものであった。コートも黒というお葬式装束もどきであったが、バッグと太めのベルトは赤で、差し色にしていた。スカートの下に穿いていた黒タイツはオーストリアの某高級タイツメーカーのもので、そこそこの高給取りだったフランスの某自動車メーカー勤務時代に購入したアイテムだ。15年近く前に買ったものなのに現在でもバリバリの現役という事実は、このブランドのクオリティの高さを物語っている。だが、その防寒レベルはこの日の気温に対応できるものではなかった。

 

この日のロンドン遠征の第一目的はビジネスランチであったが、もちろんユニクロの店舗をのぞくことも計画に入っていた。お目当てはヒートテックのタイツ。私が目を付けていた黒のヒートテックタイツは、オンラインストアでは私のサイズが完売。ネイビーも売り切れとなっていた。だからロンドンの実店舗で購入し、ランチに行く前に穿き替えるつもりにしていたのだ。ランチ会場から一番近い店舗はリージェントストリートにある。ユニクロのロンドン旗艦店舗はオックスフォードストリートにあって、ランチ会場から歩いて行ける距離なのだが、ただでさえ人の多いオックスフォードストリートは、クリスマスシーズンでさらに盛り上がっている。いつにも増して喧噪としたオックスフォードストリートを、雪と人ごみにまみれて突き進む気力はなかった。

 

リージェントストリートの店舗に行ってみると、ヒートテックタイツで黒は一番大きいサイズのXLしか残っていなかった。念入りにしぶとくS/Mサイズを探したが、「ねずみ色」としか描写のしようがない「Dark Grey」しかない。やむを得ず、このねずみ色のもの1足買うことにした。ロングスカートだからねずみ色タイツの露出度は低い。ヒートテックのニットタイツなら黒でも私のサイズがあったが、ニットスカートの下にニットタイツではゴワゴワになりそうだ。まあ、他の出で立ちのときに役立つだろうと、これも購入することにした。ユニクロ店舗内にはトイレがなく、試着室は順番待ちが面倒であったため、ランチ会場のトイレでねずみ色のタイツに穿き替えた。確かに、ヒートテックタイツのあったか効果は優れている。特に、暖かい場所から気温の低い屋外に出た後の脚の保温効果の持続性は素晴らしかった。

 

上記のように、先述のブロックテックフリースストレートパンツが超お得なセール価格になっているという嬉しいハプニングに出くわしたのは、ヒートテックのタイツを物色しているときのことであった。このブロックテックフリースストレートパンツは、娘の学校への送り迎えや近所のスーパーへの買い物といった気合いを入れる必要のない外出や、暖房が切れた後の自宅で仕事をするときに最適だ。だが、その防寒効果があまりにも優れているため、暖房が効いている室内ではサウナパンツ化してしまい、脚が汗ばむことが実際に着用してみて判明した。

 

思い起こせば、日本にいた頃は使い捨てカイロも冬の定番アイテムだった。小学生から高校生にかけて、冬には必ずポケットサイズの使い捨てカイロを数個携帯していたと思う。制服のポケットの中で寿命(?)が切れたカイロの「ご遺体」の、硬く冷たい手触りの記憶がよみがえる。英国に留学中だった四半世紀近く前、冬に実家の両親が送ってきてくれた使い捨てカイロを手に握っていた私を見た欧州人の友人たちは、非常に珍しがると同時にその機能性と便利性に大変感心していた。今ではこちらでもゴルフ場やスポーツ店、アウトドア用品店でよく見かけるようになったが、それでもやはり日本でほど普及し愛用されているアイテムではない。

 

「冬の必需アイテム」というわけではないが、冬になると食べたくなるのが鮭の粕汁や豚汁、鍋物だ。鍋物が好きな夫(スコットランド人)は、大阪の私の実家にあるタイガーのホットプレート「じゅうじゅう」に惚れ込んでいる。私の実家のものは、穴あき・波形プレート/平面プレート/たこ焼きプレート(大阪の定番!)まで揃っているデラックス版だ。ヨドバシカメラで購入して英国に持ち帰りたかったのだが、重くてかさ張るうえに電圧が違うため、これまたデカくて重い変圧器が必要になるということで、涙をのんで諦めた。鍋物は、チーズフォンデュ用の土鍋と小型の卓上ホットプレートを使い、こちらで手に入る食材を使ってなんとかそれなりのものを楽しむことができる。だが粕汁となると、中核を成す材料の酒粕はロンドンのジャパンセンターなどの日本食品専門店でも見かけることはほぼ皆無で、日本で直接入手して持ち帰らなければならない。数週間前、夫がビジネスで単身訪日した際、こちらではなかなか手に入らないものを持ち帰るようにお願いしていた。その中には、新鮮な酒粕も含まれていた。

 

ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』の世界になるほど冷え込んだ今日は、夫が持ち帰った酒粕を使った料理を作って昼食にいただくことにした。

 

本日の我が家の昼食

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① 鮭の粕汁: 

鮭はノルウェー産、大根はロンドンのジャパンセンターで調達(高ぇぞ)、人参は英国産、牛蒡は実家から送ってもらった京都のメーカーの乾燥牛蒡(日本産)、椎茸は英国産、いんげん豆はケニア産、味噌はジャパンセンター自社ブランド白味噌、そして肝の酒粕は新潟で仕入れた絶品。ちなみに出汁は昆布。

 

② 鯖そぼろ :

鯖はスコットランド産、人参、玉ねぎ、椎茸はすべて英国産、醤油はキッコーマンの減塩醤油、みりんはミツカンほんてり、酒はキッコーマン料理酒、そして私の秘密の隠し味は北米産。

