けりかの草子

ヨーロッパ在住歴24年、現在英国在住のバツイチ中年女がしたためる、語学、社会問題、子育て、自己発見、飲み食いレポートなど、よろずテーマの書きなぐり。

娘の4歳の誕生日~ケーキ編③(これは、今年の5月に他のメディアに限定公開していた投稿に手を加えた記事)

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幸いなことに、ノーメイクでむさ苦しい姿をご近所さんや知り合いに見られることなくミッションを遂行し、帰宅することができた。オシャレなトレーニングウェア姿(雑誌『ヴェリイ』用語では「アスレジャー」と言うらしいが)であれば、スポーツジムに通っているかのようで格好がつくが、自宅内でエクササイズをするつもりでいたので、上下のカラーコーディネーションとデザインともにちぐはぐだったから、ただのダサいオバハンにしか見えなかったと思う。パリ時代の私はこんな姿で外出することなど一切なかったはす。。。

 

とにかく卵を入手したので、再び生地作りの作業にとりかかることにした。買ってきた卵ケースは保冷棚ではない普通の陳列棚にあったものなので、すでに室温になっている。「人肌程度」が理想的ということなので、ぬるま湯をはった洗面器(?)の中で泡立て始めた。するとさっきとは打って変わり、面白いほど素早くふわっと泡立つではないか!そして出来上がった補足分の生地を流し込もうとケーキ型に向かった。最初に入れた生地がボテッと重そうな形相でケーキ型の底に薄い層を作っている。よく見ると、出来たての補足分生地より色がかなり濃い。焼き上がったらどうせ半分にスライスするのだから、上と下で色の違う層になっていてもかまわないかと思ったが、やはりさっくりと混ぜ合わせることにした。

 

これで生地は出来上がり。後は180度に温めたオーブンに入れて40分焼くだけ。最初の計画では、この間にエクササイズをするつもりであった。しかし、ハプニングの連発でキッチンはひっくり返っている。まずこれを片づけて、ワークスペースを清潔にしなければならない。もう必要のない材料は元の場所に戻し、卵の殻やケースの空箱を捨てる。泡立て器やゴムベラ、ボウルを丁寧に洗って、ワークスペースの表面を台拭きで拭く。先ほどあまりにも必死に卵液を泡立てようとしていたため、床にまで飛び散ってしまっていた。フロア用雑巾でそれを拭き取り、手を洗ってからホイップクリームの材料と道具を並べる。オーブンからスポンジケーキの美味しそうな匂いが漂ってきた。窓からちょっと様子を見ると、なかなかいい感じに焼き上がってきているようだった。

 

エクササイズをするには中途半端な時間になってしまったので、別のタスクに取りかかることにした。こうして40分が経過し、オーブンのタイマーが鳴る。焼き上がったスポンジケーキをオーブンから取り出し、ワークスペースで冷ました。香りはとても良い。成功か?スポンジケーキを冷ましている間にホイップクリームを作った。こちらは何の問題もなく、きれいにできた。そして、冷めたケーキ型を逆さまにし、ケーキ台の上にスポンジケーキを押し出した。最初の生地と補足分をまんべんなく混ぜたつもりだったが、上半分が微妙に硬くて重い。。。これを半分にスライスし、下側の表面にホイップクリームを塗る。パレットナイフがないので、シリコンのヘラを使って塗ろうとしたが、クリームがヘラにへばりついてなかなかきれいに塗れない。食事用のナイフとシリコンベラの両方を駆使し、表面を可能な限り滑らかにする。今度はその上に、半分に切ったイチゴを並べていく。さすがに直径23cmのケーキには大量のイチゴが必要だった。今度は上側のスポンジケーキの裏面にホイップクリームを塗り、それをイチゴを並べた下側のスポンジの上にそっと置く。このサンドイッチの側面にホイップクリームを塗る作業にさらに手間取った。本の写真ほどきれいに塗れていないが何とか恰好はついたので、ケーキ表面のメインデコレーションにとりかかった。

 

これもケーキ作りに慣れている人ならお茶の子さいさいなのだろう。私がトロくて時間がかかりすぎたせいか、ホイップクリームが若干柔らかくなり、イメージしていた美しい波形のデコレーションができなかった。カラフルなデコレーション用砂糖菓子をちりばめ、ホイップクリームデコレーションの不細工さをカバーする。

 

こうして出来上がったのが写真のケーキ。頭の中で思い描いていたものとはかなり違う。乙女時代はもっと上手に、手際よく、美しく美味しいケーキを作っていたと思うが。。。

 

続く

娘の4歳の誕生日~ケーキ編②(これは、今年の5月に他のメディアに限定公開していた投稿に手を加えた記事)

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お菓子作りに慣れている人ならきっと、こういう時に何をすべきか心得ているに違いない。乙女時代の私は結構頻繁にケーキやクッキーを焼いており、腕もなかなかだったと記憶している。自分に都合のいいように記憶を「書き換え」ているだけなのかもしれないが。だが、留学中はお菓子を作っている暇などなかったし、道具も持っていなかった。フランスで社会人になってからは道具をある程度揃えていたが、お菓子を手作りしたことはめったになかった。今の夫と結婚してからケーキやクッキーを焼いたことは何度があったが、一度だけ自分でも信じられないほど美しい出来栄えのラズベリーパブロバを作ることに成功して以来(4年ぐらい前の話)、満足のいく結果を出せていない。それをオーブンとの相性のせいにしている私だが、果たして真相はどうなのだろうか。

 

とにかく、生地を足さなければ、あまりにも薄っぺらく、みすぼらしいスポンジケーキになってしまう。これでは娘が笑いものだ。ダメ母のせいで惨めな思いをさせたくない!そこで、再び同じ分量の材料を用意し、卵を電動泡立て器で泡立てに着手した。 ところが、いくらやってもふわっと泡立たない。湯銭しながらやっても、泡立て器の強度を最大にしてやっても、砂糖入り卵液の状態のまま。な…何ゆえに!こういう時、私はググる。インターネットの時代でよかった。もし、インターネットがなかったら、どうしていただろう。国際電話で母や姉に相談する訳にはいかない。そんなお金はない。では、プライドを捨てて、ご近所の奥様達に聞いてみるか。いや、やはりプライドは捨てられない。本当にインターネットがあって助かる。仕事でも、インターネットがなければ途方に暮れているだろう。

 

ググった結果、卵が泡立たない理由として考えられるのは、1)湯銭のお湯など、水分がボウルに入ってしまった、2)油分も泡立ちを妨げる、3)卵は1時間ぐらい前に冷蔵庫から出して常温にしておくべき、などのようだ(Yahoo知恵袋)。1)は絶対に違うと確信してる。では2)は?そういえば、慌てて補足分の生地を作ろうと、最初の生地が入っていたボウルを洗わずにそのままそこに新しい卵を割って入れた。つまり、最初の生地にはバターも入っていたわけで、この油分が泡立ちを妨げているのだろうか。しかも、急いでいたので、補足分の生地に使う卵は冷蔵庫から出してすぐに割って入れた。ということは、2)と3)のダブルパンチ。。。

 

これではいくら泡立てても無駄だと見限り、この卵液を捨てて再びゼロからやり直すことにした。今度はボウルも泡立て器もちゃんと洗って食器ふきんで丁寧に拭いて乾かす。卵は。。。と冷蔵庫を開けてみると、卵ケースがない!キッチンカウンターを見渡すと、6個入りケースが1箱あったが中身は空!えっ、そんな!確か昨日1ダース分(6個入り2ケース)買ったはず。。。な、なんでやねん!!(久々の大阪弁

 

最初の生地に3個使い、さっきの卵液に3個。これで1ケース消化。だが、もう1ケース残っているはず。しかし、よーくよく考えてみると、実は昨日、ゆで卵に2個使ってしまっていた。しかも今朝、スクランブルエッグに4個も使ってしまったのだ!なんたる致命的なミス!何を考えていたのだろうか。普段は朝食にスクランブルエッグなど作って食べたりしないのに、何ゆえ、何の虫に刺されて、この一大イベントの朝に貴重な卵を4個も使ってスクランブルエッグなど作ってしまったのか!たわけ者が!