 

③ きゅうりの酒粕浅漬け:

英国産のベビーキューカンバー(じゃないと、こちらの一般的なきゅうりは馬鹿でかくて大味)、みりんはミツカンほんてり、醤油はキッコーマン減塩醤油、そして極めつけの新潟産酒粕

 

④ 白ごはん:

新潟魚沼産のコシヒカリ新米🍚🙏🏼

 

国際的な食材を使った和食ランチ@自宅。

これで寒〜い英国の冬も、身体の芯からほっかほか。💗

 

ちなみに、ランチタイムにはすでに自宅内の暖房が切れていたため、ユニクロヒートテックインナーとボアスウェットフルジップパーカ、ブロックテックフリースストレートパンツがさらに身体を温めてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

娘(4歳5カ月児)との対話②

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我が娘は4歳という幼年にしてすでに、かなりのイケメン好きの傾向を見せている。しかも、どうやら金髪碧眼好みのようだ。自分は黒っぽい茶髪に黒い目だから、自分にはないものに惹かれるということなのだろうか。赤ん坊の頃から仲良しの「ボーイフレンド」W君も、プラチナブロンドに透き通るような碧眼のイケメンだ。学校で仲良くしているお友達は女の子が圧倒的に多い(女の子の場合は髪や目の色にこだわりはない)のだが、娘の話にちょこちょこ出てくる男の子のクラスメイトには金髪碧眼のハンサム君が多い。娘本人は金髪のことを「黄色い髪の毛(yellow hair)」と描写している。

 

先月のある日、学校からの帰り道のこと。娘は私と歩いて帰るとき、ひっきりなしにおしゃべりする。父親と一緒のときはもう少しおとなしいようだ。その日の話題はクラスメイトだった。XXちゃんがどうした、YYちゃんと何をした、ZZちゃんのおうちに行きたい、などを機関銃のように途切れることなく報告していた娘が突然、「R君はすっごいハンサムだからだ~い好き!」と言い出した。4歳でこんなマセたことを言うのかと驚いたが、「ハンサムだから好き」というのは人の好き嫌いを決める基準として適切ではないと感じ、諭すことにした。

 

「あのね、ハンサムなだけで男の子を好きって言うのは正しくないよ。ハンサムだってのが一番大切なポイントじゃない。優しくて、思いやりがあって、おもしろくて、かしこくて、嘘つかなくて、自分と気が合う、なんてことのほうが大事です。ハンサムだとか、スポーツ万能だとか、背が高い、足が長い、スタイルがいいだとかは、あくまでもボーナスポイントだよ。まずはその子がどんな性格の子かよく知ってから、好きか嫌いか判断しなさい」と私が言うと、娘は「フンッ!」と言ってそっぽを向いた。4歳児に『男の価値の基準』を教え込むのは早すぎるのかもしれないが、娘には他人を外見だけで判断する人間になって欲しくない。私がさらに男の価値について議論を展開すると、娘は「でも、おとぎ話の王子さまはみんなハンサムでしょ!」と言ってのけた。

 

確かに、昔の時代のものはそうだ。しかも白雪姫なんかは、毒リンゴを食べて息絶え、ハンサムな王子のキスで生き返って、お互いをよく知らないまま(一目ぼれの相手らしいが)すぐさま彼と結婚してしまう。現代の価値観からすると、とんでもなく単純で男尊女卑的なストーリーだ。映画版では『いつか王子様が』という歌を歌いながら、王子が白馬に乗って迎えに来てくれるのを夢見ている。まあ、映画版が公開されたのは1937年だから、その時代背景ではだれもが自然に受け入れるコンセプトだったのかもしれない。だが、現代社会に生きる女は、白馬の王子など存在しないか、とうの昔に絶滅していることを忘れてはならない。そして白馬の王子に幸せにしてもらうのを待つのではなく、幸せは自分の力で切り拓くものなのだ。その過程で自分と価値観を共にし、お互いを心から理解し合える相手(男性とは限らない)に巡り合えることができれば素晴らしい。そのようなことを4歳児にどう教示すればいいのだろうかと考え込んでいると、娘は機転を利かせて話題を変えた。

 

その数日後のこと。また下校道中ひっきりなしにおしゃべりしていた娘のその日の話題は、「私が主人公のおとぎ話」だった。自分は当然のことながらプリンセス。そして「ボーイフレンド」のW君がプリンス。登場人物が2人しかいないままストーリーを展開し始めたので、私は「O君(W君の弟)は何の役?」と問いかけた。すると娘はしばらく考え、「O君はお城の衛兵」と答えた。私が笑いながら「へえ、そうなん?」と言うと、「あっ、やっぱりやめた。O君はドラゴン!そしてダディが衛兵!」とキャスティングを変更した。「じゃあ、お母さんは何の役?」と聞くと、「オカアサンは観客」と言い放った。

 

こうしてキャストが固まり、娘はストーリーを語り始めた。もちろんプリンスWがプリンセスである娘をドラゴンOから救出するという展開だ。だが、最終的には衛兵ダディの出番はなかった。そしてストーリーが締めに近づくと、娘は得意そうに眼を閉じ、「そして私とプリンスWは結婚して、いつまでも幸せに暮らしました!The End!」と大きな声で言って拍手をした。そこで私は、「あら、じゃあ、あなたはW君と結婚するの?」とちょっと挑発気味に問いかけた。すると娘は、「あら、やだあ、そんなのおとぎ話の中だけの話よ!だって、おとぎ話ってのは、どれもプリンセスとプリンスが結婚して終わるもんでしょ!」(注:娘の発言は『オカアサン』以外すべて英語)と、どことなく中年のおばちゃんっぽい口調で答えた。気のせいか、そのときの仕草も異様におばちゃんっぽかったように見えた。

 

こんな娘との対話を、私はいつも心から楽しんでいる。

 

娘(4歳5カ月児)との対話①

f:id:Kelly-Kano:20171122031459j:image一般的にどの国でも、子供は女の子の方が言語能力の発達が早く、したがっておしゃべりも早いと言われている。確かに、我が娘を見ていると「なるほど」と思う。多言語環境の家庭で育つ子供は言葉をはっきりと話し始めるのが遅いケースが多いと聞いていたが、同じようにバイリンガル環境に育つ娘の「ボーイフレンド」のW君(ハンガリー語と英語)と比べても、単一言語環境で育っている周囲の子供たちと比べても、娘がはっきりと言葉を発するようになったのはかなり早かった。

 

娘はおしゃべりが達者なだけでなく、非常に強い意志の持ち主で、1歳を過ぎた頃から毎朝のように、その日の服装でもめ事になっていた。私が選んだ服をほぼ毎回拒否し、自分であれこれと選ぶ。コーディネーションに自分なりのこだわりがあり、私のアドバイスをなかなか受け入れてくれない。幸い、今年の9月に小学校幼稚部に入学して制服を着るようになったので少し楽になったが、それでもソックスやタイツの色でもめることがよくある。

 

夏服である黄色いギンガムチェックのワンピースの場合は、おそろいの黄色いギンガムチェックのリボンかフリル付きの白い短ソックス。グレーのプリーツスカートかワンピースの冬服には、グレーのハイソックスかタイツ。私は白いハイソックスが個人的に好きではないのでグレーのものを買って与えたのだが、最初はこれを「暗い色だから悪者に見える!」と嫌がってなかなか受け入れず、しばらく夏用の短ソックスを履いていた。気温が下がってきてクラスメイトがグレーのハイソックスを履いているのを見ると、やっと納得してくれた。

 

タイツも同様、最初はかなり抵抗していたが、仲良くなったお友達が穿いている(ズボン、スカートやタイツ、パンストなど、脚を通して身に付ける物は「穿く」で、靴や靴下など足の下に敷くものは「履く」ということらしい)のを見ると、なんとか受け入れるようになった。だが、「ライトグレーやホワイトのタイツはダメ。『普通の』グレーがいい」と主張する。冬服のグレーのワンピースも1着持っているが、胸のファスナーのスライダーがシンプルなリング状なので、「かわいくない。つまんない」と言って拒否している。今からこんな調子では、ティーンエイジャーになったらどれほどパワーアップするのだろうかと、楽しみでありながら恐ろしくもある。

 

そんな娘との対話は実におもしろい。相手を子供だと侮っていい加減なことを言うと、かなり鋭いツッコミを入れてくるので気を付けなければならない。だから大人を相手にするかのように、きちんと正確な事実を教えるように心がけている。だが、私たちが子供の頃と比較すると、今の社会では人の生き方の多様化が著しく進み、単純明快な固定概念に基づく説明は通用しなくなりつつある。子供にもわかりやすく、かつ現在の事実を正しく反映させて答えなければならない質問もよく飛んで来る。そして何気ない、無邪気な会話が、社会問題や事象の議論へと発展することもある。

 

数週間前のこと。夕食の準備をしていると、テレビを観ていた娘がキッチンにやって来て、突然結婚の話を始めた。「女の子は女の子と結婚できないのよ」と断言する娘に、「う~ん、実はね、国によってはできるんだよ」と私は現代社会の事実を忠実に伝えた。それを聞いた娘は眉をひそめ、「でも、もちろんイングランドではできないでしょう!」と反論してきた。「それがね、できるんだよ!」とまたしても私は事実を教えた。「スコットランドもそうだし、世界には女同士や男同士が結婚できる国がいくつかあるんだよ。そしてその数も増えてきてる」。それを聞いた娘は「へえ~!」と驚いたが、事実を事実と受け入れたようだった。だが、日本が同性婚を認めているかについての質問はしてこなかった。

 

私はここから議論を少し発展させ、「ありのままの自分で生きられる社会って、素晴らしいんだよ。あなたの親戚にも、女同士でファミリーを築き上げている人がいるんだ。彼女にはもうすぐ赤ちゃんが生まれるの」と告げた。この女性は夫の姪(正確には「従姪」)で、一族に正式にカミングアウトしたのは2年前。結婚はしていないものの、女性のパートーナーと同棲している。2人でじっくり考えた末に精子バンクを利用して妊娠し、来年の1月に出産する予定だ。さすがに精子バンクのことは説明しなかったが、女性同士のカップルに赤ちゃん誕生という話を娘はかなり真剣に受け止めたようだった。

 

これは先週の話。グレーのタイツが洗濯でまだ乾いていなかったため、ライトグレーのもの(この時我が家にあったのは、ライトグレー、ブラック、グレーの3足組のみ)を穿かせようとすると、ものすごい抵抗にあった。「まだ乾いていないからしょうがないでしょ」と言って聞かせても聞く耳持たず。ブラックはその存在さえ認めない。仕方がないのでグレーのハイソックスを履かせたが、腰回りが寒そうで心配になった。娘の学校には、男の子と同じグレーの長ズボンで通学している女の子もいる。そこで、「タイツが嫌なら、これから長ズボンの制服にする?」と訊ねてみた。娘はズボンやレギンスも好きだが、色や模様にかなりこだわる。グレーの長ズボンなど問題外なのはわかっていたが、一応意見を聞いてみた。答えは案の定、「絶対ヤダ!」。そして、「女の子はズボンで学校に行くもんじゃない」と主張するので、それは事実に反すると反論した。