 

嘆いていても仕方がない。時間が過ぎていくだけだ。そこで私はすっぴん顔+トレーニングウェア姿のまま(さすがにエプロンは外した)で愛車(マツダ2:和名カペラ)に飛び乗り、ハイストリートのコンビニ風テスコに向かった。ラッキーなことにストアのすぐ前の駐車スペースが空いていたので、素早く縦列駐車。自慢ではないが、私は縦列駐車が得意だ。一般的に女性は縦列駐車が苦手だと言われている。フランスでも、ここ英国でも、女性の縦列駐車は下手をすれば女性蔑視として訴えられかねないジョークの対象になっている。後続車からプレッシャーがかかっている時でも焦らず、なかなかの腕前を見せる私は、男性ホルモンのテストステロン値が高いのだろうか。

 

こうしてテスコで無事に卵6個入りケースを2ケース購入することができ、急いで家に帰った。

 

続く

娘の4歳の誕生日~ケーキ編①(これは、今年の5月に他のメディアに限定公開していた投稿に手を加えた記事)

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「慣れないことはするもんじゃない」とよく言うが、確かにその通りかもしれない。

 

娘の4歳の誕生日のためにバースデーケーキを作ろうと、まず数週間前から心の準備をしていた。さらに、やると決めたことを本当にやり遂げるため、先週の金曜日に娘の保育園の先生たちに向かって、娘の誕生日当日にバースデーケーキを焼いて持って行くと宣言し、自分にプレッシャーを与えた。次に、料理本の山の中から、乙女時代に買った『Non-noお菓子百科』(なんと1988年版!)を引っ張り出し、バースデーケーキのレシピを探す。この本に載っているバースデーケーキのデザインはイマイチだが、必要なのは材料と分量、手順。スポンジケーキにホイップクリームでデコレーションを施した古典的なものなので、これを参考にすることにし、ページの間に娘がお絵かきした紙切れをしおり代わりに挟んでおいた。

 

そして前日。本で材料と分量を再チェックしてスーパーへ買い出しへ。ガーリーなデザインが好きな娘のために、カラフルなトッピング用の砂糖菓子も購入。万が一のために、生クリームと卵は多めに買ったつもりだった。我が家にはスポンジケーキ用のケーキ型がなかったのでこれも購入。コーンスターチを買い忘れたが、片栗粉があるのでこれで代用しよう。自分へのプレッシャーをさらに高めるため、昨日の夜、お風呂上がりの娘に、「明日、お母さんがバースデーケーキを焼いて、学校(保育園のこと)に持って行ってあげるからね!」と伝えた。すると娘は大喜びで、「Snow White(白雪姫)のケーキがいい!!」と叫び、飛び跳ねた。白雪姫のケーキ。。。それはレベルが高すぎる。。。「まあ、お楽しみに!」とかなんとかごまかしてその場を逃げ切った。翌朝の重要なタスクに備え、その晩は早めに寝ることにした(とは言ってもベッドに入ったのは零時過ぎ)。

 

そして本番の朝。打ち合わせでロンドンに行くことになっている夫が、娘を保育園に送って行った。私はケーキをオーブンで焼いている間にエクササイズをするつもりでいたので、ノーメイク&トレーニングウェア姿にエプロンをまとい、材料を並べ始めた。卵は室温に戻し、バターは湯銭で溶かす。その合間に、今朝納品しないといけない仕事をメールで送信。もう一度本で手順をチェックし、卵を泡立てることから始めた。もちろんその前に、オーブンを180度に温め、ケーキ型にバターを塗って小麦粉をまぶし、底に丸く切り抜いたベーキングシートを敷くという作業は済ませてある。

 

出来上がった生地をケーキ型に流し入れてみると、異様にかさが低い。ケーキ型の高さの4分の1もない!何でなんだ!と本を再々チェックすると、このレシピの分量は直径18cmのケーキ型用。私が使ったケーキ型は、直径23cm。。。 5cmの差がこんなに露骨に出るとは!慌てて補足する生地の製作に取り組んだ。

 

続く

服従の心理〜②(注:これは2016年2月に他のメディアに限定公開していたものに手を加えた記事)

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この、「ストリップサーチいたずら電話詐欺事件」は、2004年に犯人が逮捕されるまでの10年もの間、アメリカの30の州で70件を超える犯行が記録されていたというから、これまた衝撃的だ。この詐欺事件の「被害者」たちは、ストリップサーチに始まる虐待を受けた人物を除くと、「加害者」でもある。だが、この映画の中心人物であるマネージャーは、自分はよき市民として捜査に協力していただけだと主張する。

 