 

実際、娘のクラスメートの女の子のなかにも、10月半ばに入って以来、毎日長ズボンの制服で登校している子が1人いる。特に宗教上の理由があるわけでも、男勝りだからというわけでもなさそうだ。では、寒がりなのだろうか。キャンディ・キャンディのような金髪天然パーマの女の子で、娘とも結構仲が良いようだ。その子の例をあげると、娘は「Rちゃんはそうだけど、私はヤダ」と言った。そして、「でも、女の子はズボンを穿いてもいいけど、男の子はスカートを穿いちゃいけないんだよ」と言ってのけた。

 

「穿いちゃいけない」という表現にひっかかりを覚えた私は、ここでもやはり事実を教えるべきだと感じた。そこで、「そんなことはないよ。男でもスカートを穿く人はいるし、ダディの故郷スコットランドの民族衣装はキルトといって、男性が穿くスカートなんだよ」と告げた。すると娘は「それってバカみたい」と大笑いするので、「そんなことを言ってはいけません」と諭した。民族衣装は保護すべきヘリテージであるし、規則に反したり、他人に危害を加えないのであれば、個人の好みを尊重すべきだと。とは言ったものの、果たして娘の学校が男児のスカート登校を認めているかどうかは疑わしい。

 

だが、今の英国では、あの超名門全寮制男子校イートンカレッジ(制服は燕尾服!)の学長が、「性転換をした生徒がカレッジで学業を続けるのを認めるべきだ」と主張する(まだ実際にそのような事態に直面したことはないとの注釈付きだったが)ほど社会は進化している。では、「敬意」「責任感」「不屈の努力」「共感」「好奇心」をコアバリューに掲げる娘の学校ではどうだろうか。まあ、小学校では性転換のレベルにまで議論がエスカレートすることはないだろうが、校長先生(女性)に一度、男児のスカート登校を認めるか否かについて質問してみようか。

 

続く

脳力覚醒

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フランスの革新的な映画監督リュック・ベッソンが手掛けた『LUCY/ルーシー』(日本公開は2014年8月)という映画をご存じだろうか。スカーレット・ヨハンソンモーガン・フリーマンをはじめとする実力派の豪華キャストを奉じたアクション大作だが、何よりもストーリー設定が面白い。

 

台湾でマフィアの闇取引に巻き込まれ、10%程度しか機能していないと言われる人間の脳の潜在能力を覚醒させる新ドラッグを運び屋として下腹部に埋め込まれた若い米国人女性が、体内に漏れ出したそのドラッグの力で覚醒し、超人間的な知能と身体能力を発展させていく。まだこの映画を観ていない人々のために詳しいストーリー展開を曝露するのは控えるが、好奇心をそそられるテーマに俳優陣の素晴らしい演技、リュック・ベッソン監督ならではのスタイリッシュで洗練された映像と演出(「フレンチタッチ」というべきだろうか、『レオン』や『フィフス・エレメント』でもそうだったが、米国人監督の作品にはなかなか見られない独特の美学とセンスある。それは、フランスに特別な思い入れのある私の依怙贔屓なのかもしれないが・・・)、息をのむようなアクション、ベッソン作品とは切っても切り離せないエリック・セラの臨場感を煽るサウンドトラックという、エンターテイメント性の完成度が非常に高い傑作だ。

 

この映画より3年前に公開された『リミットレス』という作品(ニール・バーガー監督、ブラッドリー・クーパー主演)も同様に、ある一定の割合しか使われていないとされる脳力を100%覚醒させる架空の新覚醒剤をテーマにしているが、『LUCY/ルーシー』でストーリーの中核をなすCPH4という架空の新覚醒剤は、妊婦が妊娠6カ月目から体内で生成する物質を人工的に製造したものという設定だ。この妊婦が生成する物質は現実のものらしく、胎児を成長させるその威力は計り知れないものだという。

 

特殊効果バンバンの『LUCY/ルーシー』は言うまでもなく、それなりに現実味を帯びた『リミットレス』のストーリーもまったくのフィクションだが、この「脳の潜在能力の覚醒」という現象を、実は私は身をもって体験している。覚醒剤やドーピング剤を使用した訳ではない。それは、娘を出産した数日後のことだった。

 

今から4年前。出産を5月下旬に控えていた私は、予定日の10日ぐらい前まで仕事を続けるつもりにしていた。自宅勤務のフリーランス翻訳者なので産休申請などの手続きは必要なく、自分の体調と都合に合わせて仕事量を調整すればよいだけのことだった。その時は、出産予定日の1カ月ほど前に受注した、再生可能エネルギー産業に特化した某投資ファンドの年報という大口プロジェクトの翻訳作業をしていた。かなり技術的な内容や金融部門の専門的な内容が盛り込まれた難度の高い案件だったが、それなりにゆとりを取った作業期間が割り当てられており、納品期日は出産予定日の1週間前であったため、引き受けることにしたのだった。ところが、私は出産予定日の3週間近く前に破水してしまい、陣痛が一切なかったために急遽入院して誘発分娩で出産することになった。当然のことながら、翻訳作業は中断しなければならなかった。私の出産のエピソードは、金曜日の夜にソファーの上で毛布にくるまってテレビで観たくなるような、軽快なラブコメディーのネタに使えると自負しているぐらいハチャメチャであったが、それはまた別の機会に執筆しようと思う。