狂人でもない、ごく平凡な人物が、権威に屈し、冷酷で人の道を外れた行為を行った事例は、世界の歴史上無数に存在する。この映画の冒頭で言及されている「ミルグラム実験」が実施された背景には、ナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判があった。ナチス・ドイツユダヤ人の強制収容所への移送を指揮していたアイヒマンは、逃亡生活を送っていたアルゼンチンから1960年にイスラエルへ連行され、人道に反する蛮行や戦争犯罪で裁判にかけられた(有罪判決を受け、1962年6月1日に絞首刑で処刑されている)。裁判で描き出されたアイヒマンの人物像は、家族愛に溢れる平凡で真面目な一介の公務員であった。このことから、「アイヒマンをはじめとするナチスの戦犯の多くは、命令に従っていただけなのか。ごく普通の人間でも、一定の条件下では残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起された。「アイヒマン実験」とも呼ばれるこの実験の結果はそれを実証するものであったが、だからと言ってそれは、このような人の道を外れた行為を容認するものではない。

 

権威は、国家や人種、民族、氏族、宗教、企業、学校、クラブなど、様々な規模の様々な形態をとる。そして権威の指示で、人が人として許されない言動に走る。それは、文明が著しく進化したとされる現在でも続いている。

 

人間の言動に衝撃的な影響を及ぼすのは「服従の心理」だけではない。自分を定義する何らかの組織に属したいという人間の「帰属願望」や、そのような組織に自分が属していると感じる「帰属意識」も、時に恐ろしい顔を見せる。

 

私が好きなレバノン人作家、アミン・マアルーフの作品に、『Les identités meurtrières』という論文がある。このフランス語の原題を訳すのは難しいが、「殺戮を引き起こすアイデンティティ」といったところであろうか。この作品はあいにく日本語には訳されていないようだが、英語版はある。英語の題は、『In the Name of Identity: Violence and the Need to belong(試訳: アイデンティティの名の下に: 暴力と帰属願望)』。この作品の中で、マアルーフは人間の「帰属願望」や「帰属意識」が、個人的な暴力や、テロ、戦争などの集団的な暴力の背景にあることを議論している。この論文が出版されたのは、9/11が起こる3年前のことだ。

 

確かに、自分が属する「組織」が攻撃されている、または迫害されていると感じた一個人が、暴力や破壊的行為を行うというのはよくあることだ。また、「帰属意識」とは少し性質が異なるが、組織や自分の役職の権威を笠に着て、パワハラやセクハラなどの卑劣な行為を平気で行う人物もよくいる。そして、組織の不正・不当に正面から立ち向かう者や良識から異論を唱える者が、非難や中傷、攻撃の対象になったり、あたかもペスト患者であるかのごとく、社会から一方的に背を向けられる事態も頻繁に起こっている。それは何故なのか。「服従の心理」と「帰属意識」の根底には、人間の「自己保身の本能」があるのだろう。しかし、権威や帰属意識に良識を覆されてしまうとは、人間は何とも悲しく愚かな存在なのだ。

 

それでも、己の身の危険をかえりみず、ユダヤ人を匿ったり助けた人々は多くいる。実は、私たちの知り合いの中にもいる。また、スティーブン・スピルバーグ監督作品の『ブリッジ・オブ・スパイズ』で主人公として描かれている冷戦時代の米弁護士は、米国社会全体から非難を浴び、暴力を受けても、「すべての人々が弁護士による弁護を受ける権利を持つ」という信念を貫き、ソ連のスパイとして逮捕された人物の弁護を続けた。これらは、人間が「服従の心理」や「帰属意識」に支配されず、decency (良識)や integrity(倫理に基づく誠実さ)を維持することができるという証拠ではないか。

 

この映画『Compliance』を観終えた私たちは、何とも表現し難い後味の悪さとともに、失望感と希望が入り混じった複雑な思いに包まれた。

 

服従の心理〜①(注:これは2016年2月に他のメディアに限定公開していたものに手を加えた記事)

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先日、久しぶりにテレビで大人の映画を観た。「大人の映画」と言っても、決してエロものではない。娘を中心に展開する日々の暮らしでは、テレビ鑑賞は幼児向け番組がほぼ99%。ニュース番組を少しでも観ることができれば上出来だ。では夜はどうかというと、夕食の後に娘を入浴させ、8時30分から9時の間に娘を寝付かせようとするが、一緒に寝入ってしまうのがお決まりのパターン。夜中に目を覚まし、仕事が残っている時は徹夜。それ以外は、洗面と歯磨きを済ませると、そのまま寝てしまう。

 

先日はめずらしく娘がベッドに入ってすぐに寝付いたので、数日前に録画してあった「大人の映画」を観ることができた。『Compliance (邦題:コンプライアンス 服従の心理)』という、2012年にアメリカで公開された作品だ。日本公開は2013年6月末だったらしい。これは、2004年にアメリカのケンタッキー州で実際に起きた「ストリップサーチいたずら電話詐欺事件」をベースにした物語である。非常に後味の悪いストーリーなので、万人にお勧めという映画ではない。だが、人間の恐るべき一面を深く考えさせられる作品なので、多くの人に観て欲しいと思う。

 

冒頭に映し出される黒い画面。そして白い文字が衝撃的なメッセージを表示する。1961年に実施された実験で、人間は権威的な存在からプレッシャーを受けると、その権威に服従し、良識に反した非人道的な行為をも行うことが証明されたという。そしてこの実験結果を裏付けるような出来事は、実際に数多く起こっていると。この実験とは、権威者の指示に従う人間の心理を調査した、イエール大学の心理学者スタンリー・ミルグラムによる「ミルグラム実験」のことを指しているらしい。この実験の詳細は、日本心理学会やウィキペディアの記事に示されている(http://www.psych.or.jp/interest/mm-01.htmlおよび https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ミルグラム実験)(はてなブログ掲載時に追記:数ヵ月前にこの実験を描いた映画『Experimenter(邦題は、機能性をそのまま商品名にした健康食品のように長くてあまりにもそのまますぎる『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』)』を観た。『Compliance』と合わせて観ると、さらに面白みが増すのでお勧め)。そしてメッセージは、この映画のストーリーが現実に起こった事件を基にしたものであり、事実の誇張は一切行っていないことを宣言する。

 

ある日、ファーストフード店の真面目なマネージャーである中年の女性が、警察官と名乗る男性からの電話を受ける。その「警察官」は、彼女の店で働く若い女性従業員が客から金を盗んだという通報を受け、現在極秘の捜査中だと言う。そして、容疑者の家宅捜査中で現場を離れることが出来ないため、彼女に自分に代わって容疑者の女性の身体検査をするように指示する。指示はすべて電話で行われ、他の従業員のみならず、マネージャーの恋人や常連客も巻き込んでいく。そして身体検査はやがて、信じ難い虐待行為にまで発展する。

 

観ている私たちは何度も苛々させられ、歯がゆい思いをした。なぜ、こんなにも簡単に、電話で警察官と名乗っているだけの人物の言いなりになるのか。指示の内容はどんどんエスカレートし、どう考えても人の道に反する行為を求められる。指示される人物は、不審に思いつつも結局指示どおりに行動する。受話器の向こうの相手がためらうたびに、「警察官」は威圧的な口調で巧みに議論する。だが、指示を受ける側は、面と向かって拳銃を突きつけられている訳ではない。

 

夫と私は、「ここでおかしいと思ってやめなかったら、アホとしか言いようがないだろっ!」と何度もテレビに向かって叫んだり、あまりの信じ難さに首を振った。

 


続く

現代女性のプレッシャー③

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今の時代の女性が感じるプレッシャーは外見だけの問題に止まらない。働き方、生き方そのものにもかなりのプレッシャーがあると思う。

 

今から8年前の2009年1月。当時フランスのサルコジ大統領政権の法相であったラシダ・ダティは、帝王切開で女児を出産した5日後に職場復帰し、フランス内外で大きな物議を醸した。確か44歳で初出産。未婚のシングルマザーで、子供の父親の名前は2012年まで公表していなかった(フランスのカジノ産業大手ルシアン・バリエール・グループのCEOを相手に子供の認知訴訟を起こし、2016年に勝訴)。父親の正体はゴシップメディアの恰好の話題となったが、賛否両論を大きく分けたのは、出産後(しかも帝王切開)たったの5日で職場復帰したという事実だった。

 

彼女の職場復帰ニュースはここ英国でも大きく報道され、メディアに様々な意見が飛び交っていた。シックな黒のタートルネックワンピースドレスにこれまた黒のベルベットのジャケット。そして、出産したばかりとは思えないほど颯爽とした歩きぶり(しかも15cmぐらいありそうなハイヒールを履いてのこと)。この彼女の姿を、「出産後も超スピーディーに仕事に戻るパワフルなスーパーウーマン」の象徴と見る女性もいれば、「仕事と地位を誰かに横取りされてしまうリスクを恐れておちおちと産休を取っていられない女性の実情」と憐れむ声もあがった。サルコジ大統領からのマタハラに遭っていたという噂も流れた。