 

20時間を超える誘発分娩の末、緊急帝王切開で娘を出産した私が退院して帰宅したのは、出産から3日目のことだった。日本の基準から見るとかなりのスピード退院だろうが、ここ英国ではごく普通である。ただ、緊急帝王切開手術後に全身が激しくむくみ、下半身麻酔の後遺症でなかなかスムーズに歩き回れない状態であったため、病室から夫が車を停めていた駐車場までは車椅子での移動だった。出産の翌日は心身ともに疲れきっており、しかも自力で起き上がることが出来ずカテーテルにお世話になっている状態だったこともあって、情緒不安定に近い状態に陥った。欲しくて欲しくてたまらなかった子供の誕生という至福の喜びと、高齢出産の上に育児初心者であり、かつ身近に頼れる身内がいないという現実に対する不安感と孤独感が入り混じり、感情の起伏が激しくなった。夫が見舞いに来てくれている間は陽気で幸せ感に包まれていたものの、お見舞い時間が終わって夫が帰らなければならなくなると、幼子のように号泣した。だが、これが退院日の朝に目を覚ますと、悟りを開いたような、静かながらも力強いエネルギーが全身にみなぎり、言葉では表現しきれないほどポジティブな気分であった。

 

その瞬間から、私は自分でも信じられないくらい頭が冴えていた。周囲の人々との英語での会話も、まるでネイティブスピーカーのように訛りなしでスラスラとこなし、かなり洗練された単語や表現も口から噴水のように絶え間なく噴き出ていた。このうえなく自信に満ちており、入院中に受けたずさんなケアに対する苦情・批判と提案を看護婦長とおぼしき女性に訴える際、いささかも感情的にならず、礼儀正しく穏やかでありながらも権威的な態度でユーモアを交えつつ発言した。その朝私が口を開くまで無礼ギリギリの態度で私に接していたその看護婦は、私が「弁論」を終えた途端に異様に腰が低くなり、気持ちが悪いほど親切・丁寧になった。この様子を傍観していた夫によると、この時の私は後光が差しているかのように見えたとか。

 

とにかく陽気で、ちょっとしたことで涙が出るほど大笑いしたり、ウィットに富んだジョークを(英語で)飛ばしまくっていた。夫はこれを、「妊婦がよく体験するハッピーホルモン効果だ」と言った。妊娠中の女性は感情の起伏が激しくなりやすいというのはよく聞く話だが、妊娠期間中ずっと陽気で深い幸福感に包まれていたというケースもよくあるらしい。俗に「妊婦のハッピーホルモン効果」と言われている。それは、出産や子育てに関連するとされているホルモンで、「抱擁ホルモン」や「幸福ホルモン」、「癒しホルモン」などの異名を持つオトキシンの影響なのだろうか。だが、妊娠中の私の感情サイクルは、特に普段と変わりはなかったと思う。

 

夫が「ハッピーホルモン効果」と描写した私のハイ状態は、約1週間続いた。退院して帰宅した翌日から、急遽入院・出産したためにかなりのボリュームを残して中断していた翻訳の仕事を再開したのだが、その作業ぶりはまさに『LUCY/ルーシー』の主人公ルーシーや、『リミットレス』のエディであった。普段はひとつひとつの文章を翻訳するのにじっくり時間をかける。辞書を引かなくてもいい単語や表現であっても、色々と調べて最もしっくりくる対訳を選び、訳した文章が日本語として自然に聞こえるように推敲を重ねる。当時担当していた案件のような、専門的知識が要求される難度の高い文書の場合はなおさらのことだ。ところが、「ハッピーホルモン効果」の影響下にあった私は、英語の原文を読むとほぼ同時にスラスラと日本語の訳文を打ち込んでいた。まるで最初から日本語で書かれた文章を写し書きしているかのようなスピードで。複雑な表現が使われた文章でも、瞬く間に翻訳できた。同時通訳ならぬ、同時翻訳だ。語順も発想も日本語とはかなり違う言語を同時に訳するのは非常に難しく、かなりの訓練を必要とする。書かれた文章の場合、口語よりもずっと複雑な構成になっていることが多く、それを「解剖」して理解し、自然で読みやすい日本語の文章に書き直さなければならない。だから原文の言語の理解力に加え、日本語の国語力もかなり要求される。それゆえ、同時翻訳というのはほぼ不可能だと私は思っている。しかし、あの時の私はその不可能を可能にするほど脳力が拡大していた。こなれた日本語表現が次から次へと頭に浮かび、スピードタイピングによる打ち間違いや漢字の変換ミスも即座に見つけて訂正していた。辞書を引くこともあまりなかったと思う。そして、夫もビビるほど判断力と実行力に富んでいた。さらにマルチタスキング能力もグレードアップしており、お腹が減って目を覚ました新生児の娘に授乳しながら片手で翻訳作業を続けたり、テレビを見ながら娘のオムツ交換をすると同時に、まだまだ思うように動き回れない私に代わって炊事・家事を受け持っていた夫にテキパキと指示を下したりしていた。

 

この覚醒した脳力のおかげで、担当していた翻訳も締切日のかなり前に納品することができた。だが、「ハッピーホルモン効果」が切れた後のバックラッシュはすさまじかった。幸い、産後うつ病には陥らなかったが、私は精神的にも身体的にも疲労しきっており、頭の回転が鈍くなった。何をするにも時間がかかり、なかなか集中できない。そして、英語でも仏語でも母国語の日本語でさえも、言いたいことを思うように表現できないこともあった。数週間後には回復し、いつもの私に戻ることができたが、それにしても、なんとも不思議な体験だったことか。出産が、ドーパミンセロトニン、エンドルフィンやオトキシンなどの分泌量を一時的に最適なレベルにしてくれていたのだろうか。

 

以来、あのような驚異的な脳力に達したことはない。あの時の脳力を維持できていたなら、今頃私は世界的な売れっ子作家にでもなっているのではないかとよく思う。現在市場に出回っている「スマートドラッグ」は、その大半が栄養素や植物成分をベースとしたサプリ程度のものらしいが、いつか医学と化学の進化で本当に『LUCY/ルーシー』や『リミットレス』レベルの脳力覚醒ドラッグが現実のものとなる日が来るのだろうか。だが、それが現実化した社会を想像すると、身の毛がよだつほど恐ろしく、激しい戦慄を覚える。それは、闇取引がはびこる危険な犯罪社会へと全世界が化してしまうか、合法な薬となったとしても、超裕福層だけが手に入れることができる究極の嗜好品となり、脳力を拡大させた超裕福層がさらに巨大な富と権力を握って、残りの人口は搾取されるだけの奴隷と化してしまうと思うからである。

 

人間は、不完全だから美しいのだ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生の保護者としての生活

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娘の中間休暇中に活躍したお菓子作りの本

 

久々の投稿だ。前回の投稿は3週間半ぐらい前で、しかも以前に他のメディアに投稿していた記事のリサイクル版だったから、本当の意味での投稿ではない。ネタ詰まりの言い訳に過ぎないのだろうが、仕事や娘のHalf Term Holidayなどで何かと忙しく、自分の考えを文章にまとめる精神的・時間的余裕がなかった。

 

「Half Term Holiday」というものは、日本では馴染みの浅い概念であろう。英国や大陸ヨーロッパのいくつかの国々では、学期の中間に休暇が設けられており(だからここでは以降「中間休暇」とする)、英国の場合だと公立学校は1週間、私立学校は2週間というパターンが多い。娘が通う学校は公立なので、1週間の中間休暇だった。

 

この中間休暇は、実は保護者にとって一種の悩みの種だ。特に共働き夫婦の場合、中間休暇中に子供の世話をどうするかを前もってしっかり計画しなければならない。毎回子供の休暇に合わせて仕事を休める人は数えるほどしかいないだろう。身近に祖父母など、子供を安心して託せる身内がいる人々は非常に恵まれている。子供が休暇に入るたびに自分たちも休暇を取ってどこかへ家族旅行に出かけたり、託児所などへ預ける財力があればいいのだが、そのような経済的余裕がない家庭は四苦八苦する。我が家もそうだ。

 

私の投稿にちょこちょこ登場する娘の「ボーイフレンド」のW君は、父親が教頭を務める名門私立学校の幼稚部に通っている。W君のお母さんの話によると、この学校の生徒の中には、住み込みのNanny(古風な日本語で言うと「乳母」)がいる子供が結構いるそうだ。そして生徒の多くが休暇ごとに家族で海外旅行をしているらしい。家族旅行に出かけない場合も、乳母がいたり、ラグジュアリーな託児サービスを利用したり、充実したアクティビティプログラムに子供を送り込んだりと、休暇中の子供の世話に頭を抱えることはないようだ。さすが大金持ちの子息が通う学校だけあって、世界が違う。W君一家は学校の敷地内にある教員用住宅に住んでいて、私は娘をW君と遊ばせるためによく彼らの家を訪問する。その時に学校内で見かける送り迎えの車はやはり、バリバリの高級車が多い。たまに私のようなボロい大衆車に乗っている人を見かけるが、それは教員・用務員か「乳母」さんたちということらしい。数年前には、とあるロシアの大富豪の御曹司がボディガードを連れて登校していたそうだ。さらにその父親がヘリコプターで息子を学校に送り届けたこともあったというから、あまりにも桁が違いすぎてシュールだ。

 

平民家庭の我が家は夫が1年半前に起業し、自宅を事務所として活動している。私は夫の事業の補佐に加え、フリーランスで翻訳やコンサルティング業を営んでいる。すなわち夫婦共働きであるが、自宅勤務の自営業者だ。時間的には融通が利くのだが、まだまだ家計に余裕はない。そして身近に頼れる身内もいない。だから中間休暇中は家族旅行にも行かず、中間休暇特別託児サービスも利用せず、仕事の案件の多くを断ってほぼフルタイムで娘の相手をしていた。一緒にクッキーを焼いたりしてクオリティな母娘の時間を過ごしたが、やはりあの1週間は何だかんだと大変であった。

 

このように、娘が小学校に入学してからというもの、私たちの毎日は娘の学校生活を中心に回転している。それまでは、週4日の頻度で娘を保育園に通わせていた。近辺には私立の保育園しかなく、政府からの補助金のおかげで週4日通わせることができていたものの、やはり毎月の保育料は我が家の財政にかなりの負担となっていた。それでも保育園では朝8時半から夕方6時まで預かってもらえたため、仕事をする時間は十分にあった。しかも、土日以外の休園日は祝日とクリスマス・新年期間の数日間のみ。これが小学校だと、朝8時55分から午後3時15分まで。朝、娘を学校へ送り届けて帰宅するのはいつもだいたい9時10分頃。家政婦を雇う財力などないため、当然のことながら家事も自分でしっかりやらなければならない。そして午後、お迎えで3時10分までに学校に到着するためには、2時50分頃に自宅を出発しなければならない。娘が学校から帰って来ると、仕事はほぼできなくなる。つまり、日中仕事ができる時間はかなり限られている。