 

ダティ法相が職場復帰したその日はその年の最初の閣議が開かれた日でもあり、サルコジ大統領はフランス法制度の大々的な改革を発表した。そんな国の一大事を前に、大病を患っている身でもないのに休んでいる暇などない!と言うところだろうか。さらに、サルコジ大統領が次回に内閣改造を実行すれば暇を出される可能性が高い閣僚のひとりとして、ダティ法相の名前が少し前からあがっていたという。モロッコ人(父)とアルジェリア人(母)の移民の娘(12人兄弟姉妹(!)の上から2番目)としてフランス中部に生まれた彼女は、金融関連の職を経験した後にフランスの名門グランゼコールのひとつである国立司法学院に学び、受任裁判官や検事代理を務めたエリート。2002年には当時内相であった二コラ・サルコジの顧問を務め、2007年5月にサルコジが大統領選(大統領選挙キャンペーン中は彼のスポークスパーソンを務めた)に当選すると法相に任命された。移民の子であり、女性である(しかもなかなかの美人)ということで、ポジティブ・ネガティブの両面で注目を浴びる存在だった。そのような背景を持つフランス政府の要人であった彼女を凡人の私たちと比較するのは、双方にとって理不尽すぎるかもしれない。彼女には彼女なりの理由があっただろう。私はその理由を詮索するつもりはないし、選択を批判するつもりもない。そして賞賛するつもりもない。ただ、あの姿を「パワフルなスーパーウーマンの象徴」か「おちおちと産休を取っていられない女性の実情」のどちらと見るかと聞かれると、私は後者だと答える。ダティ法相のあの姿は、私の目には「女性が直面するプレッシャーの代表例」と映った。

 

生き方とは、それぞれの選択(選択肢がないという場合もあるが)なのであって、賛否両論があっても、人の道を外れるようなことをしない限り正解・不正解はないはず。だが、その「選択」にあたって、現代を生きる女性には、男性よりも複雑なプレッシャーがあると思う。そして、こう書いてしまうと男性からクレームが飛んで来るかもしれないが、「選択」に犠牲や妥協がつきまとうという事態も、女性の方が多いのではないだろうか。進学(か否か)、就職(か否か)、結婚(か否か)、結婚後も仕事を続けるか否か、出産、子育て、復職か否か、夫の転勤についていくか否か、離婚するか否か、離婚しても経済的に自立できるか否かなどなど。。。自分が行った選択の結果の責任は自分にあるのだが、事情を把握していない他人から理不尽な批判を受けることもある。

 

こういった現代女性のプレッシャーには、自分で自分に課しているものがあるのも事実。テレビや雑誌やソーシャルメディア、または自分の周囲で「キャリアで成功している女性」や「起業した女性」、様々な分野で「活躍している女性」、つまり「輝いている女性」を目の当たりにし、その人たちの生き方やあり方に憧れ、その憧れがいつの間にか「こうでなければならない」という思い込みに発展し、目標や理想像に近づけていない自分に劣等感と焦燥感を抱くというパターンは、私自身にも実に思い当たる。キャリアだけに限らず、子育てや趣味、福祉活動やコミュニティワークのようなアクティビティなど、誇りや情熱をもって打ち込めることをしている人、持っている人は、そのようなネガティブなプレッシャーを自分に課すことはないのだろう。こういう女性たちこそが雑誌ヴェリイの言う「基盤のある女性」であり、「輝いている女性」であるに違いない。

 

そう考えると、今の私はまだまだ基盤を固めようと暗中模索している段階にあると実感する。

現代女性のプレッシャー②

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出産後間もないというのに人間とは思えないパーフェクトボディを披露したセレブと言われて即座に頭に思い浮かぶのは、超売れっ子ブラジル人スーパーモデルのジゼル・ブンドチェン。確か、2012年の12月に第2子を出産してからほんの2ヵ月ぐらいしか経っていない頃に、ヴォーグ誌ブラジル版の表紙のためにポーズしていたと思う。私がそのニュースを取り上げた記事を見たのは、娘を出産してから数週間後のことだった。つい最近出産したというのが信じられないほど引き締まった美しいボディに黒のビキニとスリーブレスのレザージャケットというセクシーで大胆な姿。有力ファッション誌の表紙だから、きっとエアブラシがかかりまくっているのだろうが、それにしてもなんとも神々しい肉体美!美しいスーパーボディが商売道具(と書くと変な誤解を招くかもしれないが)のモデルだから、一日も早く出産前のボディを取り戻すための努力は相当なものだろう。だが、たったの2ヵ月でこんなに完璧に達成できるものなのか。ダンナさんはNFLのスーパースター、トム・ブレイディという、まるでギリシア神話アポロンアフロディーテのような超美男美女カップルだから、あまりにも非現実的すぎる。

 

40歳を過ぎて初出産した凡人の私の場合、出産後4年が経った今になってやっと、なんとかメリハリのある体型を取り戻し始めた。フランスから英国に移住して以来、会社勤めを辞めて自宅でコンピューターに何時間も向かう仕事をしているうえに、酒好きグルメ好きでかなりメタボが進んでいた。妊娠中にそれほど肥えたわけではなかったが、妊娠前からのプチ肥満状態がなかなか解消しなかった。脂肪燃焼スープなどの様々なダイエットを試してみたが、目に見える成果が出たことはほとんどない。ウォ―キングなどの有酸素運動が効果的と聞くと、毎日1時間ぐらい近所をスポーツウェア姿で徘徊した。「私はこのまま中年太りのオバハンとして生きていく定めなのか」と真剣に嘆いたことも何度かある。何をやっても痩せることができない体質になってしまったように思われ、鏡を見るたびに自信を失いそうになった。しかも、帝王切開の傷とその周辺は出産後3年近く経っても痛みを感じることがよくあり、疲れた時には傷周辺の皮膚が突っ張ったり、お腹が膨らんだりした。腰痛に悩まされることも頻繁で、カイロプラクターや接骨院に足しげく通っていた時期もある。理学療法士である夫の妹に相談したところ、ピラティスなどでコアを鍛えたらどうかと言われたが、なかなか実行に移せないでいた。それを昨年の末に決意を固め、ズンバ教室とパイヨ(PiYo:ピラティスとヨガにインスパイアされたワークアウト)教室に登録した。どちらも最初はかなり身体に堪えたが、孤独に黙々とやるウォ―キングとは違い、他の女性たちとノリのいい音楽に合わせてダンス気分で身体全体を動かすズンバと、これまた素敵な音楽に合わせて多種多様なポーズと動きをこなしていくパイヨにすっかりハマり、週4回ぐらいの頻度で通うようになった。20年前の私ならとっくに英国の美女アスリート、ジェシカ・エニス=ヒル級のボディをゲットしているのではと思えるぐらいの運動量だが、目に見える効果が出始めたのは通い始めて6ヵ月以上経過したつい最近のことだ。体重はそれほど変わらないのだが、確かに身体は全体的に引き締まってきた。おまけに帝王切開の傷とその周辺が傷むこともなくなった。

 

夫は私が自分のメタボボディを嘆くたびに、「君の中身に惚れてるんだから、そんなのまったく気にならない」とか「ラブラブしてあげる部分が増えただけ」と言ってくれていた。それでも自信は低下するばかり。人間の真の価値は中身の問題と頭で分かっていても、外見美崇拝の傾向が強い現代の先進国社会のプレッシャーに抵抗することが出来ない自分が情けない。2011年に44歳でサルコジ仏大統領(当時)との子供を出産した元スーパーモデルのカーラ・ブルーニサルコジのインタビューを読んだ時、妊娠前の体型を取り戻すのに2年かかったと告白する彼女の言葉には慰めを感じた。だが、その妊娠前の体型というのがこれまた女神級のものだから、俗世の凡人の私には目標にもならない。私の世代やそのひとつ下の世代の女性の間で絶大な人気を誇るファッション&ライフスタイル雑誌『Very(ヴェリイ)』は、「基盤のある女性は、強く、優しく、美しい」というスローガンを掲げているが、「みてくれ」という表面だけの問題に大きなプレッシャーを感じ、コンプレックスに包み込まれてしまう私には、この「基盤」がないということなのだろうか。そもそも、私にとっての「基盤」とは一体何なのだろう。

 

続く