 

娘の小学校は公立で、ありがたいことに学費が無料であるため、その分を託児サービスやお稽古に回すことはできる。そこで、月曜日と火曜日は独立した組織が運営している放課後託児サービスで6時まで預かってもらっている。だがその料金は時間制で、なかなかお高い(しかも政府の補助金は出ない)。だから現在のところ、週2日以上預ける余裕はない。他の日はキックボクシング(これからは女子も強くあるべし!)や演劇レッスン、水泳教室などに通わせている。どのお稽古も、本人が非常にやる気満々で楽しんでいるし、学校とは違った人生スキルを学び取ることができるので、納得のいく投資だと考えている。だがもちろん、放課後託児サービスを利用している月曜日と火曜日以外は、2時50分にすべてを切り上げて学校に向かわねばならない。その後はお稽古などのアクティビティに付き添い、夕食、入浴を済ませて娘が就寝するまでは仕事に手を付けることがほとんどできない。だから夫も私も夜行性動物になりつつある。私は以前、夜のズンバ教室に週数回通っていたが、娘が小学校に入学すると同時に朝のセッションに切り替えた。月曜日と火曜日以外は日中仕事をする時間が限られているため、夜の時間をクリアにしておくためだ。

 

娘が小学校に上がる数ヵ月前から、「学校が始まったら、いい意味でも悪い意味でも生活が一変するわよ!覚悟しなさい!」と周囲の人々によく言われた。確かに、今年の9月以来、私たちもそれをどっぷり実感している。何かとチャレンジはあるが、自分たちの時間の使い方を見直したり、物事の優先順位をしっかりと決めたりと、自分たちのけじめという面でポジティブな影響が多いのも確か。そして何よりも、小学校という新しい世界で様々なことを吸収し、1人の人間として成長していく我が娘を見守るのは、驚きと感動に満ちた、かけがえのない人生体験である。

 

今日は月曜日。娘は6時まで放課後託児サービスで様々なアクティビティに興じているはず。仕事は小口のものが数件あっただけで、夫のフランス出張のためのプレゼンも思ったより早めに仕上げることができた。そこでこの記事をしたためることにしたのだ。

 

娘を迎えに行く時間まであと約1時間。そろそろ夕ご飯の支度をしよう。

 

 

 

 

 

娘の4歳の誕生日〜パーティー編⑮完結編 ー 注:これは今年6月に他のメディアに投稿した記事のリサイクル版

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写真は子供の遊び場付きパブの遊び場

 

パーティールームの壁にかかっている時計を見ると、時間切れまであと10分程度。16時には全員がパーティールームから立ち去っている状態にして下さいと言われていたが、アイスクリームを食べ終えた子供たちは再びダンスフロアエリアで風船を追いかけ回してはしゃいでいるし、保護者も世間話に暮れていて、腰を浮かす気配はない。

 

ここは夫と私が動きを見せるべきだろうかと自分に問いかけながらスタッフの女の子の方に目線をやると、彼女は相変わらずぼーっと突っ立っているだけで、私たちを急かせるようなそぶりは一切見せない。そこで、時間に気づいていないふりでしばらく乗り切ることにした。

 

しかし、(自称)根が律儀な日本人の私は、定刻を守らないというのはどうも後ろめたくて落ち着かない。16時を10分程度過ぎた時点で私がお礼を言いながらパーティーバッグを配り始めると、ルーム内は自然に「お開きの」ムードに流れが変わった。

 

ここでも例のスタッフの女の子は大して役に立たなかった。数が足りないかも知れないパーティーバッグの「賢い」配布法(サプライズゲストには会場が用意したものだけ配給)に専念していた私は、先ほど切り分けてペーパーナプキンに包んでもらったケーキのことをすっかり忘れてしまっていた。それに気が付いたのは、このスタッフの女の子のおかげではなく、ゲストの保護者の1人に催促されたからである。

 

なんとか体面を失うことなくパーティーバッグとケーキを配布することに成功し、ルームにゲストがほぼいなくなった時点で、娘が頂いたプレゼントや小道具の残りものをかき集めて階段を降りた。娘はロンドン方面から来た友人の息子と日本人ファミリーの子供たちと合流し、再びプレイエリアで遊んでいる。夫は彼らの保護者に声をかけ、近くにある子供の遊び場付きパブで打ち上げをしようと提案した。

 

私はサプライズゲストのMちゃんの料金を交渉しに受付へ向かった。すると、受付にいたこれまたティーンエイジャーのようなスタッフの若造が、追加料金は必要ないと言った。まあ、核心的なサービスが超イマイチだったのだから、これくらい「勉強」してもらって当然だろう。だが私はここで高飛車にならず、丁寧に礼を言った。

 

そろそろ遊んでいる娘たちを呼び戻して打ち上げ会場に向かおうかと考えていた矢先、スタッフの1人が「パーティーの後はプレイエリアに戻って遊べません!」と注意しに来た。その理由は、食事の後にプレイエリアで遊んで戻したりすると衛生上問題になるからだと言う。だが、ここではカフェテリアで軽食も売っている。パーティー以外で遊びに来た子供たちがカフェテリアのメニューからランチをオーダーして食べ、その後再び遊ぶというパターンは日常茶飯事のはず。この矛盾にはムカッとしたが、パーティーが終わってドッと疲れを感じていた私には、こんなことで言い争いをする気力は残っていない。「Oh、Sorry!」とだけ言って、子供たちを呼び戻した。

 

とにかく、娘の4歳のお誕生日パーティーは、ハプニングとてんてこ舞いの積み重ねであったがなんとか無事に終了した。ゲストの保護者からもすぐにお礼のメッセージが数件届いた。みんな大変楽しんでくれたようだ。少し本題を外れるが、こういうお礼メッセージとそれが送られてくるタイミングも、保護者の格式を知るバロメーターである。

 

パーティー会場を立ち去る前、主役の娘にパーティーの感想を聞いてみた。親のストレスとはまったく無縁の本人は、めいっぱい楽しんだようである。「Best Party Ever! Thank you オカアサン, thank you Daddy!」と言って、ハグまでしてくれた。あゝ、なんてカワユイのだろう!自分の結婚式の時よりもストレス度が数グレード高かったが、それなりに立派なパーティーを開いてよかった。

 

娘の無邪気な喜びぶりには疲労感が吹き飛び癒された。だが、最後にひと言、「次の私のバースデーパーティーは、Sちゃんのパーティーと同じところにしてね!」と念を押された。

 

やはり、Sちゃんのパーティーには敵わなかった訳か。。。

 

(やっと)完

娘の4歳の誕生日〜パーティー編⑭ ー 注:これは今年6月に他のメディアに投稿した記事のリサイクル版

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パーティールームのダンスフロアエリア

 

 

95%セルフサービスのパーティーフードをひと通り給仕し終え、お皿に食べ物が見えなくなった、あるいはお皿の上の食べ物が原形をとどめない状態になったころ、子供たちはテーブルがセッティングされたスポットの後ろにあるチェス盤のようなダンスフロアエリアへ進出し、そこに散りばめられていた風船で遊び始めた。

 

Sちゃんのハイグレードパーティーより高いスコアを獲得できた唯一のカテゴリーは、パーティールームの広さだ。Sちゃんのパーティーでは、子供たちを座らせると室内は満員状態で、壁側に設置された保護者用の長椅も参加者全員が腰を掛けれるだけのスペースはなかったため、パーティールームの外で数名の保護者が立ち見状態になっていた。私たちの会場のパーティールームは少なくともその4倍のスペースはあったと思う。子供たちは風船を追いかけまわし、楽しそうにはしゃいでいた。

 

ここのパーティープランでは、パーティールームを使えるのは45分間。残りあと10分というところで子供たちを再びテーブルにつかせ、バースデーケーキのロウソク火消セレモニーを行うことにした。

 

私は自宅を出る前、数字の「4」を模ったロウソク(保育園に持っていた手作りケーキで使ったもの)をビニール袋に入れ、他の小道具と一緒にショッピングバッグの中に入れたつもりであった。だが、役立たずの会場スタッフの女の子に「ロウソクをケーキにセッティングしてください」と言われて、ショッピングバッグも自分のハンドバッグも中身をひっくり返すほど探したが、見つけることはできなかった。これにはかなり焦ったが、幸いにも会場が白とピンクの螺旋ストライプの細いロウソクとダークピンクのものを数本用意してくれていた。すでに最低でも2度は使われたであろうものであったが、火を吹き消すという儀式だけが用途なのだから、環境問題も考慮に入れるとこれで十分だ。

 

長さがチグハグの使い古しロウソクを、ケーキ表面のアイシングに描かれている6人のディズニープリンセスの顔を崩さない位置に差し込み、マッチで火をともす。私がロウソクをセッティングしている間、夫は子供たちの保護者に「ハッピーバースデー・トゥ・ユー」の歌への協力を呼びかけて回った。保育園での火消セレモニーでは、「ハッピーバースデー・トゥ・ユー」を歌い終わったあと、伝統的な「ヒップ、ヒップ、フーレイ!」の3回喝采が送られたが、今回は歌だけで終わった。

 

保育園での儀式では、自分1人でやる自信がないから私に火消を手伝ってくれと言った娘だったが、このパーティーでは立派に独りで任務を全うすることができた。ケーキを運びながら歌の音頭をとったのは、海賊姿の夫。私はロウソクセッティング係から、この重要なシーンを画像に収めるカメラマンに変身した。

 

こちらでは、バースデーケーキは火消セレモニーのあとに切り分けてその場で食べるのではなく、「引き出物」のパーティーバッグと一緒にゲストの帰り際に配るのが主流のようだ。Sちゃんのパーティーでもそうだったし、その前にお呼ばれした別のお友達のパーティーでもそうであった。娘のパーティーでも自然とそういう流れになり、気の利かないスタッフに言つけて、切り分けたものをペーパーナプキンに1つづつ包んでもらった。ここで「しまった!」と思ったのは、切り分けたケーキを入れる可愛いお持ち帰り用ビニール袋を用意していなかったこと。Sちゃんのパーティーでは、切り分けたケーキは素敵なモチーフが印刷された透明のビニール袋に入れ、これまた可愛いリボンで袋の口を縛ってゲストに配っていた。このビニール袋とリボンが会場によって用意されたものなのか、それともSちゃんのお父さんとお母さんが手配したものなのかは不明であったが、こういったディテールへの配慮はパーティーを催すうえで大切なポイントだ。これを忘れるとは、なんともうかつだった。

 

ケーキの代わりにデザートとして配られたアイスクリームを嬉しそうに食べる娘を眺めながら、「ごめんよ、Aちゃん!お母さんはまだまだ未熟なダメ母だ!」と、自分への叱咤と娘への謝罪を心の中で繰り返した。

 

 続く